徒然の書

思い付くままを徒然に

水天一色、上下空明


秋の澄み切った真っ青な空。
夕暮れが近づくにつれて、真っ青な空が群青色に変わるとともに、山の端に添って夕焼けの空に変わりつつある。
枕草子の春はあけぼの、やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる、というのも結構風情があるが・・・・・
春先のおぼろな光景よりも、秋のきりっと引き締まった空が、何故か心を清めてくれるような気がする。
青空の画はよく撮っているのだが、何故かこの空を見ていて菜根譚の一話を思い出した。
 
天一色、上下空明
菜根譚の一節である。
菜根譚は明の万歴年間の人、洪自誠が残した随筆集である。
前集では社会生活の心得が説かれて、今日の我らにとってもとても有意義な書物ではある。
後集では浮世を捨てて風月を友とする楽しみが書かれている。
春と秋の趣のどちらが優れているかは古来我が国などでも風流を愛でる人々によって様々に言われてきたが、額田王が春と秋の比較を天智に問われて詠った詩がある。
取り敢えず載せるだけは載せてみよう。長歌だから結構長い。
 
冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし怜のし 秋山我は (万1-16
 
額田王は春の花と秋のもみじを比較して秋の山の方がいい、吾はと言っているのだが・・・
洪自誠は菜根譚で書いているのと比較してみよう。
春日は気象繁華にして、人をして心神駘蕩慣らしむるも、秋日の雲白く風清く、蘭芳しく桂馥い、水天一色、上下空明にして、人をして神骨ともに清らかならしむに若かざるなり。
春は感覚的に、秋は精神的に対比している。
天一色、上下空明、上は天、下は水、空明は月影が水にあるを言うのであれば、天一色、上下空明の言葉からは美しい光景が思い描かれる様な気がする。
 
我が国の詠にも・・・
水や空 空や水とも見えわかず通いて澄める秋の夜の月      詠み人知らず
歌などはさっぱりわからないのではあるが、この歌を繰り返し歌っていると、素晴らしくいい歌の様な気がしてくるから不思議ではある。
新後拾遺集に収載されている。
因みに、この和歌集は二十巻からなる南北朝時代勅撰和歌集である。


 
参考文献
菜根譚   今井宇三郎  訳注   岩波文庫
 
 
 
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