徒然の書

思い付くままを徒然に

都ワスレ


気の遠くなるような古い時代から、朝廷貴族と言うのは民に寄生して生きてきた人種。
それでもなお一層贅を尽くすために地位を上げることに目の色を変えていた。
ところが人間と言う生き物、他人の事が気になって、出る釘は打たれるというように、讒訴懺悔が日常茶飯事の如く行われていた。
民の苦しみは朝廷貴族の快楽。
讒言されて都落ちは、これもまた日常茶飯事。
はてさてどこへ流されるのやら・・・・・・
流されたものはあの都の栄耀栄華を忘れられず、花を眺めて慰めていた。
こんな花を眺めたぐらいであの栄耀栄華を尽くした、都の生き様は忘れようとて忘れられまい。
民を虐げた報い、因果応報、自業自得とは言え哀れこの上もない。
奈良平安の時代の貴族も余りに寵を受け出世すると、讒訴讒言が待っている。
道真あたりの遠流などはまだまだいい方。
隣の中国辺りは、貴族とて安閑とはしていられない。
古代中国では讒訴によって罪を着せられると、間違いなく場外に引き出され首を刎ねられ、晒されたものである。
漢の時代は宦官が殆ど朝廷を支配して、貴族など頭を出すと即讒訴に及ばれ首を刎ねられた。
宦官によってどれほどの人間が首を刎ねられたものやら・・・・
前、後いずれの漢も滅びた内因は宦官の異常な権力が政治を狂わせたためともいえる。
権力に酔った人間と言う生き物のすることは、民を蔑にし、己を含めた特定のものに阿る政を行うことによる。
この様な政の乱れが、世の乱を引き起こし中国全土を戦乱の渦に巻き込んだと云える。
後漢末に起こった黄巾の乱等はその典型と言える。
流石は中国と言うべきか我が国の戦乱などとは桁が違う。
百万単位の兵が激突するのである。
物まねの好きな日本人が何故宦官の制度を取入れなかったの未だに不思議に思うのだが、宦官なる人種が日本にもいたなら、如何に藤原一族が足掻いた所で、政治の形態が全く違ったものになっていたであろう。
藤原一族などこの世から消え去っていたかもしれない。
始皇帝の時代にはもうすでに宦官なるものが生きていたのだが、何故日本にこの宦官なるものが存在しなかったのか、未だに不思議に思う。
案外日本人って輩は臆病で、すっぱり切り取ってしまう事と権力を得る事とを天秤にかけて切り取ることを臆したのかも知れない。
それにしては今の日本の権力志向が青天井の様相を示していることを考えると、一人や二人宦官に類するものが現れても良さそうに思えるのだが。
これは何も古代の事ばかりでない。
要は特定集団による権力の乱用、その乱用による政治の乱れが、様々な乱を引き起こす。
後漢の宦官による政治の乱れが、黄巾の乱を引き起こし、その平定のために各地の豪族が立って乱れを治めていく。
乱の終息の後、その豪族らの争いが各地で起り、戦乱が民を苦しめた。
そして三国時代へと中国の歴史は移っていく。
現代は法治の世界だからと言って安閑とはしていられない。
頭脳優れたものが、法を用いて国の乱れを是正するものが現れないとはだれも保障はできない。
形を変え品を変えて現代にも通用する事である。
いつ何時白馬の騎士が現れぬとも限らない世の中ではある。
 
ついでながらこの三国鼎立に至る戦乱の中で表現される人間と言う生き物の悍ましさは筆舌に尽くしがたい。
人間と言う生きのもの悪と言う悪は残らず表現されている。
ドイツナチの虐殺など取るに足らない様なことが平然と行われるのである。
人間群れると何をするか全く予想がつかない。
この群れるというのは様々な形態がある。
法に合致するもの、法外のもの、どちらであっても、群れることについては全く区別がない。
人間の群れが法によるものであっても、群れる事には変わりはない。
ただ、この法による群れが、場合によっては一番始末が悪いということを、認識を改める必要がある。
 
 




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