徒然の書

思い付くままを徒然に

花見の移り変わり


この頃は、さくらの花見で大騒ぎすることもなくなったのか、花見のための場所取りなどと言うこともあまり耳に入ってこなくなったような気がする。
それもこの頃は、のんびりと花見を楽しむ余裕がなくなった、そんな時代になったのか。
それとも楽しむことが他に多くなったのだろうか、あるいは政治の貧困が市民の余裕を奪っているのだろうか。
だとしたら、そんな無能な政治屋を選び出した人々の見識の不明であって、自業自得というものだろう。
参政権の行使は民主主義の表象であるなどと、安易に考えて安易に投票所に出かける時期はもう済んだ。
今一度おのれの行使する参政権がどの様な結果をもたらすものは、じっくりと考えてみる必要があろう。
議院内閣制は民主主義の政治形態であると安易に考えている人々は多いが、その現れ方は即、専制政治に転化する危険性をはらんでいる政治形態である事を認識する必要がある。
それ故に、参政権の行使は好くもなり、おのれの首を絞めることにもなることを認識する必要がある。
若かりし頃は上野の山の花見のための場所取りに若い者を使って早朝から奔走して席の確保をしていた、そんな楽しみもあった。
さくらの花見で有名なのは秀吉の吉野の、あるいは醍醐の花見であるが、花見自体は平安の頃から行われていたと何かで読んだことがある。
平安の頃の花見は庶民にはその余裕もなく、行っていたのは貴族と呼ばれる輩であったのだろう。
貴族などというものは、働くこともなく、何も生み出すものもなく、ただ穀を潰すだけの平安時代の貴族達は、庶民から搾り取った財で、さくらが咲けば、桜を春の花の代表するものとして愛で、あるいは歌を詠み、さらには酒を飲んでは花見の宴を開いて楽しんでいた。
世に必要な生き物ではなかったと言っていい。
ただ庶民から、財を巻き上げおのれの安楽のために現を抜かす輩であったのだろう。
江戸の頃になって漸く庶民も、春の花見に秋の紅葉狩りにとおのれ達の生活に楽しみを見いだしていたようである。
吉宗が植えたと言われる飛鳥山のさくらも、随分と庶民の憩いに役立ったさくらであったといわれている。
 





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