徒然の書

思い付くままを徒然に

老いぼれの大失態

人間って実際は信用できない生き物なんだなってつくづく感じさせられた。

しかも相手が老いぼれであるゆえに、結構なめてかかることも加わるのだろうが、

余計に払った分を着服しても気が付かないだろうと、さっさとしまい込んだのかもしれない。

しまい込んでしまえば証拠は残らないから何とでも言えるからな~

なまじ気を回して着払いの宅配便の受け渡しがスムーズにいくようにと思って、昨夜金銭を用意したのが間違いであった様である。

支払金額は3940円なりであったので、4000円を別の札入れに挟んでいたのである。

ところが宅配が来た時、いろいろ作業を行っている最中であったためかそれをすっかり失念してしまっていて、
不断使いの札入れから金をとりだしたのだが、千円札が二枚しかないので、大きなのを、崩してもらうかなって思ったとたんに、
昨夜用意したことを思い出して、それと札入れから出した二千円計6000円を手にして受け取りに出た。

そこで手にした6000円也を渡して端数の40円を渡せば百円の釣りで、すべてOKと40円也を取りに部屋へ取って返して、
100円の釣りをもらって、無事取引終了、とご満悦だったが、
後に、よくよく思い出してみると昨夜用意したのは4000円だったことを思い出して其れに2000円を加えて支払ったことになる。

結局今日札入れから出したものは、戻しておけばよかったのだが、
何か急かされて手にしたまま用意しておいた札に加えて支払ったことになった事を後刻になって気が付いた。

宅配便の配達員が、善良なら即刻多過ぎることに気が付いているはず。相手が老いぼれだからとぼけ通して100円の釣りを渡して立ち去って行った。

つくずく、人間老いぼれたくないものだと、実感させられた。

と同時に、こんな輩が将来の日本を背負っていくのかなって暗澹たる気持ちになったのだが、
たかだか2000円搾取して彼の心はどの様だったろうと、今考えているのだが、少しでも後ろめたい気持ちが沸いただろうか、
それともたかだか2000円でも儲かったと喜んだだろうか。

現在の人間の気持ちってどの様な考え方をしているのだろうか。

少なくともまともな人間なら、多く支払われた分は多すぎますよって返却するのが人間というものであろう。

いや間違える方が悪いと考えるのが現代人なのだろうか。

たかだか2000円程度(老いぼれにとっては大金なのだが)を搾取して、何の痛痒も罪も感じなければ、
本当は日本という国は困ったことになるだろうなって思ったりもするが、要は2000円程度で儲かったという感覚が沸いたとすれば、
日本という国は貧しいんだなって、嘆かざるを得ない。


明治のころ、西郷翁もその時の人間という生き物を目にして随分と悩んだことだろう。

西郷翁の遺訓を読んでみると、彼も時の政府の人間どもの所業を目にするにつけ、多いに嘆いている。

尤も、明治の維新といわれた、軍事クーデター後の政府の人間どものやりたい放題から比べると、
微々たるものではあるが、徳川の世を葬り去り、新しい国造りの苦しみを、すべてのものが背負わねばならない…というこの時期に、
薩摩や長州の連中は、豪勢な屋敷を持ち、衣服を飾り、妾を囲って、己の懐をに財をため込むことばかり考えている。
この様ではわが国はどうなってしまうのか。と

あの徳川との壮絶な戦いで勝ち取った維新の目的は、このままでは到底果たされない、国は滅びてしまうだろう。
西郷も嘆いていたように、その国の滅びは昭和の時代になって訪れ、国家の独立を失ってしまった。
長州の軍閥が引き起こしたあの太平洋戦争によって、日本国の独立は絶たれてしまった。
長州閥と呼ばれる、無能な見境のない行為は、納まることなく平成の世にまで生き延びている。
あのコロナ禍の出来事を思い出していただきたい。
まさに長州型政治の見本の様なものであった。

尤も長州藩の時代も、まともな政治は行われておらず、藩主をはじめ、上級武士は戦々恐々としていたといわれている。
下級武士や足軽、中間あたりの頭では、あの似非学者の 松陰の策謀に簡単に感化されあたのだろう。
心ある為政者としての西郷の弁によれば、今日に政府高官共の、分不相応な贅沢ぶり。
上に立つものとして道を踏み誤っている高慢ぶり。あのような態度を世間の人が見れば、あの戦は薩長が己の欲望のために,
人の血を流しただけではないか。   上西郷南洲翁遺訓。(長尾剛、注釈)による。

まさに、西郷の言う通り己らの、好き放題の安楽を求めて起こしたテロ活動から軍事クーデターであったといっていい。
この明治の代は、政府役人と商売人いわゆる世にいう企業との癒着は現代か見ればとても想像もつかない状態であった。
だから現代の政治も長州型政治と言われる時は政治屋と企業がべったりと癒着している状態を指していう。
平成の長州閥政治屋が良き見本であろう。
この明治の歴史も軍事クーデターや革命の者が作り出したもので、己らの都合の良いように作られている。
明治の下級武士や足軽、中間、或いは下級公家の政治の政も分からぬ無能者が、政府を構成し、初代の文部大臣森有礼に至っては、
日本国の言語を英語にするなどと、言い出して、外国人に止められた、などという馬鹿者も政府の一員であったという滅茶苦茶ぶりであった。

未来から現代の日本を眺めたら未来の日本人は、現代の日本の政治をどのように言うだろうと、思うと実に愉快な思いがする。

世界のこの様な革命やクーデターなどの歴史は、一般的に勝者が作り出した歴史が流布されるが、
普通百年もすると真相を究明した真の歴史に書き換えられるのが、普通といわれている。
わが国では依然として、薩長が作り出した誤った歴史を修正することもなく、未来の日本を背負う、子供たちに学校教育として教えている。

日本人の役人の阿呆さ加減は聖徳太子の抹消に始まって、自分の国の歴史すなわち日本史を学校教育で選択科目にしているという。
普通の国の教育なら世界史を選択科目にしても、己の国の歴史は必須科目とする、教育をするだろう。
何とも馬鹿な国の、馬鹿な文部省の役人であることか。
自国の歴史を大切にしない国は,間違った方向へ国民を誘導することになる。
こんなところにも案外長州閥の影響が表れている可能性があるのかもしれない。
明治のころのはじめての文部大臣は森夕礼、案外この阿呆のDNAが、日本文部省のDNAとして生きているのかもしれない。 
とんでもない話の展開になったが、日本は今大変なことが起こりかねない、可能性を含んでいるような気がしてならない。

来年の新札発行と預金閉鎖 


日本の借金総額は900兆円を優に超えた。

政府はこの膨大な借金を国民の有する総財産で、購おうとしている可能性がないとは言えない。
無能な政治屋としては一番手っ取り早いからね。
それをやれば私のような経済音痴であっても、日本国自体は終焉を迎えることになる事ぐらいは解る。
おおくの老いぼれ達が血の滲むような思いをして老後の生活を楽しむために貯えた命の糧を政治屋の無能のために、
財産税として没収されると、その夢を履かなくも散らされたとしたら、何の人生だったのか人生の終焉に来て、
早々と地獄を味わうことになる。

私は子供のころこれを経験している。
確か札に小さな証紙を張ったものだけが通用可能な札だったような気がする。
銀行へは母の代わりに金を卸しに行ったら、今月はもうすでに一回卸してると、断られた。
それでも、母が卸して来いといって、粘ったら、延々とその事情を小学生の私に教えてくれたものである。
長州閥が何兆円か何十兆円か知らないが己の金をばら撒く様に、緊急事態宣言のたびにばらまいた結果か、
日本国の借金総額は9百兆円を遥かに超えているという。
新円切り替えで、旧札が使えなくなってしまえば、タンス預金など紙屑になってしまう。
タンス預金などは、旧札使用不能の法を造ればまったく紙くずになってしまう。
事実前回の預金封鎖で行われている。
長州閥ならやりかねなかろうがね、果たして・・・・
多くの人は、それでは政治屋や官僚の物もなくなるだろうと思うだろうが、
そこはそれ、新札発行前にその手当てをすることぐらい容易だろう。
国民がもう少し政治音痴から脱却する必要があるのだろう。

ただ、選挙のたびごとに、得々と嬉々として、どんぐり選びに出掛ける人々を見ると、いつも悲しい気持ちにさせられてきた。