徒然の書

思い付くままを徒然に

クリスマスの頃に思う・・・・


 
サンタを模して作られた大輪菊の厚物でとてもよく出来ている、高幡不動尊の菊まつりに飾られていた。
よくもまあ~綺麗に作ったものだと感心しながら撮っておいたのだが・・・・・
サンタならクリスマスの時期に出してやろうと、・・・・
 
我が学生の頃は我が国でもクリスマスは馬鹿騒ぎをしていた時期で、イブの夜など喫茶店などに入ると、無理矢理ケーキ付きのコーヒーが出されて馬鹿高い料金をふんだくられたものである。
日本人って言う民族は直ぐに人まね、猿まねをして喜んでいる阿呆な民族であるが、この頃はあの賑やかで、騒々しい音楽も街中に響き渡ることもなくなったようだが、飽きっぽい性格が表れたのであろう。

クリスマスというと12月25日、その前日をイブと称して、外国では大変な祝日になっているようである。
イブをクリスマスの前日と思っている人が多いようだが、前日の日没以降を指すらしい、eveningの後ろが取れたものらしい。
eveningは夕方と訳されているが、外国では夕方とはどの時間帯を指すのだろう。
このeveningは日没以後を指すのかも知れない。

我が国の江戸の頃の町人はeveningいわゆる日が落ちて暗くなる前に、夕食や様々な夜の仕事を済ませてしまう習慣であった。
魚油の生臭い明かりでも町人にとっては、法外な出費であった。
Nighteveningを何処で区別するのかということになるが、夕食後がnightの範疇に入るという考え方もある。
江戸の庶民にとってはeveningnightは重要な意味があった。
まさにnightは就寝の時間である。
現代のように夜遅くまで楽しむと言うことは、よほどの裕福な連中以外はとても望めなかった。
街の商店の明かりが外に漏れる時間を過ぎると江戸の街は真っ暗闇。
足下提灯は夜外出するものにとっての必需品であった。
この真っ暗な闇は現代の東京でも、信号機さえも消えた先の東日本震災の時に、実証された。

閑話休題クリスマスとは一体何なのかと言うことになるが、キリストの誕生日、いわゆる降誕祭ということらしい。
とは言っても、キリストが厩で生まれたのが本当にその日だったのかとなると、これはほとんど眉唾もの。
降誕日などと言うのも後に作られたものだろう。
 
西行は“願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃などと詠んだ様に、釈迦入滅の日である陰暦215日に死ぬことを望んでいたらしいが、人の死などというものがそう簡単に思い通りになるものではなかろう。
釈迦の入滅なども当てにはならない。
各国によって使った暦に違いがあって、一致させることはなかなか難しい。
もちろん釈迦の誕生日なども同じことだろう。
さて西行は何時死んだのであろうか、おそらく望みは叶わなかったのだろう。
宗教に関した伝説や物語は後年に様々な理由を付けて作られたものが多い。
多くの人、外国人も含めて、12月25日がクリスマスとは思っているのだろうが、クリスマス期間というものが言われていて、翌年1月6日公現日まで続くと言われている。
この日にクリスマスの飾りなどを一切外すという。
正月7日間を松の内というのと似たようなものであろう。
この画はサンタクロースをイメージしたものだろうが、サンタクロースは聖ニコラスに纏わる伝説で、クリスマスの贈り物の習慣なども、もともとは聖ニコラスの祝日である126日の前夜、気づかぬように贈り物をする習慣に発してたのが、クリスマスの方へ移ってきたらしい。







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