徒然の書

思い付くままを徒然に

神 曲

地獄を旅するダンテ。
我が国では神曲で通っているが原題は神聖喜劇である。
神曲森鴎外が即興詩人の翻訳の中で使って以来、定着したようである。
地獄、煉獄、天国からなる長編韻文で、14,233行にもなるという。
この神曲は出版各社から訳者が違う三種類が出ているが、読み易さは人それぞれであろうが、受ける感じは全く違ったものである。
 
人生の定命七十年として、ダンテは千二百六十五年の生まれ故、千三百年が推定される。
本文中の記載から推して、その年の聖木曜日に暗い森に迷い込み、聖金曜日の四月八日の夕刻地獄へ旅立ち、凡そ一昼夜を要して、復活祭前夜に当たる翌九日の日没直後、再び地上の人となった。
と註記されている。
丁度一昼夜で、地獄九圏を巡ったことになる。
 
ダンテが人生の半ば三五才の時に、暗い森の中へ彷徨いこみ、その森を出て丘を指して登ろうとするが、獣に行く手を阻まれて絶望したところで、ウエルギリュウスに出合うところから地獄篇が始まる。
一口に地獄と言ってもその形態は全く違い、魂の受ける刑罰も全部違ったものとして描かれている。
 
さて、こんな処で、ウエルギリュウスに出合うのが不思議なのであるが、天国にいたマリアやヴェアトリーチェが辺獄にいたウエルギリュウスに、ダンテの困惑する姿に接して、案内を依頼したという設定である。
このウエルギリュスが地獄篇から煉獄編まで共に旅することになる。
此処でウエルギリュウスについて説明すると、紀元前七十年ごろの、ローマ最大の詩人で、トロイア戦争の英雄アエネアスを書いたとされている。
現在は地獄の辺獄に多くの詩人や英雄たちと共に住んでいる。
 
天井の高貴な女性マリアが同情して、ヴェアトリチェが彼の難儀を救いに使わされウエルギリュウス救いを求めたのだという。
暗黒の森を抜ける間に、ダンテとウエルギリュウスとのやり取りがあるのだがそれはさて置き、地獄の門に到達する。
中世の西洋の都市は城と町が一体となって城壁に囲まれ、町への出入りには城門を通る必要があった。
この地獄の門もその実景によるところの門であったろう。
城門上には扁額様のものが掲げられたりするのであろう。
我が国でいう門とはいささか趣を異にする。
 
地獄の門に差し掛かると、
憂いの国に行かんとするものは我を潜れ
破滅の人に伍遷都するものは我を潜れ
吾を過ぎんとするものは一切の望みを捨てよ
門には銘が刻まれている。
門のうちではつむじ風に吸い込まれた砂塵のように、生前何れの党派にも属しなかった人々の亡霊が、蜂や虻に射されながら走り回っている。
誉も謗りもなく、生涯を送った哀れな連中の亡霊の姿である。
天国からも地獄からも拒否された連中、死の希望さえもない奴らだ。
何れの党派にも属しなかったという表現は、善行もしないがが悪行をもしなかった人々を指すということを意味するのだろう。
只々怠惰に、無為な人生を送った連中のなれの果てである。
我が国でいう三途の川すなわちアケロン川さえも渡れない連中がうごめいている・・・・・・
人間息を止めたら、すべてが三途の川を渡るものと思っていたが、こんなところに東洋と西洋の違いが垣間見えるとは・・・・・
そこには高い声、かすれた声など耳を聾する騒音が渦巻いている。
未だ三途の川を渡る前に既に、地獄の門が開かれているのである。
その光景を見ながら進んでいくと、河原に人々が集まっている。
三途の川である。渡し守が近づいてきて、亡者どもに向かって叫んだ。
わしは貴様らを永劫の闇の中酷熱氷寒の岸辺へ連行するために来た。
生きているものはこの三途の川は通れない。
 
此処で我が国の三途の川について触れてみよう。
三途の川の考え方自体にも諸説があり、正確な処は確かではない。
広辞苑などを見ると、人が死んで七日目に渡るという冥途への途中に在る川。
河中に三つの瀬があって、緩急を異にし、生前の業の如何によって、渡るところを異にする。と書かれている。
仏教典、十王経に書かれているという。
この川は彼岸と此岸と別けて流れる川であるが、この渡河方法に三種類あったとされているが、ある時期恐らく平安期の末頃には渡船に依ったと言われている。
その渡船料が六文であったと言われているが、平安期の貨幣としては如何であったろうか・・・・・
三途の川には懸衣翁や脱衣婆などがおり渡船料を持たない者の衣類を剥ぎ取ったと言われている。
また懸衣翁は剥ぎ取った衣類を傍らの木の枝にかけ、枝の撓り具合で、罪の重さをはかったとか・・・・・
平安朝の通貨は中国にならった銅銭、和同開珎が造られたりした様であるが、材料不足で流通したのはほんの僅かな地域で、全国に流通していたわけではない。
朝廷近辺のわずかな地域での流通であったろう。
従って、銭のなき者は、脱衣婆により衣服を剥ぎ取られたことであろう。
人間っていう奴、死んでからもいろいろな煩わしいことに出合うことになっている様である。
地獄の門とか三途の川は死者しか通れないのであるが、生きてる人間共は死についての判断さえもはっきりとした基準さえ出してはいない。
現世で死んだとされるものが、三途の川で追い返され、蘇った例は少なからずみることが出来る。
人間の傲慢で、科学的には死んだとされたものも、三途の川で生きてるとして渡河を拒否されたり、閻魔の取り調べを拒否されることがあるかもしれない。
特に脳死は死であるなどと、臓器を取り出すこともあると、聞いたことがあるが、これなどは人間の傲慢、と言うよりも医術の傲慢というものだろう。
 
渡し守が向こう岸について亡者どもを下ろしている間にも、こちらの岸辺には次々に亡者どもが集まってくる。
神を畏れぬ者どもは皆ここを通るのが定め・・・・
ダンテは渡し守に、お前は生きてるな、生きてるやつは渡せないと渡河を拒否されている。
 
渡し守は言う、
他の道、他の港を通って、浜辺に来るがいい、ここを通すわけにはいかん。
お前にはもっと軽やかな船が似合いだ。と
 
地獄へ行くのに他にも道があるのだろうか・・・・・
ダンテはそれを示してはいない。
稲妻が走り、大地が鳴動し、その恐ろしさが五感を奪った。
昏睡に落ちた人のようにばたりと倒れた。
ダンテには恐らく渡河の方法をどの様の書けばいいのか、思いつかなかった、その結果の誤魔化しであったろう。
気が付いた所は渡河した後の地獄の辺獄であった。
その気が付いた時から、一圏の辺獄の旅が始まるのだが、それはまたの機会に・・・
 
神の怒りに触れて死んだ者はみんな各地から此処三途の川の浜辺に集まってくる。
そしていそいそとこの川を渡る。
と言うのも神の正義が彼らを駆り立てるから、恐れが望みに転化するのだ。
善良な魂がここから川を渡ることはついぞない。
 
キリスト教の地獄は永劫の呵責とある様に、仏教の転生思想と異なり、一旦そこへ落ちれば永久に救われる望みはない。
無の中に消滅することが可能なら、永久に責め苛まれるよりも、それを望むであろうが、彼らにはその希望さえもない。
キリスト教では、肉体は滅びても魂は永久であると考えられているからであるという。
キリスト教信奉者は天国へ行けるものと思っているとしたら、大きな間違いであることも・・・・・・
未来永劫救われることのない、地獄の責め苦を覚悟しなければならぬ者も随分といるだろう。
 
尤も、この地獄にしても煉獄、天国にしても、ダンテが見たこともない世界であり、彼の想像から作り出された地獄であり煉獄であり、天国なのである。
 
ここまでは地獄のほんの入り口で、生前の行いによって更なる深みへと送られる。
ただ、この天国とか地獄とかいう思想は何時の頃からどの様にして発生したものであろう。
初期のキリスト教の世界では果たしてこのような思想があったのだろうか。
恐らくカトリックが力を付け始め民を脅す材料として使われた思想ではなかったろうか。
 
ギリシャ神話では天界に対する地界すなわち冥界なるものは有ったが、神曲でいう様な地獄とは区別されなければならない。
 
我が国の神話の世界には、黄泉の国はあっても地獄極楽などの思想はなかった。
恐らくギリシャ神話でいう冥界に類するものではなかったろうか。
 
閻魔や牛頭、馬頭など古代インドの思想が、仏教と結びついて中国へ伝えられ、それが更に道教などと結びついたものが我が国に入ってきた。
平安時代にさえ、地獄思想などは見られなかったのではなかろうか。
この世に未練や怨みを残して逝ったものは鬼として蘇ると考えられていたのかも知れない。
これは随分と遅い時期、11世紀の今昔物語、13世紀の宇治拾遺集などを見ても、鬼と言われるものは出てくるが地獄と言う言葉は見当たらない。
この鬼と言うものも捉え方は様々で、生の世界を犯す異界の存在と見る人が多い。
その鬼のイメージの違いは社会的なイメージの様相の違いによるもので、異界をどの様に見るかによってその現れ方も違ってこよう。
我が国でいわれる鬼は悪鬼から鬼神まで、非常に多様な現れ方をしたため、特定のイメージに固定することは難しい。
この世に恨みを残して逝ったものは祟り神として祀られることがあるのは、怒りを鎮め、災厄を免れるための祈りから発せられた思想であろう。
菅原道真平将門が祟り神としては有名であるが、この祟り神と認定するのは大国主神であったらしい。
その祟り神が、現代において学問の神として、崇め奉られるのだら、人間とはいとも不思議な生き物ではある。
平将門が地獄へ送られて、地獄の責め苦に苛まれたという話はついぞ聞いたことが無い。
 
恐らく、仏教が中国より入ってきて、末法思想が言われ始めた、鎌倉期以後に地獄、極楽などの思想、現れたのではなかろうか。
これとても人々を恐れさせ、仏を信じさせるための一つの手段であったろうと推測しているのだが・・・・・・
 
これには何の根拠もない、単なる推測でしかないのだが・・・・・
 
キリスト教では一旦地獄に落ちた魂は未来永劫救われることはなく、地獄の苦しみを受け続ける。
仏教に於ける輪廻の思想のように一定の期間の経過によって、生まれ変わる、すなわち転生するということはない。
 
失楽園で悪魔が落とされる火炎地獄も、当然創世記神話の時代であってみればダンテの言う様な細分化された地獄とは違っていたろう。
悪魔が地獄から立ち上がって、地獄に落とされた天使どもを糾合し、再び神に立ち向かおうとするのだから・・・・・・
 
いずれにしても、現今は天国地獄の思想が行き渡っており、悪行の種類や程度によって、閻魔大王や十王の裁判を受け、ミノスの尋問に晒されなければならない。
その結果、それぞれの行先は多岐に分かれている。
 
この天国地獄の思想を信じる人は・・・・・・
俺は天国へ直行だという人はいい、そうでない人は今までの人生を振り返ってみて、何処へ配属され、どんな責め苦を受けるのだろう、と考えてみるといい。
今からでも遅くはない、少なくとも善行と言えるような行いを一つでも二つでも、積み重ねておくといい。
 
この後は、折を見て・・・・・生前の悪行に対する地獄の責め苦がどんなものなのか。
 
神曲 地獄篇  寿岳文章        集英社文庫
                      平川祐弘訳  河出文庫
           
 
 
 
 
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