徒然の書

思い付くままを徒然に

逢魔が刻


長雨が続いたその一刻の晴れ間に、久しぶりに日没の残照を見た。
濃紺に沈んでゆく空に真っ赤な残照が実に新鮮に我が目に飛び込んできた。
晩秋のこの時期、この残照が消えると漆黒の闇が訪れる。
そう、昔から逢魔が刻と言って、魔物が跳梁する時刻になりつつある。
 
昔々の古いラジオ番組に、
こんばんわ、またお会いしましたね。
見知らぬあなたと、見知らぬ私が、なにげなく逢い、なにげなく分かれるこの街角。
 今日から明日への曲がり角 ,ミッドナイトストリート。
こんなナレーションで始まる深夜の音楽番組があった。

このナレーションの語り口が好きでよく聞いたものだった。
今日と明日との境界線。
境界と言われるものには納戸や便所、軒や門あるいは辻や橋、更には峠や村境など様々に多いが、この境界は物理的あるいは社会的境界のみならず妖怪どもの住む他界との境界とも考えられていた。
この境界域に妖怪どもが出没する傾向があると考えられていた。
今日から明日への曲がり角ならぬ、昼から夜への曲がり角の逢魔が刻に魔物がこの世に出入りすると考えらるのも不思議ではない。
子供の頃はよく祖母に脅かされて、この時刻になると大急ぎで家に駆け込んだものである。
魔物と言っても妖怪変化が現れるわけでもないのだが、昔は人攫いと言う輩が出没していた所為か、暗い中から人影が現れると、大急ぎで逃げ帰ったものである。
人攫い・・・それが逢魔が刻の魔物であった公算が大きい。
日本では昔からよく人攫いが出没した。
逢魔が刻の魔物は人間と言う生き物の皮をかぶって出没した様である。
人間と言う生き物の心の中には魔物が潜んでいるということなのだろう。
いやいや、魔物と言うのは人間と言う生き物の別の姿であったのかも知れない。
 


 

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