親子の情・・・・・・
旧約に列王記と言うのがある。
そこにソロモン王の項目がある、いまその中のソロモン王の処を読んでいる。
ソロモンが王位に就くに一悶着あったらしい。
旧約の所々を抜き書くと・・・・
王ダビデが老いさらばえてしまったので、ハギテの子アドニヤは高ぶって、「わたしは王となろう」と言い、自分のために戦車と騎兵および自分の前に駆ける者五十人を備えた。
パテシバは王に言った、「わが主よ、あなたは、あなたの神、主をさして、はしために誓い、『おまえの子ソロモンがわたしに次いで王となり、わたしの位に座するであろう』と言われました。
そうであるのに、ごらんなさい、今アドニヤが王となりました。
王わが主よ、あなたはそれをごぞんじないのです。
ダビデ王は『あなたの子ソロモンがわたしに次いで王となり、わたしに代って、わたしの位に座するであろう』と言った。
とソロモン王の成立である。
油を注ぐと言うのは神が特別の目的のために人を選ばれたことを示すことをこの様にいうらしい。
ソロモン王は賢い王の様で、実に巧く神にも取り入っていたようである。
次を読み進んでいくと、何か聞いたような話が出てくる。
何処で聞いたのか、あるいは読んだのか、思い出せないでいたのだが、ソロモン王が断を下した段にになって、漸く大岡政談の一幕に気が付いた。
その聖書の話を抜き書きしてみよう。
さて、ふたりの遊女が王のところにきて、王の前に立った。
ひとりの女は言った、「ああ、わが主よ、この女とわたしとはひとつの家に住んでいますが、わたしはこの女と一緒に家にいる時、子を産みました。
ところがわたしの産んだ後、三日目にこの女もまた子を産みました。そしてわたしたちは一緒にいましたが、家にはほかにだれもわたしたちと共にいた者はなく、ただわたしたちふたりだけでした。
ところがこの女は自分の子の上に伏したので、夜のうちにその子は死にました。 彼女は夜中に起きて、はしための眠っている間に、わたしの子をわたしのかたわらから取って、自分のふところに寝かせ、自分の死んだ子をわたしのふところに寝かせました。
わたしは朝、子に乳を飲ませようとして起きて見ると死んでいました。しかし朝になってよく見ると、それはわたしが産んだ子ではありませんでした」。
ほかの女は言った、「いいえ、生きているのがわたしの子です。死んだのはあなたの子です」。初めの女は言った、「いいえ、死んだのがあなたの子です。生きているのはわたしの子です」。彼らはこのように王の前に言い合った。
この時、王は言った、「ひとりは『この生きているのがわたしの子で、死んだのがあなたの子だ』と言い、またひとりは『いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのはわたしの子だ』と言う」。
そこで王は「刀を持ってきなさい」と言ったので、刀を王の前に持ってきた。
王は言った、「生きている子を二つに分けて、半分をこちらに、半分をあちらに与えよ」。
すると生きている子の母である女は、その子のために心がやけるようになって、王に言った、「ああ、わが主よ、生きている子を彼女に与えてください。決してそれを殺さないでください」。しかしほかのひとりは言った、「それをわたしのものにも、あなたのものにもしないで、分けてください」。
すると王は答えて言った、「生きている子を初めの女に与えよ。決して殺してはならない。彼女はその母なのだ」。
イスラエルは皆王が与えた判決を聞いて王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。
旧約聖書列王記上3章より抜き書き
思い出してみると、大岡政談のドラマで見たことを思い出した。
二人の母親に子供の手を引っ張らせて、子供の泣くのを見て手を放した方を親と認めた。
負けるが勝の諺の通りに・・・・・
大岡忠相このソロモン王の話を知っていたのだろうか。
それとも大岡の頭の働きが機敏だったのか確かではないが、実によく似た話ではある。
大岡はそれを知っていて、とっさに試みたのであろう。
さすがに頭の切れは素晴らしい人物だったようである。
今の裁判官だったら、証拠だ、証拠を示せ・・・・DNA鑑定だなどと頭の使いようとは無縁の処断・・・・・マニュアル人間の人間味がない処置なんだろうねえ~
あのドラマを見た時は、随分機転の利く頭脳の持ち主だったのだなあ~って関心もし、時の将軍に重要視されるのも頷けるな~って関心もしたのだが・・・・・
この旧約を読む、今の今まで知らなかった、己の無知の方が恥ずかしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー