徒然の書

思い付くままを徒然に

ハナミズキの追憶


今街路樹などでよく見かけるハナミズキが小さな花を咲かせ始めた。
日本における植栽は、1912年に当時の東京市長が、アメリカ合衆国ワシントンD.C.ソメイヨシノを贈ったその返礼として贈られたのが最初、1915年のことであったらしい。
日比谷公園小石川植物園などに植えられた。
原木は第二次世界大戦中にほとんどが伐採されるなどして、戦後小石川植物園で切株が発見された、原木は現在東京都立園芸高等学校にしか残っていない、とネットの記事に書かれていた。
だが、昭和の三十年代に植物園でハナミズキの大木を見て、記憶が確かではないがその由来が記載されていたのをみた様に思うのだが、今から考えると、それなどは恐らく原木ではなかったかと思っている。
ハナミズキが街路樹に取り入れられたのはそう古いことではなかろう。
 
日本人ていうのは何ともチンケな生き物で、対戦国のものはすべて廃棄する様強制された。
あの当時外国語が日本語として定着していたような言葉でも、使ってはいけないなどということになって、それを使おうものなら、警察に引っ張られて散々締め上げられたと聞いたことがあった。
よく知られているのは、野球のカウントの仕方などがある。
ストライク、ボール、さらにはアウトなどという言葉を使わないで野球をやる、日本人の政治屋や官僚、あるいは軍部の阿呆さは特筆もの。
だが間の抜けた輩っていうのはどこにもいるもので、アメリカの国技として入ってきた野球そのものは禁止されていなかったようである。
とは言っても戦時中は野球どころの騒ぎではなかったであろう。
学校で使うノートなどと言う言葉も使ってはいけない言葉で、帳面と言わされたものである。
チンケなのは日本人全体というより、政治屋や官僚さらには軍部辺りが言い出すことで、多くの人々はそんなことは気にも懸けていなかった。
子供ながら、大人って阿呆なことをいうものだと思ったものである。
ハナミズキ辺りもその犠牲になって切り倒されたのであろう。
 
日本の軍部っていうのは、己が戦争を仕掛けておいて、己の阿呆さと不手際で敗戦へと導いてしまった、阿呆の集団であったと言っていい。
そして己らの不手際を糊塗するように連日大本営発表などと、嘘八百の戦果を流し続けていた。
当時、子供ながら嘘を言うとき、大本営発表などと断わって、嘘の情報を流したものである。
大本営などというものは、子供にさえ馬鹿にされていた、阿呆の集団であった。
民衆にとって、真実を知る術はすべて闇の中に糊塗されていたと言っていい。
ありとあらゆる犠牲を民衆に押しつけていたのを思い出す。
今の自衛隊も数百回のスクランブルを行ったなどと言っているようだが、玩具ほしさの戯言か本物かは、民衆が知る術はない。
それに乗った政治屋という阿呆の集団が借金まみれにも拘わらず、必要もない玩具を大枚をはたいて買い与える阿呆な国であってほしくはない。
ただ、自衛隊辺りは、もう政治屋や官僚などと言うものの制御の範疇から抜け出してしまっているのだろう。
文官の制御の聞かない軍部って怖ろしい。
もう松根油では飛行機は飛ばないんだよ。







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