ハナミズキの追憶
今街路樹などでよく見かけるハナミズキが小さな花を咲かせ始めた。
だが、昭和の三十年代に植物園でハナミズキの大木を見て、記憶が確かではないがその由来が記載されていたのをみた様に思うのだが、今から考えると、それなどは恐らく原木ではなかったかと思っている。
ハナミズキが街路樹に取り入れられたのはそう古いことではなかろう。
日本人ていうのは何ともチンケな生き物で、対戦国のものはすべて廃棄する様強制された。
あの当時外国語が日本語として定着していたような言葉でも、使ってはいけないなどということになって、それを使おうものなら、警察に引っ張られて散々締め上げられたと聞いたことがあった。
よく知られているのは、野球のカウントの仕方などがある。
ストライク、ボール、さらにはアウトなどという言葉を使わないで野球をやる、日本人の政治屋や官僚、あるいは軍部の阿呆さは特筆もの。
だが間の抜けた輩っていうのはどこにもいるもので、アメリカの国技として入ってきた野球そのものは禁止されていなかったようである。
とは言っても戦時中は野球どころの騒ぎではなかったであろう。
学校で使うノートなどと言う言葉も使ってはいけない言葉で、帳面と言わされたものである。
チンケなのは日本人全体というより、政治屋や官僚さらには軍部辺りが言い出すことで、多くの人々はそんなことは気にも懸けていなかった。
子供ながら、大人って阿呆なことをいうものだと思ったものである。
ハナミズキ辺りもその犠牲になって切り倒されたのであろう。
日本の軍部っていうのは、己が戦争を仕掛けておいて、己の阿呆さと不手際で敗戦へと導いてしまった、阿呆の集団であったと言っていい。
当時、子供ながら嘘を言うとき、大本営発表などと断わって、嘘の情報を流したものである。
大本営などというものは、子供にさえ馬鹿にされていた、阿呆の集団であった。
民衆にとって、真実を知る術はすべて闇の中に糊塗されていたと言っていい。
ありとあらゆる犠牲を民衆に押しつけていたのを思い出す。
それに乗った政治屋という阿呆の集団が借金まみれにも拘わらず、必要もない玩具を大枚をはたいて買い与える阿呆な国であってほしくはない。
文官の制御の聞かない軍部って怖ろしい。
もう松根油では飛行機は飛ばないんだよ。
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