徒然の書

思い付くままを徒然に

2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

日本の神話

日本の神話は皇室系のものと出雲系のものがある。 出雲系の神話は面白い。 高天原を追われた素戔嗚が降り立った先は出雲の肥の河の畔・・・・・・ ここから彼のよく知られた、八岐大蛇退治の神話が始まる。 素戔嗚が出雲の祖紳とされる理由もここにあるので…

葉隠武士道

武士とは死ぬことと見つけたり・・・・ あの先の大戦の時、あたら多くの若者を死に追いやったこの言葉、忘れようとも忘れられない、心の棘である。 葉隠を読み進めていくと・・・・・ 葉隠武士道とは言われるが、果たしてこの男、武士道の何たるか判っていた…

自己を習うと言うは・・・己を学ぶ智慧と言うことかも知れない

仏道を習うと言うは、自己をならうというなり。 自己を習うと言うは、自己をわするるなり・・・・・ 自己の心身及び他己の心身をして脱落せしむるなり。 これは道元の著書の正法眼蔵の現成公案の一説である。 若かりし頃、座禅を覚えて、道元の正法眼蔵の弁…

午後の思惟

洋の東西を問わず、神々として登場してくる者たちはどんな者だろうと思っていたのだろう、と今自分に問うてみた。 思い返してみても、改まって考えたこともなかった様な気がする。 それだから、神社に初もうでに行き、神棚に燈明を灯し、お伊勢さんと呼ばれ…

裁判官と呼ばれる人々~続~

長くなりすぎてけられましたので、二つに割りました。 前の続きとして読んでください。 この後を読み進めていくと、世間常識の欠落としか思えない様な判断、証拠の採否についての独断性とうとう、驚天動地の裁判官の独裁が現れてくる。 これが日本の法治の…

裁判官と呼ばれる人々

裁判とは真実を発見するところだと、多くの国民は思っている。 だが、いま日本の裁判は真実を見つけるところではなくなっている。 日本の多くの裁判官には真実を見つけ出す能力も見識もなく、真実を見つけ出そうとする意欲もないと言う人もいる。 一度でも…

石川や浜の真砂が尽きるとも・・・・・

~世に盗人の種は尽きまじ。 世に有名な石川の五右衛門が残した歌とされている。 実在性が疑問視されていたが、 宣教師の日誌が資料となって実在が確認された様である。 この地球上に人間と言う生き物が現れて以来、 悪人の種が尽きたことはない。 人間の本…

剣とは、平常心とは、極意とは・・・・

本棚の書を探しているとき、必要な書はなかなか見つからず、 必要もない小さな本が間にはさまっているのが目に触れた。 武蔵が晩年に書いたと言われる五輪の書である。 これを初めて読んだのは、もう何十年も前の事である。 これを読んだとき、様々な事を思…

古事記などを読んでいると・・・・神々は・・・・・

日本に最初に現れたのが神と呼ばれる連中・・・・ その神が陰陽二つに分かれて、 男神、女神になり様々なものを生み出していく。 今我が国では、神々を崇拝している人も多いだろう。 信仰とまでは言わないまでも、 初詣には国民の大多数が神社に行っている…