徒然の書

思い付くままを徒然に

庭の灯篭

一口に庭といっても、作られる意義や目的によってさまざまな庭ができ上る。
いくらか傾きかけた、ごく小さな庭に灯篭が風情を添えている。
茶室の庭ででもあるのだろうか。
今は千利休が言い出した草庵茶室などというもの流行らないのだろ。
古の茶道は荒壁むき出しの粗末というか、質素というのか、利休あたりのただの思い付きを取り入れて後生大事に茶室を作り続けた。
たかが茶を飲むことに精神修養を括り付けた、偏屈男の思い付きが今も形式ばかり重視の茶道というもの姿を変えて、この世に流れ続けている。
四畳半では足りずに、二畳の茶室何の意味がある。
ただの偏屈男の思い付きを取り入れていったはいいが、その偏屈ゆえに己の命をも差し出す羽目になった。
いま茶を修する人々は茶というものの心をどれほどの思いで、喫しているのだろうか。
いまの形式ばかりを重んじる茶道などの元祖とは言っても命と交換の偏屈では、あの世へ行ってつくづく思っただろう。
まさか命まで取られようとは・・・・しかし己の偏屈を押し通すためには命乞いはできなかったろう。
なぜ切腹を命ぜられたのか、今となっては謎のままだが、
秀吉のものの考え方の本質はその奥底には土百姓の物の考え方が違っていることを見落としたことだろう。
ど百姓がなまじ分不相応な権力を握ったばかりに、哀れな老醜をさらした。
秀吉の臨終間際の取り乱した哀れな姿を草葉の陰の利休はどんな気持ちで眺めていたろうか。
 
 



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