徒然の書

思い付くままを徒然に

暑い夏


 
暑い夏がやってきた。子供の頃は夏の暑い時期ほとんどの時間、海で過ごしたから夏の暑さなど感じる事もなかったが、年を経るとこの夏の暑さが大敵のようである。
人間という生き物、赤系の暖色を見ると暑さが倍増し、青系の色を見ると涼しさを感じるというやっかいな生き物である。
従って、なるべくなら寒色系の画を載せたいのだが、なかなかそのように都合良くはいかないのが、世の常のようである。
夏の風物は海水浴場だがこんなところへカメラやビデオを持ち込んで撮影していると、カメラを取り上げられたなどという不届きが、行われているという話を聞いたことがある。
こんなところにまで、権力主義が現れているというのを聞いて、日本人という生き物の了見の狭さに不快を感じざるを得ない。
アメリカあたりの自由はちょっと行き過ぎだとは思うが、我が国のような至る所に権力が顔を出す了見の狭い人種って世界でも他には類を見ることが出来ない人種であろう。
お上思想が骨の髄までしみこんだ、何ともやっかいな人種ではあるが、権利意識が希薄で、ものの考え方が狭い様に古代から洗脳された結果なのだろう。
自由と自由がぶっかった時迷惑を掛けるであろう方を、事前に権力で規制してしまう。
諸外国では、自由と自由を規制する必要もないが、自由の結果迷惑を受けた方が、その損害を請求すればいいと考える。
その結果、迷惑を掛けた方は途方もない損害の賠償を請求され、裁判などでも、あっさりと認められてしまう。
何も権力に規制されて、縮こまった生き方をする必要はない。
それが自由というものであろう。
日本などのように、損害賠償を請求して、認められたとしても何十分の一の僅かしか認めないとすれば、事前に防衛しなければならないと言う口実を与えてしまう。
裁判官自体の権利意識の欠落による結果であろう。
それに目をつけるのが権力で、あっさりと人の自由を奪う法を作ってしまう。
日本人のものの考え方は狭量な島国根性と言われても、抗弁すら出来ない、ちんけなものの考え方しか出来ない。
それに目をつけるのが権力で、ここぞとばかりに様々な規制を法律化してしまう。
その結果はすべて己ら権力者の利につながる方法でである。
これが生活のどこにでも顔を出す、権力の仕組みなのである。
アメリカと我が国の国民の自由度を比較してみると、天と地、月とすっぽん保護の違いが分かるであろう。
民主主義だ、などと言っても、人間としての自由に関しては、我が国には無いと言っていいほど、様々な規制を受けている。
その規制するための理由などは何とでもつけられる。
人間、須く自由であり、そこで問題が起きたときに処理すればいいというのが、アメリカ流の合理的なものの考え方である。
ものの生産やあらゆる生活の中で、問題が起きたときに処理するという事が経済でも生産性を高める一つの方法である。
我が国のように事前に処理を済ませる方法では、経済の効率が悪くなるのは至極当然のことで、人間が生きていく上で、窮屈さを感じ自由を阻害される一つ、と言うよりもすべてであると言える。
而もこれは権力を誇示し国民を縛ることに生きがいを感じている権力亡者を悦ばせるだけの考え方と言えよう。
 
 



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