徒然の書

思い付くままを徒然に

医療薬剤関係の伏魔殿



健康保険制度が日本人の長寿の原因の一つではあるが、今の日本は長寿だと、喜んでばかりいる訳にはいかない国になっている。
院外調剤の処方箋を医師が発行すると、その処方箋に随った薬剤を調剤してくれるが、医師がその処方箋の薬剤の数量をを間違えて記した。
薬局から医師に電話して数量を訂正した。
翌月、同じ薬種と数量の処方箋をで調剤で、薬価が300円安くなった。
理由の説明を求めたところ、一〇梱包の薬剤を三梱包に訂正したからだという。
同じ薬種と数量の薬剤に拘わらず、医師の処方箋の数量書き間違えで、訂正したために薬価が300円も違ってくる。
処方箋の数量訂正は至る所で頻繁に行われているのは事実である。
その為に同じものを高い値段で購入する羽目に成るのは薬価の基準を作成するところに問題が潜んでいる。
調剤報酬点数表を見ると、関係のないものが見ても全く理解できない、伏魔殿である。
尤もこの伏魔殿、薬剤に関してだけではなく、医療関係に於いてもその診療明細を見ても全く理解できない項目で埋め尽くされている。
患者の負担が三割なら90円、一割でも30円の差が出てくるが、行政区画全体で見れば健康保険から支払われる金額は莫大なものに成る。
医師の処方箋の数量の記載間違の為に各所の調剤薬局に不必要な金額が流れることになる。
調剤報酬表に随って薬局は金額を受け取っているのだから、問題はないとしても、医師の数量記載違いによって起こる不必要な金の流れと負担者の経済的負担は何れにとっても馬鹿にならない。
 日本全国で見た場合どれほど不必要な金が、健康保険から医療、薬剤関係に流れ出ていることか、想像も付かない。何もこれは医療関係ばかりではなかろう。
調剤報酬表の作製と徴収点数の作成方法に問題が潜んでいる。
健康保険の保険料を管轄役所部門は請求あるだけ何の疑義もなく支払っていれば当然過剰支払い分が出てくる。
それが積もり積もって、健康保険料の大幅な値上げにつながることは、目に見えている。
こんな事は、薬剤関係だけに限らず、医療関係全般に行われている事だろう。
役人などという輩は己の腹が痛むわけではないから、請求の通り支払って、保険料で賄いきれなくなれば増額すればいいと、いとも簡単に思っている。
おおよそ政治屋や役人などというものは不都合があれば国民に押しつければ事たれりとする連中の集まりであるのは、昔も今も変わりはない。
大騒ぎするのは己らの懐に入る分が少なくなった時だけである。
民が己らの不手際で如何に損害を蒙ろうと、なんの痛痒も感じずに押しつけてくる。
これに文句も言わず、お上思想にどっぷりとつかった日本人という生き物の住む日本という国の民に於いてぐらいのものであろう。
如何に、お上思想に毒されてるとは言え、日本人という生き物について考えるとき余りにも侘しい民族である。
お上思想、畏るべき日本の思想である。
太古の昔から、黙々と民が随わされてきた畏るべき日本の思想。
フランスあたりのように、民が気に入らなければ断固反対する気概は日本という国の生き物には全くない。
フランスあたりでは、今でもストライキが行われ、民にとって不利益なことがあると断固として反対し政府を屈服させる気概がある。
燃料増税の大規模デモ、日本じゃ報道されないのは、おそらく政府の圧力みたいなものが明示か、暗黙かの内に掛っているか、メディアが政府に阿っているかだろう。
何とも情け無い国になったものである。
これなどはフランス革命の現代版と言っていい。
フランスの民には昔からそれほど、民の権利などを示す気概がある。
裁判の参審制にしても、日本のものとは大きな差がある。
日本で革命と言える様なものは起こりうるわけもない、腑抜けな民族ではあるが、せめていやなものはいやと言えるような生き物になってほしい。
参政権を行使することが民主主義だなどと思って、せっせと己の首を絞めに通う馬鹿さをもう一度考え直す時期なのでは・・・
明治維新が、日本人という生き物全体の意思で起こったのなら、現代の日本ももう少しましな国になっていたであろう。
 
 
 
 
 
 
 
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