徒然の書

思い付くままを徒然に

2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

太平記の世界 その弐

新田軍を箱根竹の下で破った足利軍は、36年(延元1・建武3)正月に入京したが、京中合戦で敗れて後醍醐に追われて西走し九州へ逃れた。この途中、播磨室津の軍議で一族および有力武将を四国・中国の各地に配置することを決定し、備後鞆津で持明院統の光厳上…

太平記の世界 足利尊氏悪人と呼ばれて その壱

太平記自体を語ろうというのではない。 太平記に纏わって、現代においても様々な問題が起って居る。 それを思いつくままに書き連ねようと思った次第で、太平記とは全く関係ないように思ってもどこかで繋がっている、そんなことを断片的に思いつくままに書い…

弓削の道鏡 その四最終

清磨が持ち帰った結果から見ると、八幡神が神託を変更した結果となるが、果たして本当に神託が変更されたのだろうか、清麻呂の報告を確認した事実はない。 現代の様な通信手段が発達していない、時代の使者の返答に疑惑があったとしても、おいそれとは確認…

弓削の道鏡 その参

この時代の貴族などと言われる、公卿たちの頭の程度は密告、讒訴、讒言による保身については優れてはいるのだが、いざ問題が発生した時に適切な対応する能力は全く欠落していたと言っていい。 この後にも陸奥の国に産出し始めた金の略奪を試みるのだが、蝦夷…

犯罪に於ける科学捜査 その参

裁判に於いて鑑定を依頼する場合においても、鑑定の依頼の仕方によっては、その結果は逆を示すことだってあり得るだろう。 法医学の知識がないために、鑑定結果を本当の意味で理解できない者が寄り集まっていては、鑑定は意味を為さないという事も有り得る。…

弓削の道鏡 その弐

その奈良朝時代聖武は恭仁京、紫香楽恭、難波京などへ遷したが主な都は平城京であった。 その平城京によって象徴される奈良朝時代は血で血を洗う凄惨な権力闘争の時代であった。 藤原の邪魔なものを排除する常套手段は陰険姑息な手段を弄して、長屋王を謀反…

犯罪に於ける科学捜査 その弐

科学の発達は目覚しくアメリカあたりで開発された科学捜査の研究技術が我が国にも取り入れられているのだろうが、人間自体を科学する捜査は医学が必要なだけに、我が国でも太刀打ちできるだろうと思っていたが、ドラマを見る限り我が国の人間を対象とする科…