古事記物語その四
高天原でスサノをは散々拷問されて、黄泉の国と言われる出雲に追放されてしまった。
このスサノオがもともと出雲の神であって、テンテルの一族とされているのも何やらつじつまの合わない話なのであるが、作者には何らかの意図がって、テンテルの一族と設定したのであろう。
兄弟げんかの末、不利になると周りのものの迷惑など一切お構いなく、己だけ岩穴に逃げ込んで、身の安全を図る様な女で、テンテルなど上に立つて高天原を支配する器量などはない。
人の持ってるものは何でも欲しがる輩はいるが、テンテルなどはその典型であろう。
何ともおぞましい女ではある。
とは言っても、この様に描かれざるを得なかったのは哀れと言うべきなのかもしれない。
それでものちに、テンテルオオカミなどと尊崇を集める結果になったのだから良しとすべきなのだろう。
中国の史官とは比べ得べくもない、無能な我が国の史官と言うべきか、編者と言うべきか、時代の脈絡さえはっきりしない、史書ともいえないものが記録された結果、様々な不都合が現れた。
しかも、各諸家から集めた、編纂の原資料となった帝記や本辞更には各家の家記など、天武の命とは言え破棄してしまうなど狂気の沙汰。
しかし実際にはテンテルは何度も脅迫のための使者を送っている。
先の我が国の経済が沸騰したバブルの頃、再三に渡って地上げ屋が横行し、強迫に現れたのと全く同一のパターンである。
その意味で、テンテルは地上げ屋の元祖とも云えるのかも知れない。
現代なら、いい返事をしない地主に、地上げ屋が切れて、殺してしまった、という事になるのだろう。
黄泉の国を支配するということは死を意味する。
出雲国風土記を読んで見ると・・・・
私が支配していた国は、テンテルの一族に統治権を譲ろう。
しかし、八雲たつ出雲の国だけは自分が鎮座する神領として、垣根のように青い山で取り囲み、心霊の宿る玉を置いて国を守ろう。
交換条件で神殿の建設を条件としたが、その神殿、出来上がってみると、幽閉の塔みたいな、地上46メートルにも及ぶ牢獄であっってみれば、テンテルと言う女の性悪を満天下に喧伝した神殿であった。
出雲と言う国は国引き神話にもある如く、彼方此方に散らばる島々を引いてきて作り上げた国である。
大国主神を弑したということは、葦原の国に限らず、その出雲の国引きの完成を待って出雲の国自体も欲しくなったのであろう。
国譲り等と言う最もらしい話に作り上げてはいるがその奥底にながれる本音は実に胡散臭さない。
扨この国譲りの時代は何時と言うことになるが、何処にもはっきりと書かれたものは見当たらない。
テンテルなどと言うものが、七世紀になって作り出されたものだとすれば作者にしても、国譲りを何処に位置付けるか、判断に迷った事であろう。
しかし大和朝廷に譲り渡したとすれば、三世紀半ば以降であったろう。
三世紀半ばと言えば大和に古墳が登場したころで、この世に人間が生活している時代に、神話の中の高天原の悪女がしゃしゃり出てくること自体が奇異なので、遥か遠い昔の神話の世界へ追いやる以外になかった。
その為に神話であっても神話の世界に閉じ込めておくことは出来す、現実の世界と交流させざるを得なくなったりすることが起きてくる。
紀元前、遥か昔に作られた、ギリシャ神話などと違った底の浅さを露呈してしまった。
史官などと言うものは史実を忠実に記録するのが本業であるのが、史実を記録した資料あるいは古くから伝わる伝承などを参照しながら、史実を積み上げていくのではなく、史実を創作しようとするところに我が国の史書の破綻があらわれているのである。
才のない史官の手に掛かったがために、テンテルなどは好戦的な、兄弟思いとは対照的に権力を振るって、弟を追放する意地の悪い姉に、あるいは己に危難が降りかかると思えば他の者は如何でも、己だけの安全を図って岩穴に逃げ込んでしまう、傲慢にして小心な女に描かれてしまった。
考えてみれば何とも哀れな女の姿ではある。
我が国の史官と言われるものは中国の史官とは雲泥の差があり、史書を編纂する技術も、文才もなく神話の世界も現実の世界もはっきりと認識する力量もなった。
七世紀に神話を作って、その神話の出来事が七世紀の現実に影響を及ぼすということはその時の民を納得させなければならないのだから、並みの知恵では賄いきれなかった。
権力で民を黙らせる以外になかった。
尤も,我が国の七世紀辺りに史官などと言うものがいたとも思えないのだが・・・
中国の史記の編纂者と比べうべくもない者たちによって作り出された。
その当時現存した様々な史料に偏向を加えて、史実とは全く違ったものを作り上げる事は並の力量では、とても真面なものに仕上げるのは不可能であったろう。
だが創作となると、権力によって民を黙らせ、その意図する通り書きすすめればいいのだから特別の才は必要ではなかったろう。
中国の史官の様に真実の記録に命を懸けていた、それ程の気概のある編者は恐らく,と云うよりは全く存在しなかったであろ。
古事記は天武に、書紀は藤原に阿りながら作られたのであろう。
だとすると、誰が王として祭り上げられたのか、記述した史実は示されていない。
神武東征伝説や、出雲の国譲り神話が語っているのは、このような古代日本の隠された真実ではないかと思う。
テンテルなどと言う神話の世界の登場人物を現世の生きた世界に登場させるという愚をあえてする記紀などと言うものが、その年代さえ確立できていない。
この高天原にしても、テンテルにしても七世紀になって作り出された幻であって、現実世界の人間の歴史にしゃしゃり出る事、それをあえて行った藤原書記などの記述を真実と受け止めることは殆ど不可能といっていい。
その歴史は民を搾取する歴史であったとしても・・・・・
その歴史が大切なのである。
だが、民を搾取した政をした支配者はいずれ消えていく運命にある事もまた歴史の示す処である。
参考文献
日本の歴史 エッセイ集 文芸春秋編 文春文庫
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