徒然の書

思い付くままを徒然に

2014-01-01から1年間の記事一覧

神曲地獄めぐりの旅、辺獄

今日はキリストの降誕の日、クリスマスを祝う人も多いだろう。 でも何故、十二月二五日がイエスの誕生日なのか・・・・・ 新約聖書のどこを探しても、マタイにも、ルカにも、この日にイエスが生まれたとは記されていない。 マタイにあるのは・・・ 2:1イエス…

神 曲

地獄を旅するダンテ。 我が国では神曲で通っているが原題は神聖喜劇である。 神曲は森鴎外が即興詩人の翻訳の中で使って以来、定着したようである。 地獄、煉獄、天国からなる長編韻文で、14,233行にもなるという。 この神曲は出版各社から訳者が違う…

写真のない写真集

昔、アンデルセンの 絵のない絵本 と言う短編集を読んだことがあった。 読んだのはもう半世紀以上も前の事だったろうか。 ほんの百ページに満つるかどうかの薄っぺらな文庫であったと記憶している。 確かこんな出だしの本であったような気がする。 不思議な…

シェークスピア雑感

お盆の上のどんぐり共の私を選んでくださいと、お盆の上を転げまわっていた騒々しさも、昨日で終わりになったのか、今朝は随分と静かである。 お盆の上に、二つか三つなら能々眺めて選べるだろうが、お盆一杯のどんぐりなど選びようもない。 尤も、二つか三…

愛の女神 ヴィーナス

愛の女神と言うとすぐに思い浮かべるのがヴィーナス。 ヴィーナスと言えばすぐに思い浮かべるのがミロのヴィーナス。 ミロス島で発見され、フランスルーヴル美術館に持ち込まれたヴィーナスは、制作がBC二世紀と比較的新しく、男好みに仕上げられたもので…

ギリシャ神話におけるアマゾネス

本で読んだか映画を見たか随分古の事になるので確かではないのだが、アマゾネスとは南米アマゾン川の流域にすむ女系戦闘集団だと思っていた。 ギリシャ神話を読み進んでいくうちに、このアマゾネスの神話が登場するに至って、何とも不思議な感じがした。 ギ…

マグダラノマリア

聖書の中のマリアとしては、イエスの母マリアよりもはるかに強い印象を与える女性として登場する。 イエスにまつわる話しには絶対に欠かせない特別な女性である。 マグダラの女で、ルカによる福音書に依れば、七つの悪霊を追い出してもらったマグダネルと呼…

影武者家康

家康は幕府を開いて、将軍職を秀忠に譲って、駿府城で往生したのが通説ではあるが、どんな事柄にも異説はあるもので、この家康の生涯にも異説がある。 徳川実記(正確な表現ではないが)などに書かれている記録は公式記録とはなっているが時の権力者に不都…

神々の嫉妬と傲慢

神々とは言っても古代のオリンポスのギリシャやローマの神々を信ずる者は、この現代にはもういない。 だが現代の人間の心の奥底には、この古代の神々のものの考え方が、しっかりと受け継がれているような気がする。 古今東西、見てはいけないよと言われたも…

聖母マリアの崇拝の謎

外国の映画やドラマを見ている時、マリア像に祈る場面をよく見かける。 このマリア崇拝、キリスト崇拝より強いところがあるとも言われている。 マリア信仰って何・・・・・ってことになるのですが、聖書にも殆どと言っていいくらい登場してきません。 しか…

智に働けば角が立つ・・・とかく人の世は住みにくい。

若い頃に永平寺の宿坊に泊まったことがあります。 旅行者と言えども、その規則の厳しさに驚いたものですが、その時が私の座禅との出会いで、自己流の座禅を続けています。 早朝の三時にたたき起こされ、座禅の組み方を教えられ、朝の勤行に付き合わされて、…

翻訳の巧拙

最近外国の翻訳物やドラマの字幕に現れる翻訳を見てもう少し何とかならないのかと思うことがある。 専門的な文章が入った場合、専門知識のない翻訳者が翻訳したものなどは論外。見るも哀れな訳文になる。 自分の書くものは論文調のものになることが多い所為…

童話ってなんだろう・・・・

世に有名な童話集っていくつかあるが、その中で子供が読んでためになる、あるいは読んで聞かせて、ためになる話ばかりではない様な気がする。 こんな話を子供の心に植え付けては、後々あまりいい心の人間にはならないなあ~って思う話も随分と見受けられる。…

裏切りの社会性

仰る様にに人を見る目を養うという言葉はよく聞きますが、人間の内心ほど解りにくいものは有りません。 それ故に、裏切られた時の衝撃は、与えた信頼の大きさ、見間違えた己に対する苛立ち、によって変わってくるのでしょう。 それ故にそれを利用した策と言…

裏切り者の悲哀

裏切り、とか裏切り者とかいう語感は何とも後味の悪い様な感じを受ける。 この裏切りも様々であり、ほんのお愛想みたいなものから、時代を左右する程重大な意味をもを持つ裏切りまで、その形態や様相は様々である。 この裏切りとは人の信頼、真心を破壊し、…

古典にみる世の不条理

我が国以外の国々の神話に現れる神々は実に人間臭い。 恐らく、我が国の史書と言われる記紀にしても、書かれた当時から千数百年も前の事を書いているのだから、とても史実などと言えるものではない。 神話と呼ばれる読み物やギリシャの吟遊詩人が歌い語った…

人間ってバカな生き物だよね、その二・・・・・・

戦は太古の昔から、何時でも時の権力者や執政どもの愚にも付かない思い付きから始まる。 如何に時代が進んでも、人間の性根と言うものは変わらないものと見える。 その度に国家は疲弊し、民草は肉体を損ない、精神を患い、黄泉の国へと導かれるものも多い。…

人間ってバカな生き物だよね・・・・(前)

人間ってバカな生き物だよね・・・・ 喉元過ぎれば熱さを忘れる・・・・ 為政者よ、官僚よ孫子の兵法に学べ 二千数百年前の書であっても、その精神は現代でも生きている。 壊滅的な敗戦をして、惨めな姿をさらしたのは、僅か五,六十年ほど前。 あの惨めな姿…

神話の世界は・・・・

真としやかに語られている、古代の神話の世界。 ギリシャ神話や我が国の神代の世界・・・・・似たようなものに旧約聖書も含まれるであろう。 書かれた時から、何千年も前の事前の事が書かれている、そんな記録が書かれた当時まで現存していたとはとても思え…

ギリシャ神話に少しは興味を持ったかな・・・・パンドラの壷

この頃、時間があると古本屋に出かけることが多い。 今頃の古本屋と言っても、学生の頃入り浸ったあのカビ臭い、独特の臭気のある本屋とはまるで違う。 文庫本や新書版が主力ではあるが、単行本や色んな種類の本もかなり揃えている。 先日、面白い題名の文…

人間という生き物について・・・・我が国における人間性について

大変難しい問題について、メッセージを戴いたので、返信したいのであるが、返信蘭では到底書き切れない問題が含まれているので、書きかけの原稿に、加えて、載せることにしようと思う。 一部のものについては、書きかけのほんの一部であるので、機会があれば…

親子の情・・・・・・

旧約に列王記と言うのがある。 そこにソロモン王の項目がある、いまその中のソロモン王の処を読んでいる。 ソロモンが王位に就くに一悶着あったらしい。 旧約の所々を抜き書くと・・・・ 王ダビデが老いさらばえてしまったので、ハギテの子アドニヤは高ぶっ…

日本の神話

日本の神話は皇室系のものと出雲系のものがある。 出雲系の神話は面白い。 高天原を追われた素戔嗚が降り立った先は出雲の肥の河の畔・・・・・・ ここから彼のよく知られた、八岐大蛇退治の神話が始まる。 素戔嗚が出雲の祖紳とされる理由もここにあるので…

葉隠武士道

武士とは死ぬことと見つけたり・・・・ あの先の大戦の時、あたら多くの若者を死に追いやったこの言葉、忘れようとも忘れられない、心の棘である。 葉隠を読み進めていくと・・・・・ 葉隠武士道とは言われるが、果たしてこの男、武士道の何たるか判っていた…

自己を習うと言うは・・・己を学ぶ智慧と言うことかも知れない

仏道を習うと言うは、自己をならうというなり。 自己を習うと言うは、自己をわするるなり・・・・・ 自己の心身及び他己の心身をして脱落せしむるなり。 これは道元の著書の正法眼蔵の現成公案の一説である。 若かりし頃、座禅を覚えて、道元の正法眼蔵の弁…

午後の思惟

洋の東西を問わず、神々として登場してくる者たちはどんな者だろうと思っていたのだろう、と今自分に問うてみた。 思い返してみても、改まって考えたこともなかった様な気がする。 それだから、神社に初もうでに行き、神棚に燈明を灯し、お伊勢さんと呼ばれ…

裁判官と呼ばれる人々~続~

長くなりすぎてけられましたので、二つに割りました。 前の続きとして読んでください。 この後を読み進めていくと、世間常識の欠落としか思えない様な判断、証拠の採否についての独断性とうとう、驚天動地の裁判官の独裁が現れてくる。 これが日本の法治の…

裁判官と呼ばれる人々

裁判とは真実を発見するところだと、多くの国民は思っている。 だが、いま日本の裁判は真実を見つけるところではなくなっている。 日本の多くの裁判官には真実を見つけ出す能力も見識もなく、真実を見つけ出そうとする意欲もないと言う人もいる。 一度でも…

石川や浜の真砂が尽きるとも・・・・・

~世に盗人の種は尽きまじ。 世に有名な石川の五右衛門が残した歌とされている。 実在性が疑問視されていたが、 宣教師の日誌が資料となって実在が確認された様である。 この地球上に人間と言う生き物が現れて以来、 悪人の種が尽きたことはない。 人間の本…

剣とは、平常心とは、極意とは・・・・

本棚の書を探しているとき、必要な書はなかなか見つからず、 必要もない小さな本が間にはさまっているのが目に触れた。 武蔵が晩年に書いたと言われる五輪の書である。 これを初めて読んだのは、もう何十年も前の事である。 これを読んだとき、様々な事を思…