徒然の書

思い付くままを徒然に

マグダラノマリア

 
聖書の中のマリアとしては、イエスの母マリアよりもはるかに強い印象を与える女性として登場する。
エスにまつわる話しには絶対に欠かせない特別な女性である。
マグダラの女で、ルカによる福音書に依れば、七つの悪霊を追い出してもらったマグダネルと呼ばれるマリアはガラリアからイエスに付き従ってきたとされている。
7:48そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。
7:50しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。
それ以来、生涯イエスに付き従うことになる。
8:2また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、とルカ福音書には書かれている。
 
信仰と言う言葉の定義は、真実だと想像しつつも、立証できない物事を受け入れる事。
古代エジプトから現代の日曜学校に至るどんな宗教も象徴や寓話や誇張によって神を描いている。
 
このマグダラのマリアについて、ダビンチコードと言う小説が面白いことを書いている参照してみようと思う。
このダビンチコードと言う小説、世界で7000万部を売ったという人気で過我が国でも1000万部ものベストセラーになったという。
この数字自体も区々で、実数は確かではない。
ローマカトリックに対する真実の暴露を題材にしたものだが、この中にマグダラノマリアが登場してくる。
 
この小説、における芸術作品、建造物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている・・・・などと書かれたことが大ベストセラーになった由縁かも知れない。
 
真実とは言っても、古い文書や秘密結社の内情や儀式などはベールに包まれたものであり、それらの記述もすべてが真実とは、にわかには賛成できないことの方が多いであろう。
どれが真実でどれが曖昧模糊としたものであるかは読む人の気持ちしっだいであろう。
 
この本の主な登場者は・・・・・
フランス司法警察女性捜査官。
フランス司法警察中央局警部
イギリス人宗教史学者
 
この館長が殺された時様々なダイイングメッセージを残して逝くのだがその謎解きをしながら、話は進んでいく。
とは言っても、普通の推理小説とはちょっと事情が違う。
殺人犯を推理しながら解き明かしていく体のものではないからである。
 
一番面白いのは、殺された館長の死体が、ダビンチのウィトルウィウス的人体図そっくりな姿で発見される。
その上、流された血によって、自分の腹に五芒星を書いている。
このメッセージは何を意味するのか、教授と女捜査官の推理が始まる。
司法警察の警部と言うのが、大物視されているとは言うが、どうにも始末に負えない、愚鈍な警部・・・・・
このハーバードの教授は初めから犯人視されているのだが、愚鈍な警部のおかげ世悠々と逃げ切っている。
尤も、こんなのはこの小説では添え物にしか過ぎないのだが・・・・・
その中から、関係のありそうな部分を抜粋しながら、文を作ってみようと思う。
 
シオン修道会テンプル騎士団までが登場するのであるが、これらについても歴史的に、決定的な真実であるという文献は見当たらないのではないかと思っている。
登場者に、これらに関する伝説程意見の分かれるものはないだろうと言わせている様に、真実などと言うものとは程遠い存在のものである。
マグダラノマリアにしても、これが真実だと証明するのもは何もない。
読む者にとって、自分の意見と合わない者には、出鱈目ばかり書いているような印象すら受けるであろう。
だが、ローマカトリック教会の権力に物を言わせた行動には、信用できない部分が多々ある様な気がする。
 
シオン修道会は十字軍の一指揮官によって、一族の秘密を保持するための組織として作られた。
その修道会がソロモン王の神殿に立てられたヘロデ王の神殿の廃墟に、有る文書が隠されているという情報を得て、その秘密文書を見つけ出して真実の証を守り続けることを・・・・・・目的としている。
その為に作られたのがテンプル騎士団なのであるが、最初は九人の騎士で構成されるが、キリストとソロモン神殿の清貧騎士団と言われるものだという。
巡礼保護が目的だと言われていたが、この騎士団の歴史は史実と伝承と誤った情報が絡み合い真実を見つけることは難しいという。
巡礼保護は隠れ蓑で本当の目的は廃墟から文書を見つける事だったらしい。
確かなことは不明だが、この騎士団が何かを見つけ、その結果計り知れないほどの富と権力を得たと言われているのが研究者の一致した意見の様であるという。
この何かが、聖杯と言うものにすり替わり話が進んでいくのだが、その聖杯とはマグダラノマリアの遺骨と言うものにすり替わって、話をややこしく進める原動力ににしている。
 
そもそも聖杯と言うのは、最後の晩餐に使われたキリストの杯であり、処刑の時にキリストの血を受けた杯であると言われている。
これまでも様々な小説や映画などにも聖杯さがしの物語のモチーフとして登場している代物である。
その度に聖杯と言うものが何を意味しているのかはっきりと決まっていないと言った方がいいのだろう。
 
のっけに、パリのルーブル美術館の館長が殺害されるという出だしの、推理小説ではあるが、先にも出てきた事柄の歴史的な概要を知らなければ、全く面白くもない話の連続で、読みながら推理を働かせるなどと言うことのできない代物である。
推理小説とは言っても、館長殺しの犯人探しと言うより、聖杯さがしといった内容のもので、これまでの物語の様に、聖杯とは何ぞやと言うことに尽きる様である。
 
聖杯を理解するためには、聖書の理解が必要である。
聖書は神すなわち天国で作られたものではなく、人間の手になるものであるということ。
混沌とした時代の史記として人間が作ったものであり、数限りない翻訳や増補、改定を経て、徐々に作られた。
聖書の決定版と言うものは史上一度も存在したことはないと言われている。
新約聖書を編纂するに当たっては八十を超える福音書が検討されたと言われているが、採用されたのは、僅かマタイ、マルコ、ルカ、、ヨハネの各伝にしか過ぎない。
この小説では、この新約聖書を編纂したのは異教徒のローマ皇帝コンスタンティヌスヌス帝だという。
このコンスタンティヌス帝は後に無理やりキリスト教徒に改宗させられるのであるが、この時は未だ異教徒であったと言われている。
面白いのは、このコンスタンティヌス帝が、キリスト教が新たな伝統を確立する必要に迫られて、ニケーア公会議を開催した。
この会議で様々な事が論議されたのであろう。
その時に、イエスを神とするかどうかについての評決も行われた。
その時点までは、信者たちは人間の預言者だと考えていた・・・・・
影響力のある偉大な人物とは認めてもイエスは人間とみなされていた。
ここまで来ると、マリアの処女懐胎も疑わしくなってくる。
エスはマリアの婚約者ヨセフの子であり、ソロモン、ダビデ王の末裔であり、ユダヤの王の権利を持っていたことになる。
この説を取ると旧約から延々と続いたアブラハムからダビデ系図が書かれたのが生きてくる。
 
エスが人間である以上当然妻帯したことが視野に入ってくる。
新約聖書には何処にも妻帯していたとも、していないとも書かれてはいない。
グノーシス主義福音書の中のピリボによる福音書には・・・・・
そして主の連れはマグダラノマリアである。キリストはどの弟子よりも彼女を愛し、しばしば唇に接吻した。ほかの弟子たちはこれにいらだち、非難の意をあらわにした、と書かれている。
妻とは書かれてはいないが、アラム語学者によると、この時代「連れ」とはまさしく配偶者を意味したのだという。
これを裏書きするようにダビンチもその絵画で、マグダラノマリアをイエスの配偶者として描いているように見える。
最後の晩餐の画を、岩窟の聖母の画をモナリザの画をつくづくと眺めると、今まで思っていたことと大いに違っていることに気付くかもしれない。
ダビンチはこの最後の晩餐の画の中で、イエスの隣に座っているのが、マグダラノマリアであると言いたいのだという考え方もあるらしい。
 
要はマグダラノマリアがイエスの妻であり、その間に子をなし、その子孫が現存する。
などと言うのが事実とすれば、カトリックの教会が聞けば目を回すほどのことを題材にしているのである。
それ故カトリック教会によってマリアは娼婦と貶められたのであろう
エスがマグダラノマリアと夫婦であり子を成したということは、イエスは神ではなく人間であったということなのだから、キリスト教の根本の否定になってしまうのだから・・・・・・・
 
キリストの聖杯などと言うもの、どんな場合でもその正体は闇の中・・・・
決定的な証拠があるわけではない。
 
このダビンチの最後の晩餐にマグダラノマリアが描かれているとしても、イエスの杯、聖杯などは描かれてはいない。
杯の記号はⅤで表せるが、男を表す∧に対するⅤは女を現す記号であるという。
即ち杯とは女を表すという。
それゆえかテンプル騎士団の騎士たちが、マグダラのマリアの遺骸に祈りをささげていたのが理解できるように思う。
即ちマグダラノマリアの遺骸が、聖杯なのだというのである。
 
小説を読むというより、登場するもの、聞きなれない言葉が頻繁に現れる。
一つひとつを検索して知識を深めるのにいい本かも知れない。
フィボナッチ数列とか、五線星形、や六線星型などを調べても随分と知識が増える様の思う。
ただ、レオナルドダビンチのモナリザや五線星形や六線星形などが出てきたり、更にはフィボナッチ数列などと言う普段はあまり耳にしない言葉まで出てくる。
最後の晩餐や岩窟の聖母などのダヴィンチの絵画が出てくるので、この際調べてみるのも、結構楽しい。
五線星形は五芒星、六線星形はダビデの星などと言われ、ほんの僅かに調べてだけでも、とても広がりを見せてくれる。
ダビデの星、先に書いた記号の男と女の完全なる融合の姿、ソロモンの紋章・・・・
 
この本の面白いのは、今までのカトリックの考えとは全く違ったものであり、文献の読み方や考え方で、如何にでもなるということなのかもしれない。
この小説の嘘を暴くなどと言う文を見かけることがあるが、この小説を書くにあたって膨大な資料を集め、自分なりに解釈し、検討した結果の作品であろう。
その様な資料集めも努力もしない輩が、半端な知識で嘘だとか間違いだらけの記述だというのは論外な議論であろう。
大体が、わずか2~300年ほどしか経過していない過去の歴史の記述にさえ信が置けないのだから、2000年以上も前の史実の真実を探ること自体が無理な話なのである。
それぞれの歴史の時代時代の権力者に都合の悪い史実、しかも己の権威と権力を守るためには様々な策謀を行い事実を曲げ、あるいは隠蔽される。
その様な史実資料に真実などあるわけがない。
 
 
 
 
雨あがる
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
出先で大粒の雨粒を落としていた雨も、帰り着くころには日差しさえ見せ始めて、急速に晴れ間が広がっていた。
帰り着いて、窓から山並みを眺めると、湧き上が雲、急速広がる青空・・・・
その自然の演出の面白さに見惚れていた。
画になるかどうかわわからないが、イメージとしてはとても面白い様な・・・・・
山並みを一望できるところを探しながら・・・・・
その間にも雲の切れ間がどんどん広がって、もう一面青空の様相を呈し始めた。
 
 
 
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