徒然の書

思い付くままを徒然に

人生はただの百年のみ~無駄に過ごす事なかれ~

紀元前二世紀の漢代に書かれた道家系の書に淮南子というのがある。

その一節に次のような言葉がある。

私という人間が生まれるまでにこの天地は無限の時間を経過している。

私が死んだ後もまた無限の時間が流れるであろう。

してみれば私という人間は無限の天地と無限の時間の流れに浮かぶ一点に過ぎない。

老子荘子 森幹三郎~

 

その悠久の天地の中に己という生き物が一つの生命として存在するようになる。

その悠久の天地のただ一点でしかない人間という生き物にとってのただ一点の時間が、その生き物にとっては人生という時の経過、悠久の時の流れの内の一点がただの百年なのである。

菜根譚は中国明代の洪自誠の書で、心の糧としてわが国で随分と愛読された人生の指針を述べた書とされている。

菜根譚で人生はただの百年、無駄に過ごすことの恐れを述べている。

それが言うには~

天地は永遠であるが人生は二度と戻らない、人生はたった百年、日々はあっという間に過ぎてゆく。

幸いにこの世に生まれたからには、命あることの楽しみを知るべきである。

ただ、楽しく生きたいと願うばかりではなく、人生をむなしく過ごしてしまう事のないように心しなければならない。

古来から人々は人生は短いと、そればかりを嘆いてきた。

 

荘子は著書荘子知北遊篇で、白駒の隙を過ぐるが如し、と言っている。

人間が天地の間に生を受けるのは、あたかも白馬が走りすぎるのを、戸の隙間から覗くようなものであり、誠に瞬間のことに過ぎない。と

また水の湧き出るように現れて、やがて吸い込まれて消えてゆく。

まさに人間の人生そのものである。

また、漢書 蘇武伝には人生朝露のごとしと述べている。

唐の李白は、光陰は百代の過客なり、という。

であってみればこの世に生まれてきたからには、その人生は十分に楽しむべきである、と。

だが人生の時間は思いのほか短い、その短い時間を無駄に過ごすことを憂うべく、常に心に留めておく必要もあるだろう。

と洪自誠、菜根譚は言うのである。

まさに心すべき、人間の生きざまである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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