徒然の書

思い付くままを徒然に

崇徳院の怨霊

  
稀代の色情狂白河院からの続き~~~
 
この崇徳の霊と西行雨月物語に登場する。
ちょっと覗いてみよう。
国中を旅する西行が。訪ね巡って心惹かれないところはないと、今度は西国の歌に詠まれ親しんだ旧跡を訪ねたいものと、浪速の入り江を経て、古人が流罪の身を嘆いた須磨明石の浦風に自分も吹かれてみながら、訪ね辿ったのが讃岐の真尾坂の地。
この地に近い白峰に若くして引退させられた崇徳院の御陵があると聞いて、
拝んで差し上げようとその山に登った。
その粗末さに夢か現かわからないほどの衝撃を受けた西行である。
人として最高の位にある人でも前世からの運命と言うものが恐ろしいほどに付きまとって、前世に犯した罪の深さから逃れられなかった、人の世の儚さ、厳しさ、に涙する西行
経を称え、鎮魂の歌を捧げる。
陽はすっかり沈んで、深い山間の夜の気配はどこか普通でなく・・・・・いつの間にか眠ってしまうと、呼ぶ声がする。
目を覚ますと姿、異様な人が立っている。
崇徳の幽霊である。
西行と新院(崇徳)との問答に少し耳を傾けよう。
何故幽霊などになって迷って出られたのでしょう。
私など院がこの苦悩多い現世を厭い離れて仏の世界に入られたことを羨ましく思っておりましたのに・・・・・迷われたお姿を現されたことは懐かしく、うれしくはありますけれど、そうゆうご執心は悲しくてなりません、とこの世に執着する崇徳を諌めている。
西行はここでは道心の法師として現れているのだが、西行の歌が院の不遇な命運への共感を、その心としている点を契機として、それに応じる様に院は現れ、自分の命運への屈折した心を歌に明かしたのである。
 
松山の浪のけしきは変わらじをかたなく君はなりまさりけり   西行
 
松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな   新院
 
此処から西行の道徳論と崇徳の恨み心から発せられる叫びとの激しい応酬に移っていく。
西行は崇徳の私怨を全く認めようとはせず、道徳的に否定する態度をとるが、崇徳はそれに反発して己の内心の恨みを論理的に正当化しようとする。
西行と崇徳の激しい論戦が続くが、というよりも西行の崇徳の恨みに対する激しい非難に終始すると言っていい。
 
新院すなわち崇徳院西行との論戦が激化、止まるところを知らない。
西行という現世の人間と新院すなわち崇徳の幽霊という彼の世のものとの論戦、
この様な形を執るのが雨月物語の面白いところ。
 
崇徳の怨霊の怨霊たる所以は・・・・・
峯谷ゆすり動きて、風叢林を僵すがごとく、沙石を空に巻き上ぐる。みるみる一段の陰火君が膝の下より燃え上がりてやまも谷も昼の如く明らかなり・・・・・
朱をそそぎたる竜顔に荊の髪膝に掛かるまで乱れ、白眼を吊り上げ・・・・・
何ぞ早く重盛が命を取らぬ・・・・とわめきたてる。
此処で平家の滅亡さえ見通している。
 
西行が道徳を以て、徹底的に非難するのだが、最後には相手の言うとおりのものの見方をする。
彼の世の崇徳は崇徳で、あたかも歴史の流れを自分が動かしているような錯覚に陥っているのだが。
それを見ているのも、語り手も西行で、その西行が崇徳の言葉通りにそれを見ているので、錯覚や夢がとは見ていない。
雨月物語の話の面白さなのだろう。
この雨月物語はこちら側の視点の人物が、そこから見られた向こう側の相手の人物の関係を、こちら側の人物視点から語り表現するという仕方で書かれている。
何ともややこしい作り方をするものだと思うのだが・・・・・
そして向こう側からこちら側を見たらどう映るかという配慮は決してしない。
一方通行であり、向こう側の人物と見える者の言葉や外見はこちら側には解るけれど、その裏に隠れた本当の心はわからない、という表現になっているのであって、そんな所は本質的には怖い話だ。
雨月物語の本質は怪談なのである。
この雨月物語は怪談と言っても、この寓話と言うのか、寓言と言うのか、これを読み取ることは結構難しい。
 
青々たる春の柳、家園に種ること無かれ。交わりは軽薄の人と結ぶこと無かれ。
楊柳茂り易くとも、秋の初風の吹くに耐えめや。軽薄の人は交わり易くして亦速やかなり。
楊柳行くたび春に染まれども、軽薄の人絶えて訪ふ日なし。
 
この表現からすると、ショックを受けたのは西行ではなく、崇徳であったろう
西行が己から崇徳を訪ね近づいたにもかかわらず、自分から求めた交わりを、先に交わりを断ったのは西行であった。
 
西行が山を下り庵に帰って改めて心を落ち着けて一夜の出来事を思い辿ってみると平治の乱から始まった人々の動きや月日などは崇徳の言葉に事実と違うところななかったので、決して人に語ろうとはしなかった。
崇徳は平家の滅亡までを正確に見通しているのだから、ぞくっとするよね・・・・・
 
そして最後にはこんなことまで言っている。
もう自分は行くこともない・・・・・・
あの国へ踏み入ろうとする人は御幣を捧げて、祀り従う心を表さなければならないと・・・・・・
 
軽薄の人は交わり易くして、亦速やかなり。
軽薄の人絶えて訪ふ日なし。
西行は軽薄の人に成り下がってしまった。
 
 
 
参考文献
雨月物語            青木正次訳注                  講談社学術文庫
 
 
 
 
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