徒然の書

思い付くままを徒然に

閑と忙

忙しく働いていた人間がある日突然働かなくなった、世にいう定年である。

忙し過ぎるくらいに働いていたものにとっては、突然何もすることが無くなったとすれば、おそらく虚脱状態に陥っても不思議はない。

何もすることのなくなった人間は暇がありすぎると、どの様なことを考えるのだろうか。

菜根譚は人間が暇があり過ぎて考得るのは、雑念がひそかに心の奥底に湧き上がってくると言っている。

反対に働いていた時あまりにも忙しかった人間はその本性というものが現れてこないという。

すなわち、そのものの本来の自分を見失ってしまうというのである。

人間暇すぎても、忙しすぎても、あまりいい結果にはならないという事の様である。

忙しい中にあっても、己の趣味持つことや風流を解する心の余裕が欲しいという事であろう。

反対にあまりに暇すぎると、心にぽっかりと空いた穴に、雑念すなわち不純なものが入ってくる。

中国の古典四書の一つ大学という書物に次のように書かれている。

 

小人閑居して不善を為す。至らざる所なし。君子を見てのち、厭然として、その不善を蔽いてその善を著わさんとす。

 

小人閑居して不善を為す、この言葉自体とてもよく知られた言葉である。

定年になって暇になった時に、人からこのような言葉を陰でささやかれたくはない、ようよう留意することである。

忙しく働いていた企業戦士に小人などと言われる人は居なかろうが、人間という生き物、暇になった心の空洞に忍び寄るものは予測がつかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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