徒然の書

思い付くままを徒然に

沙羅双樹

 
夏椿の花が咲き始めた。
この夏椿を沙羅双樹だと言う者もいる。
夏椿の花を見るたびに思い起こすのは、あの平家物語の冒頭の文章・・・
 
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。
娑羅雙樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。
 
 
 
美しい流れる様な書き出しである。
とても好きな文章ではある。
琵琶語りとしても、極上のものであろう。
この平家琵琶を聞くとき、清盛の心情を思わずにはいられない。
情けは人のためならず、とは良く聞く言葉ではあるが、情けが仇とあることも、往時に限らず現代においても、まま起こりうることである。
薄っぺらな情けなど・・・・・・心しよう。
 
だが、鎌倉初期に書かれた物語だとすれば、次々に疑問が出てくる。
一つ一つ粗を探していくと次々に出てくる。
この冒頭の部分がはっきりしないことには、以後の平家の盛衰についてどれほど正確に記述されているのか、疑問が出てくる。
 
この作者、祇園精舎とは何処の寺院を指しているのだろうか・・・
何処の寺院の鐘の音を聞いたのであろう・・・・
沙羅双樹はわが国の自然の中では育たない樹・・・・
 
作者不明が定説の様であるが、
吉田兼好などは徒然草の中で信濃前司行長すなわち行長入道藤原行長が作者だと言っている。
 
どの様に資料を得たのか、・・・・
書かれた当時取材にインドへ出掛けるなどとても不可能・・・・・
元々、この行長なる男、徒然草によれば、楽府の御論議に出て、七徳の舞のうち二つも忘れ果て、五徳の冠者と嘲られるほどのいい加減さは持っていたようである。
このことが原因で、剃髪したえせ入道である。
だとすれば、史実としての正確性には大いに疑問が残る。
この冒頭部分につづいて、漢の王奔や唐の安禄山のどの栄華盛衰の例を挙げているが、耳学問の域を出ず、正確に事態を知っていたとも思えない。
 
この際、作者は誰でもいいのだが、
この作者凡そいい加減な情景を書き出しに持ってきているような気がする。
祇園精舎の正式名は祇樹給孤独園精舎で、
当時のインドの一つの国の首都にあった寺院。
その寺院の鐘の音を聞いたとはとても思えない。
祇園精舎の鐘はどの様な鐘だったのか・・・・・
諸行無常を感じる響きとは・・・・・
どんな鐘の音を、どのような響きを思い浮かべたのだろうか・・・・・・
殷々と、哀愁を感じる響きであろうか・・・・・
尤も、奈良時代には現在の姿の梵鐘が作られていたのだから、どこかの寺院の鐘の音を聞いていたのだろう。
 
沙羅双樹は釈迦入滅の時に、臥床の四辺にあった八本のインド原産の大木である。
その沙羅双樹の花の色はどんな色だと思っていたのだろうか・・・・・
どの様な花色が盛者必衰のことわりをあらはす色だと思っていたのだろうか。
 
この出だし、琵琶語りには最適であったろう。
確かにいい旋律で、美しい文章で書かれてはいるが、
凡そ嘘八百を頭の中でこねくり回して、並べたものであろう、としか思われない。
平家の盛衰の史実を物語として書いたものであれば、
冒頭を飾る文章としても、虚構であってはならない。
この物語の史実としての信憑性には疑問が残る。
だとすれば、膨大な数に上る登場人物の描写にさえ信が置けなくなってしまう。
ただ歴史に名を借りた読み物としての価値に成り下がってしまう。
単なる作り物ならば云々することはないのだが・・・・・
 
尤も、平家にあらざれば人に非ず、と時忠が言うほどに、栄華を極めたのは確かであろうが、これとて朝廷即ち天皇の権力争いに利用されたに過ぎない。
いかに栄華を極めたと言えど、最高権力者の琴線に触れると、裏切られ、捨てられて淘汰されるのが、世の常の様である。
保元、平治の乱から始まった平家の繁栄も、壇ノ浦で露と消えた、
たかだか二,三十年の栄華
将に、奢れるもの久しからず・・・・・栄華盛衰である。
頂に上れば後は下るだけ、これが世の理である,厳に銘記すべきである。
 
 
 
 
梅雨の晴れ間の慰めに・・・・・・
 
 
 
 
この写真集は、デジブック
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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