徒然の書

思い付くままを徒然に

#ノンフィクション、エッセイ

コロナ拡散の意外な事実

新型コロナウイルスの恐ろしさは、感染者の80%の症状は軽症で、歩けて動けて仕事にも行ける。 しかし、残り20%は確実に入院が必要で、全体の5%は集中治療室に入らないと助けられない。 その中でもあっという間に死に至るものもいる。 この記事を見て愕然…

図書館が子供たちに貸し出す本は安全か

学校が休みになって子供たちが図書館から本を借り出す数が大変増えているという。 コロナウィルスをコロナ菌と書いたり、言ったりたりするとコロナは菌ではありませんなどと知ったかぶりの揚げ足取りが随分といるらしい。 人体に害をもたらして被害拡大中の…

さざんか

山茶花、この安物のさざんかは町中にあふれている。 公園樹に、生け垣に街角の空間に・・・・ 蕾をいっぱいに付けて次々の花開くのであるが、ツバキの様に潔さがない。 萎れてしまった花びらが、いつまでも木々にへばりついて見苦しいことおびただしい。 花…

美しいということ

人は春には桜を見、秋には紅葉を見て美しいという。 近くは隣家の花壇に植えられた小さな花々、庭の片隅に結実した万両の赤い実を見て美しいという。 ただ姿が整ったもは美しく、歪に歪んだものは美しいとは言わない。 人はこの姿を美しいとは言わない。 だ…

稚拙な日本語翻訳

読むたびに思うことであるが、学術書の日本語翻訳の稚拙さにはほとほと愛想が尽きる。 一つの文節で主語が何かわからないような、あるいは主語に類するものが二つも三つも出てくる様な、不可解な日本語になるものも多く見かける。 句読点で句切り続け、全体…

庭の灯篭

一口に庭といっても、作られる意義や目的によってさまざまな庭ができ上る。 いくらか傾きかけた、ごく小さな庭に灯篭が風情を添えている。 茶室の庭ででもあるのだろうか。 今は千利休が言い出した草庵茶室などというもの流行らないのだろ。 古の茶道は荒壁…

ロサ ルゴサ ~ハマナス~

あまり聞き慣れない言葉。 でも、ハマナスというとピンと来る人も居るかも知れない。 そう、原種バラの一つ。 我が国ではハマナスの和名で親しんでいる人も多い。 知床の岬にハマナスの咲く頃~ 聞いたことがあるような、ないような~ あの頃ハマナスってど…

韓非の如く人間不信

人類が増えすぎると神の英知によって、淘汰の作用が起こる。 古代からそのようにいう宗教もあります。 先の大戦から一世紀になろうとする今、その淘汰の時期が来ているのでしょうか。 アメリカと言う戦争の好きな国によって、随分と人類も減らされたようだけ…

ぼたん

美しい花を人間の女性の美に例えたのか、いずれかは知らないが、そしてこんな事を何時誰が言い出したのか、生薬の使い方を示したものであるというひともいるが、いずれにしても人間ていう生き物は例えることが好きな様である。 美しいものは美しいのではある…

権兵衛

早春から咲き始めた色んな花が咲いては消えていき、春爛漫の頃ソメイヨシノが咲いて真打ち登場の感があったが、その桜の姿ももう見る影もない。 花も人間も同じで、老子が言うように功遂げ身退くは天の道なり、と言うように桜も美しく咲いて人間という生き物…

ハナミズキの追憶

今街路樹などでよく見かけるハナミズキが小さな花を咲かせ始めた。 日本における植栽は、1912年に当時の東京市長が、アメリカ合衆国ワシントンD.C.へソメイヨシノを贈ったその返礼として贈られたのが最初、1915年のことであったらしい。 日比谷公園、小…

花見の移り変わり

この頃は、さくらの花見で大騒ぎすることもなくなったのか、花見のための場所取りなどと言うこともあまり耳に入ってこなくなったような気がする。 それもこの頃は、のんびりと花見を楽しむ余裕がなくなった、そんな時代になったのか。 それとも楽しむことが…

薄墨桜

淡墨桜と呼ばれる桜は、岐阜県の淡墨公園にある一本桜をさしていう。 樹齢1500年とも1400年ともあるいはそれ以上とも言われる、年月を生き続けているエドヒガンの古木である。 日本五大桜または三大巨桜のひとつ。 国の天然記念物である。 もうこれほどの…

医療薬剤関係の伏魔殿

健康保険制度が日本人の長寿の原因の一つではあるが、今の日本は長寿だと、喜んでばかりいる訳にはいかない国になっている。 院外調剤の処方箋を医師が発行すると、その処方箋に随った薬剤を調剤してくれるが、医師がその処方箋の薬剤の数量をを間違えて記し…

クリスマスの頃に思う・・・・

サンタを模して作られた大輪菊の厚物でとてもよく出来ている、高幡不動尊の菊まつりに飾られていた。 よくもまあ~綺麗に作ったものだと感心しながら撮っておいたのだが・・・・・ サンタならクリスマスの時期に出してやろうと、・・・・ 我が学生の頃は我…

命長ければ、恥多し

この言葉を知っている人の多くはおそらく徒然草を呼んで得た言葉として頭に刻んでいるのであろう。 だが実際は、兼好が荘子の天地篇に書かれた言葉を引用したに過ぎない。 荘子の天地篇に「男子則懼多、富則多事、寿則多辱、」という言葉がある。 長生きすれ…

人間の心

人間の心ほど不可思議なものはなかろう。 心の持ちよう一つで、人生愉しくもなり、鬱陶しくも成る。 人間の心は、外界の様々な現象に応じて、常に変化している。 心の姿や形はかくあるべきものという、基準があるわけではない。 心の働きが有るとすれば外界に…

薔薇~牝雞無晨~

バラ園を回っている度に思い起こすのは、このきれいな薔薇の花を冠した戦争が、ちょうど30年も続いたという人間の権力欲が、多くの人々を苦しめてきた歴史である。 人間という生き物は絶えず争っていないと気が済まないらしく、関係のない弱い民を犠牲にし…

日本の菊

重陽の節句で菊が飾られる、菊の歴史は平安の頃に我が国に入ってきて以来、菊は常に親しまれてきた。 菊は食用とも成るが、特に古来から親しまれてきたのは長寿の力があると考えられてきたからであろう。 古来から我が国では、現今のように長寿を邪魔にする…

森の中のせせらぎ ~水の流れの様に~

深山幽谷とまではいかなくても、深い森を思わせる緑のなかに清らかなせせらぎがあった。 どのようなせせらぎであっても、水の流れの音を聞き、流れる様を見ていると、なぜか心が和んでくる。 この清らかな、水の流れを見ていると、遙か遠い子供の頃を思い出…

古典の研究から学び取れるもの

温故知新という言葉がある。 これはとても大切なことであるが、我が国の現状を見ると、悪い面ばかりを尋ね歩きそれを真似ているような気がしてならない。 しかし一方では、心ある人は過去の優れた人物に範を採ろうとしている事もまた事実であろう。 現代は中…

人間という生き物の薄汚さ

長い間人間をやっていると、その生き物の薄汚さが、あまりにも多く目にし、体験することになる。 日本という国を治めている人間は、何事も世にあるものはすべて使い捨てとばかりに、人間という生き物も長い間生きているものは使い捨てにされている。 昔は人…

ひまわり

単純明快、思考能力ゼロ 日曜日比較的早い時間に公園へ撮影に行ったとき、知人に会って、幸いに学校の校庭に入ることが出来た。 いろんな花々が植えられていたが、前夜の強い雨で花々は踏みにじられて仕舞ったようだ。ほとんど撮れるようなものもなかったが…

写真って何だ

今朝方は結構強烈な雨が降ったようだ。 外気が冷たそうなので何気なく、カメラを手にして、散策を決め込んだが、花々に付いた雨滴が美しく花を飾っていた 絵画だとその景色を見たとき、己がどのように描きたいのかそのイメージがどんどん膨らんで頭の中いっ…

修己治人~己を修して人を治める~

戦前、どこの小学校にも二宮尊徳の銅像が建っていた。 薪を背負って、本を片手に、寸暇を惜しんで、本を読んでいたのだろう。 明治に出版された日本人による英文の本が何冊かある。 新渡戸の武士道、岡倉天心の茶の本、そして内村鑑三の代表的日本人である…

暑い夏

暑い夏がやってきた。子供の頃は夏の暑い時期ほとんどの時間、海で過ごしたから夏の暑さなど感じる事もなかったが、年を経るとこの夏の暑さが大敵のようである。 人間という生き物、赤系の暖色を見ると暑さが倍増し、青系の色を見ると涼しさを感じるという…

生産性が低いと言われるが

上杉鷹山の経営理念を読んでいると、日本人の労働というものに対する考え方が、アメリカ流の労働とは全く違っていることにずいぶんと奇異な感じがする。 鷹山の頭の緻密さには驚かされるが、彼の考えは藩の民が潤うことを第一の目標にしていることに趣旨が一…

ものを大切にすると・・・・・

育った時代は今のように、ものが豊富でもの余り、飽食の時代とは違って、物もなく食い物もない時代であった。 古代から我が国の百姓は絞り続けられてきたが、昭和の戦争の時期から、百姓の態度が一変した。 それはそうだろう、どこにも食い物はなく、一般の…

老荘と淮南子から学ぶ

私という生き物が生まれるまでに、この天地は途方もない無限の時間を経過している。 私が死んでしまった後でもこの時間の経過は無限に続いていく。 この様に考えると、人間という生き物は無限に続く時間の経過のただの一点に過ぎない。 この人間のわずか数十年…

楽しきかな人生、男児の本懐

便是人間好時節(無門関) すなわち是れ人間の好時節 この言葉は、中国宋代の僧、趙州和尚と師の南泉禅師の問答の語いに対する無門の評としてかかれているもの。 無門慧海禅師の頌の一節である。 その問答とは 趙州が問う、如何なるか是れ道、南泉曰く、平…