徒然の書

思い付くままを徒然に

写真のない写真集

 
昔、アンデルセンの 絵のない絵本 と言う短編集を読んだことがあった。
読んだのはもう半世紀以上も前の事だったろうか。
ほんの百ページに満つるかどうかの薄っぺらな文庫であったと記憶している。
 
確かこんな出だしの本であったような気がする。
不思議な事です。私は何かに深く心を動かされている時は手足と舌(だったかな?)が私に縛り付けられた様になってしまうのです。
心の中に生きいきと感じている事でも、それを絵に描くこと書くこともできなければ、言い表すことも出来ないのです・・・・・こんな意味の事だったと思う。
毎夜、窓から月を眺めている。
この男、孤独だったのかなあ~って思ったものだ。
それでも、月が私の話すことを描きなさい、と色んな話をしてくれるようになる。
毎夜、月と話をしてるんだよね、月が世界中の色々な話をしてくれる。
昨日の夜は月はこんなことを話してくれたなどと・・・・・・
何だか侘しくなっちゃうよね。
 
写真ではそうはいかないよね、話だけでは幻だものね。
写真は目で見たものが頭の中でどのように昇華するかが問題なんだよね。
実際に物が存在しないと、撮ることは出来ない、ここが画と違うところなんだよね。
写真を撮るとき心に浮かんだ生き生きとしたものが、心を動かし、イメージとして湧き上がってくる、そのような時でなければ殆ど撮ることは出来ない。
それが人間を動かす衝動と言うものであろう。
結果、画になって、がっかりすることはあるが、それは撮る技術が稚拙なだけだ。
イメージとして浮かばないものは殆ど撮らない、というよりも撮れないんだょね。
 
それがこの画描きの様に、金縛りにあってはこれはもう救い様がない。
だからこの薄い小さな本が私の画の反面教師なのかもしれない。
とは言ってもあのころ、子供の頃は写真を撮りたくても、カメラを手に入れるのはとても難しく、殆どは裕福な友のカメラを借りて撮ったものだが、現像に出したものが出来上がってくるのがとても楽しみであった。
今の様に写真についてのテクニックを書いた本などあるはずもない。
フィルムの外箱に書かれた、天候による絞りとシャッタースピードの目安が唯一の教師であった。
 
ここまで書いてきて、急にもう一度あの薄い本を読んで見たくなって、探し出して読んで見ると、とても新鮮な感じがした。
 
このアンデルセンに登場するのはそれでも私は絵描きなのです、というように、絵描きなのだが、月との対話を楽しんでいるような絵描きさんなのです。
絵のない絵本をもじって、写真のない写真集と題してして、ちょっと気の付いた短い文を抜粋してみるのも面白いかも。
 
月は世界中の色んな時代の、色んなところ、色んな人々の生活を見てるからとても話題が豊富なんだろうね。
月が眺めたいろんなことをこの絵描きに話してくれるのです。
世界の歴史上の様々な出来事や事件を月はすべて見てきた、何千年にも亘って・・・・・
思いつくままに、ほんの奔りだけを記してみるのもいいかもと思っている。
この本全部を書いても、三十話ちょっと・・・・
そのうち面白そうなものを、折に触れて書いてみるのも面白いかなと思っているのだが・・・・・・
 
今日はポンペーの話をして上げよといって、あの有名なポンペーの話などもしてくれたようです。
月は墓場通りと言われる郊外を照らしていた。
美しい記念碑がいくつも並んでいた。
その昔、若者たちが、ギリシャ神話に出てくる、ライス姉妹と言われる遊女たちと踊ったところ・・・・・・
観光団が入ってきて、墓の中から蘇った街を見物に来たのです。
それは死の都でした。
ただベスビオの山だけは、愛も変わらず永遠の賛歌を轟かしていました。
その一つ一つの詩句を、人間共は新しい爆発と呼んでいるのだと・・・・
大理石の敷き詰められた、ヴィーナスの神殿の背景にはベスビオの山が黒く聳え、そこから噴き出る火は笠松の幹のように立ち上っていました。
 
因みに、ポンペーはイタリアベスビオ火山はカンパニュア地方の古代都市でさいせいきのAD七十九年、ベスビオ火山での噴火埋没したが、十八世紀に発見、発掘された。
当時の生活文化を知る史跡となっている。
 
昔読んだ話とか、最近読んで興味の湧いたものをひまに任せて書きなぐる程度しかできないのだが、気の向いたままを書き綴ることは、意外と楽しく感じているのかも知れない。
 
アンデルデン 絵のない絵本  矢崎源九郎訳 新潮文庫
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
(本ブログの全ての写真は著作権を留保。無断使用・転用・転載・複製を禁ず。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー