徒然の書

思い付くままを徒然に

2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

弓削の道鏡 その壱

道鏡が何時生まれたのか、道鏡と言う法名をもらう前の名前も解らない。 系譜なども確かではないが 河内国若江郡の出で、道鏡の父は弓削村の長であったが無位だったという。 俗姓は弓削連。物部弓削大連守屋を遠い祖先とする。 続日本記などを見ても道鏡に関…

犯罪に於ける科学捜査 その壱

TVっていうものを見ない。 家からTVが姿を消してから、十数年になる。 あの馬鹿馬鹿しい番組にほとほと愛想が尽きたのが本音であるが、明るいニュースならそれで世の中うまく回っているのだから結構な事で敢えて見るまでの事もない。 ところが政治にして…

ギリシャ神話の死生観 その弐

取りとめのない話を断続的に書いてきたが、ギリシャでは死についてどの様に考えていたのだろうか。 神は永遠で人間は死するという一線は厳として守られているのだが、人間は死後の世界についてどのように考えていたのだろうか。 誰であろうと古代の人々であ…

ギリシャ神話の死生観 その壱

如何に科学が発達したとは言っても、古いことは何も分かってはいない。 ただ推測して判ったような心算になっているだけの事である。 宇宙はビッグバンによって形成されたとは言っても、ビッグバン以前はどの様な状態であったのか、何も判らない状態の中で、…