徒然の書

思い付くままを徒然に

裁判官と呼ばれる人々

 
 
裁判とは真実を発見するところだと、多くの国民は思っている。
だが、いま日本の裁判は真実を見つけるところではなくなっている。
日本の多くの裁判官には真実を見つけ出す能力も見識もなく、真実を見つけ出そうとする意欲もないと言う人もいる。
一度でも法廷を傍聴したことのある人なら納得するであろうが、被告人を巡り弁護士と検察との法廷ゲームのような感がある。
そのアンパイアが裁判官、だと言う。
証人尋問に至っては、予め答えを用意して、イエスかノーだけで答えさせる、更に証人の私生活や性格、更には身体的欠陥まで暴露させるような質問までして証人を弾劾しようとする。
そのゲームの中から、現実社会で起きた犯罪の真実を見つけ出すことは、非常な努力と見識を必要とする。
果たして今の裁判官にそれだけの能力があるだろうか・・・・・・と言うことは、訴訟の仕方によっては、反対の結果にもなりうると言うことである。
それが真実だと判断を下した裁判官自身、錯覚しているのである。
 
現象上の真実を発見することが目的なら、訴訟の巧拙などは全く問題にならない筈である。
敏腕検察官である必要もないし、腕利きの弁護士である必要もない。
何も高額な弁護料を支払って高名な弁護士を雇う必要もない。
イソ弁の国選弁護士で十分である。
訴訟の巧拙で、犯罪事実の認定に相違が出たり、量刑に差が出る様では、真実を見つけたとは言えない。
真実は神のみぞ知るなどと言ってもらっては困るのである。
国民の多くが誤解しているであろう裁判の姿と裁判官の特殊な人間性・・・・・
裁判官と言う職業はエリート中のエリート出なければ任官できない・・・・
エリートとは言っても人間的にも学識的にも衆に優れた人物というのではない、と言うことを銘記しなければならない。
 
現在の日本社会は学歴社会である。
朱子学儒教の時代である。
最近は私学出の裁判官もいる様であるが、それまでは殆ど官立の一流大学出でなければ、裁判官に採用されなかった。
頭が良くて、勉強が出来て、偏差値の高く、有名大学を出ないと・・・・・・
世の親の多くはそのように思い、子供の尻を叩く・・・・・
小さなころから、役にも立たない受験用の勉強に縛られ、官学の一流大学へ入り、司法試験をめざし優秀な成績で合格、司法修習生になっても試験に追われ、優秀な成績で卒業しないと裁判官の道は開けない。
この様な勉強と生活で培われるのが単なる受験技術でしかない。
官立の一流大学へ入ったからと言って、潜在脳に入る知識が1100万ビット/秒もの優れた頭脳ではないと言うことである。
 
子供の頃は塾通い、思春期に於いても女友達と遊ぶこともなく、大学へ進んでからの青春時代を謳歌することもなく、部屋に閉じこもって、法律書六法全書だけを相手にした無味乾燥な生活。
人間の機微も、人並みの楽しさも、人と接触することもなく過ごした、無味乾燥な歪な生活・・・・その期間があまりにも長い。
この様な幼年から青春時代を歪な環境で過ごせば、どのような人間が出来上がるのであろうか・・・・・・
その様な、人間としての特殊な姿は社会の様々な出来事をどのように捉え、対応できるだろうか・・・・・
 
生身の人間がおこす、特殊な社会事象・・・・・
その人間を理解していなければ、他人がする判断など表面だけのの形骸に過ぎない。
だから後に述べる様な苦しい言い訳の様な判断をしなければならなくなる。
青春を犠牲にした生き方は、なまじな事で取り返せるものではない。
 
世の中は法律がすべてだなどと、法律至上主義に凝り固まっては、国民が裁判に何を求め、何を期待しているか、なかなか理解できなかろ。
この世の中、法律一辺倒の法律至上主義の考え方では世界が狭くなる。
世のあらゆることがすべて法律で片が付くなら、こんな簡単かことはない。
だが、せめて一度は世間と言うものがどの様なものか、思考する余裕があってもいいのではないだろうか。
学者馬鹿、何々馬鹿と言われる様に、法律馬鹿では決して世の真実など追及できるわけはない。
特に裁判官と言う役目は、世の人々が世の中で起こる争いを、中立な立場で判断しなければならないのだから、並の人々よりもよく世の中の現象に精通していなければならない。
単に法律に精通していると言うだけでは務まらない職業なのである。
法律など人間が作ったもの、様々な矛盾や欠陥を内包している可能性がある。
解釈の仕方にもさまざまな意見の相違がある。
その法律を正しく解釈し、適用していくのが、裁判官の責務である。
謹厳実直が服を着て歩いていては、世の中の様々な事象を、見通すことは出来ないであろう。
今、ドラマなどで放映されている、アメリカの裁判風景などを見ると、
実に解放された雰囲気がある。
人権を尊重するあまり、凶悪犯を野に放たれては困る面もあるのだが・・・・・
 
参考文献にした書には
この後に取り上げている裁判事例では一審判決の無期懲役を、高裁判事が解き放った為に新たな犠牲者が出たことが取り上げられている。
経過を読んでいくと、これは明らかに裁判官の失態。
凶悪犯の再犯率が高いことを思うと実に恐ろしい。
通常の裁判なら、釈放されるはずのない人間によって引き起こされた凶悪な犯罪。
己の法解釈の誤りによって、釈放された人間が引き起こした凶悪な犯罪。
この裁判官、犠牲者にどの様に詫びるつもりか・・・・・裁判官と言う人間はただ謹厳実直なだけでは用をなさない。
世のあらゆる現象や人間と言うものの機微を知る必要がある、と言うことを肝に銘じなければなるまい。
歪な人生経験から生まれたものには、人間の機微など思い至らないのかも知れないが・・・・・・
この裁判の実際の記録を読んだわけではないので、参考文献に頼るしかないのであるが、どの程度の証拠があったのだろう。
凡そ自白に頼るしかなかったのかも知れない。
しかし唯一の証拠が自白であるとすれば、一審で無期懲役の判決が出るはずはない。
それは、憲法三九条三項で保障されている。
 
犯人しか知らない秘密を知っていた、自白の信用性の判断の法的根拠としていたようではあるが・・・・・・
 
ところが、この裁判官、この証拠を驚くべき理由で除けてしまったのである。
恐らく前代未聞と言うべき愚かな判断であったろう。
正確に言えば法律の無知がひき起こした無罪判決。
取り調べなどで被告の供述が変転していたのは事実で、留置に状況が自白の強要を行われる危険性があるとしている、そして自白の強要が行われたとのそしりを免れないとしてはいる・・・・・・
しかし、この後、自白を証拠として排除する理由が延べられるのだが、これが実に驚くべき前代未聞ともいうべき理由なのである。
法律馬鹿の法律の勉強不足と言うしかない。
即ち、連日の取り調べから、真摯な反省に基図いた事実を語り得ることが、はたして可能であったか大いに疑問である、と言うのがその理由。
自白についてはその任意性が非常に重要で、憲法でも三九条で規定されているが、刑訴法でもさらに詳しく規定されている。
 
だが、この裁判官の誤りは、自白と言うものの定義自体に関する誤謬なのである。
自白が真摯な反省に基づいた、真実を語ったものでなければと言う要件は一言も記されていない。
どの法律にも、どんな判例にも、はたまた論文や教科書などの学説にももそのような要件が必要だと主張されたものを見たことはない。
取り調べの鋭い追及に耐えかねて、自ら供述した場合であっても任意性なしとはされていない。
真摯な反省に基ずく供述でなければ、自白の証拠能力を認めないと言うのであれば、殆どの自白は証拠とは為りえないであろう。
何たる法的無知、もう一度法律の勉強をし直す必要があろう。
自白に真摯な反省が必要だと言う学説は未だ過って聞いたことが無い。
 
このことから思うのであるが、この裁判官が過去に携わった裁判はすべて再検証の必要がある必要があるかもしれない。
しかもこの無罪判決は、第一審で八十数回も真理を尽くして認定された事実を、殆ど書類審査のみでの控訴審で、無罪を断じたという。
そのことを思うと、裁判とは何ぞやと改めて考えさせられる。
この裁判の弁護を為した弁護士でさえ、この裁判官の判断には首をかしげていると言う。
凶悪な犯罪を犯した犯罪者であれば、真摯な反省に基ずく、自白など期待すべくもない。
 
この様な問題が起こるのは、日本における被疑者、被告人の人権を無視した取調べにも原因がある。
アメリカなどではミランダ警告など、被告人の人権を重視した規定が勝ち取られているので、この様な問題が起こることも少ないであろう。
弁護士の立会いなくしてなされた取り調べは裁判での証拠能力は否定される。
これが本来の姿であろう。
我が国の様な権威主義では望むべくもないが、これは当然勝ち取らなければならない重要な問題である。
日本の被疑者や被告人の取り調べは拷問とも言えるような過酷な取り調べが長期に渡り、やってもいない事柄を自白の形で供述することもある様である。
恐らく司法官憲の取り調べで、有罪の確証を得た後でなければ、弁護士との接見は認めていないのであろう。
黙秘権など認められてはいても、無いに等しかろう。
その様な自白を裁判官が見抜くほどの卓越した能力があるとも思えない。
その様な裁判だから法廷ゲームだと言われても仕方がなかろう。
確たる証拠がない場合、取り調べ供述から物証を得ようと試みるのであろう。
我が国における刑事裁判ではまだまだ、自白偏重は続くだろう。
アメリカの様なミランダ警告など夢のまた夢・・・・・
政治屋など、警察官僚の言うままであろう。
これが冤罪を産む一つの要因でもあろう。
 
 
 
参考文献 裁判官が日本を滅ぼす  門田隆将   新潮文庫
 
 
 
 
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長くなりすぎたので二つに割ります。
 
 

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