徒然の書

思い付くままを徒然に

徒然草二十六段 うつろう人の心


 
桜花  とく散りぬとも  思ほえず  人の心ぞ  風も吹きあへぬ   貫之
 
 
色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける。    小町
 
 
風も吹きあえずうつろふ人の心の花になれにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、わが世の外になりゆくならひこそ、なき人の別れよりもまさりて悲しきものなれ。            徒然草
 
 
 
風も吹ききらないのにさっさと散って行く花ではないが、まるで花と同じように移り易い人の心に、慣れ親しんだあのころの年月を思い忍ぶとしみじみと聞いた、相手に言葉、言葉のどれにも忘れられないものがありながら、いつの間にか自分とは違った境涯に離れ離れとなってゆくのがこの世のならいとは言いながらこの生き別れは死別より以上悲しいものだ。
 
この段の前段は無常観に根差して、人との別れの悲しさを詠嘆したものであろう。
会うは別れの始めとも言うが、世の多くの人々は様々に多くの別れを体験したことであろう。
その中で祖父母や親との死別は悲しいには違いないが、これは人間としての定め。
遅かれ早かれ、必ず経験しなければならない。
人の心は移ろいやすい、花の散るのよりもはるかに早く移ろうことを嘆いているのが、貫之や小町ばかりではあるまい。
兼好の言うようにわが世の外になりゆくならいこそ・・・・・亡き人との別れよりも、まさりて悲しきことはない、というように、心が離れて去ってゆく人との別れは悲しいもの・・・・
子供の頃の別れは友が転校していくなどの、距離的な別れも悲しいものではあるが、それは一刻のもの・・・・・
心に負担を残す様なことはあまりない。
心から理解しあえていたと思える人との別れ・・・・・
これなども様々な人と人との関係が考えられるが、色の見えない人の心、花の散る様に移ろう人の心・・・・・・小町の言うように世の中の人の心の花にぞありける、と言いたくなるような心境になるのであろう。
それは何も自分だけが思う事ではなく、相手にとっても同じ事であろう。
相手が去ったのか、己が去らせたのか、人間と人間との間の関係はそれ程単純ではなかろう。
 
改めて、人との別れについて考えてみると、人生において必ず出会うこの別れと言う悲しみには、何度となく出会わなければんらないが、尤も悲痛なものは死別であろう。
相手が健在でありさえすれば、どれ程決定的な別離であっても、再び会いまみえる可能性は残されている。
死別の場合は再び相いまみえる事は有り得ない。
死別の悲しみを味わったものにとっては、そのように思う事によって己の心を慰め得ようとする。
 
 
参照文献 
徒然草                  三木紀人訳注   講談社学術文庫
 
 
残照


撮影から帰り着いて、書斎の窓から眺めると、消えゆく美し残照に行き会った。


僅か二枚の撮影で電池切れ・・・・・


残照が全く消えゆくまで、その変化の美しさに、ただ息をのむばかり・・・・・・


暮れなずむ、山々を眺めると僅かに残る残照が美しい。


その美しい残照が僅かの間に悲しげに、世に名残を残しつつ、その姿を消していく。
 
 
 
 
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