徒然の書

思い付くままを徒然に

モンテスキューは笑っている


日本各地の夏祭りの人々の、屈託のない笑顔を見ていると、日本って平和なんだなあ~って、つくづく思う。

というより、日本人が古来から搾取され続けてきたことに鈍感になってしまって政治への不信など全く感じていない、幸せそのもののように・・・・。
現代は民主主義が行き届いていると思っていると、実態に目をつぶっているのか、無関心なのか、古代以来ほんの一時を除いて政治的未熟がそうさせているのであろうか。
我が国の政は古来から、朝廷、いわゆるそれを取り巻く頂点から貴族と称する端くれまで、その栄耀栄華は民百姓の血と汗と涙、更には命まで賭した労力によって得たものを租税として取り上げることによって賄われてきた。
それが武家政治に変わっても、世の政はただ民を搾取する為だけの存在であり、何ら変わる事は無く搾取する主体が変わっただけの事に過ぎない。。
 
世界の専制君主時代から、世界の様々な人々が様々な意見を交換して論理を尽くし、それぞれの国の国民の平穏な生活を守るべく、権力者の権力の抑制に論議を尽くしてきた。
国家権力を複数の統治機関に配分し、権力相互間における抑制・均衡によって政治を行う統治方式、国家権力が特定の統治機関や個人に集中して専制化することを防止するのを目的とした。
これが、西欧の13世紀から論議されて、現代に至るのであるが、吾らが住む国では、現代に至るまでこの様な民衆の努力による民主的政治制度の確立を試みたことは一度もない。
依然として専制的な権力が罷り通っている。
イギリスなどの議会と言うものに絶大な信頼を置く国民の政治意識とは違って、我が国の議会と称するものは、過っては二大政党に類する時代もあったが、強行採決や、乱闘議会など、議会が国民のために機能したことのないことを考えると、政治屋の責任と言うより、我が国の国民の責任であり、その政治意識の低さは欧州の国民の政治意識とは雲泥の差がある。
どんぐり選びに、参政権を行使したなどと意気揚々としている国民とは政治感覚に格段の差がある。
 
西欧諸国の民の様に専制君主の専横を抑えるために、議会を作り法を定めて専制君主の権力を法によって抑えようとした努力は全くなされることはなかった。
武家政治を排除するいわゆる幕末から明治への改革も徳川と言う老舗に取って代ったのが、西国の諸藩の下級武士、足軽中間たちで、政治とは何か、政治とは全く関わりのなかった者たちが見よう見まねで政治を行おうというのだから、明治政府は意見百出収拾がつかなかったであろう。
西欧諸国が強大な王権を制限しようと努力し、民主政治を目指している時に、我が国では君主国家を目指したという、民主主義とは相いれない制度を作り上げている。
諸外国の憲法を模倣し、政治形態を模索しながら国を治めようとした。
只々、尊王の主張であり、天皇を中心に据えるための作業であり、国の民草を守るための維新ではなかった。
このことはわが国に優れた理論家が出なかった故の悲劇であったといえよう。
取り立てて頭脳の優れたものと言うより、下級武士や足軽中間の、生活を見れば凡そのの頭脳の程度は計り知れよう。
只々外国を真似た思い付きで政を行おうとしたのだから、民に強いる無理は半端なものではなかったろう。足軽中間が内閣を作り、元帥になるのだから、秀吉の時代などの出世物語とは雲泥の差がある。
明治維新はわが国の近代化のポイントのように言われているが、国を構成する民草の力によるものとは全然関係のないところで行われた、単なる権力争いの場であったに過ぎない。
ただ、徳川の鎖国が必然的に解かれた為に、西欧の文化が流入した、その文明に戸惑いながらも、その模倣の結果が、近代化を呈したに過ぎない。
とにもかくにも、徳川政権が倒れて、無知文盲の輩の支配する政治は西欧諸国の国情の似た国の政をその真意を理解することも無く、模倣することから始まったのである。
新しい改革のように見えて、その実、民草のための戦いではなく、下級武士や足軽たちの維新の戦いに戦功のあった者たちが徳川に代って、見よう見まねの政を始めたのではあるが、国家国民のための政には非ず、結局はただの権力争いに終始し、ただ形だけは西欧諸国の模倣しただけの事である。
兎にも角にも、よくもまあ明治、大正と時が流れたものだと思う。
 
ただ権力を握ったものの日本人の常である、弱者いじめの考え方は全く変わる事は無かった。
日本人と言う生き物は古来、中国をはじめ様々なな国の様々な文化を模倣するだけの生き物であり、己で物事を作り出すという知恵は持ち合わせていなかった。
その様な輩には己が権力を握った時に己が虐げられていた時の反動が現れるれることは人間と言う生き物の常で、民草への権力の誇示は当然の事であった。
幕末には優れた人士は暗殺される憂き目にあい、維新以後に残ったのは、姑息な精神の持ち主など、姑息な滓ばかりが残ったのであった。
明治の政は勤王の志士などと言う者達の生き残りの、権力争いの場でしかなかった。
 
官僚政治家と言ったところで、出自は長州の中間の倅、その権力争いに勝利して絶大な権力を駆使したものの性格は慎重、陰険で、生涯強い権力欲で一貫していたといわれている。
国民の生活や権利、などとは程遠いことが行われていたのが、明治と言う時代であった。
その様な連中が、政に参画したとあっては満足に諸般の状況に対処する能力があったとは到底思えない。
いやその制度の真意をつかむ事、その制度がどのような意味を有するのか、理解する事すら不可能であったろう。
その歪な考え方が明治以来連綿と引き継がれ、敗戦による新たな政治制度に変わったとは言っても、政治の底流となって現代に生き残るに至っている。
これは何も幕末から明治の学識者だけではなく、以来、大正、昭和を経て平成の世になっても近未来の予測すら満足にできない、能力の不足、日本人の政治に対する、行政に対する未熟、無能力さを顕すものであるといていい。
国民はといえば参政権だけが民主主義である如く、得々としてどんぐり選びに通っている、それが己の首を締めていることになるとも気付かないで。
その近未来の予測すらできない無能な官僚たちによって国民がどれ程困惑し、どれ程損害を被ったか、枚挙に暇はない。
行政、官僚による損害はすべて国民に押し付けられてきた。
 
日本人の権力者の特色は弱者を搾取し、あらゆるところに権力を誇示する、人間としての最下等な性癖だといっていい。
その政治的未熟が明治から大正、昭和へと移り変わっても、イギリスの市民が辿ったような専制権力を制限するために、国民自体が立ち上がって、議会を作るなどと言う自らの意志を実現する事は無く、無能な為政者の為すがままの無気力な国民であるといっていい。
 
それ故にイギリスの議会に対する思い入れや、議会に対する信頼などとは全く違った形式だけの模倣であった。
兎にも角にも、明治政府を構成した足軽中間は、、フランスの人権宣言を知ってか知らずか、権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものでない、の規定から、プロシア憲法を範として導入した結果、議会を造り内閣を作り、裁判所も作った。
そしてプロシア憲法を範として曲がりなりにも憲法を作った。
これらはすべて天皇の大権の元に在り、天皇がすべてを総攬したのである。
明治憲法下に於いては、それ故ほんの一時期を除いて議院内閣制などと言うものの姿はなく、昭和の敗戦まで待たなければならなかった。
日本人と言う民族の馬鹿さ加減は、イギリスがその王権の専制を制限するために議会を作り、権力を分散しようとする時代に、西欧諸国の国民の思考過程とは全く逆な事、すなわちあらゆる政治権力を天皇が大権を総攬すると、専制君主主義をみとめたことである。
その様な世界の時代に逆行する政を得々として行い、昭和の敗戦に導いたのは総べて政治屋の責任であったろう。
それが軍国主義へと拡大し、物を考える事の出来る人間なら、アメリカ相手の戦争には絶対に勝てないことは自明のこと判断できたはずである。
その敗戦によって、新しい憲法を押し付けられたが、その憲法の真意を理解できる政治屋は全くと言っていいほど存在しなかった。
何故なら新しい憲法が施行されたとは言っても、政を牛耳る過去の遺物が多数存在したから新憲法の真意を新しい感覚で見る事は無かった。
それが証拠に、十年も経ない内に、理由は如何あれ戦争の準備の保安隊などを作り出して、変転する様々な理由を付けた現在の自衛隊を作り上げた。
我が国の民は搾取されても、されても、ただ従順に従うばかりの覇気のなさは、西欧諸国の民が、専制王権の横暴から逃れるためにした努力は、我が国の民にはどのように映ったのだろうか。
イギリスの政治上の制度や技能が,ヨーロッパの伝統的、階層的秩序が歴史の変化に適応しながら生き延びようとした努力が形を為したのが議院内閣制であり、その議院内閣制を我が国が模倣したからと言って、イギリスのように成功する程、優れた人間的条件が存在した訳ではない。
議院内閣制はつまるところ、議会と内閣の融合であることをはっきりと認識しなければ、内閣の独裁に陥ることは目に見えている。
我が国の憲法を子細に検討すれば、内閣の一極独裁であることは火を見るより明らかである。
我が国の三権分立とか国会は国権の最高機関であるなどは全くの絵空事と言わねばならない。
 
西欧諸国の民がそのような努力をしたことさえ知る者はほんの僅かな知識人を除いて、いなかったのだろう。
ただその結果のみを真似るだけの権力者の為すがままであっては、当然といえば当然の結果である。
その先祖の無能が現代の国民を苦しめているといっていい。
外国などでは及びもつかない様々な権力が生活の随所に顔をだし、国民を搾取していることにさえ気付いていない。
だが悲しいことはそれが日本人の頭脳の程度であり、憲法によって規定された文言を、その規定の真意を理解することも無く、議員の多数を集めた多数決による横暴、議会で過半数を得れば何でもできるという錯覚を既定の事実としてしまった事である。
過半数どころか議会の三分の二超の勢力を有するに至っては、議会が国権の最高機関とは言っても、内閣によって牛耳られた議会であって、正常な立法機能を果たすことは有り得べくもない。
党を支配する内閣によって牛耳られていては正常な議会を構成することは全くと言っていいほど在り得ない。
ぽっと出の日本の議院内閣制をイギリスの国民の努力によって作り上げられた議院内閣制と比較すること自体無理なのであるが、我が国の国民の政治的未熟が己の首を締めていることに気が付かない。
現代のように、政策決定の法案が議会から提出されるのが20%などと言うことでは、議会自体、内閣に主導され,議会独自の政策形成能力や監視能力が低下したというより、全く喪失してしまった状態であり,明らかに多数派による独裁という危険性が露呈していると言っていい。
すなわち権力分立などは我が国に於いては、ただの憲法上の規定の理想であり、現実は内閣の独裁であることは自明の事実である。
 
過って、ルソーは社会契約論に於いて、立法者についてこんなことを言っている。
諸国民に適した最上の社会規範を発見するには優れた知性の人を必要とするであろう。
それは人間のあらゆる情熱を理解しながら、そのいずれにも動かされず、我々の本性に何のかかわりもないのに、それを根底から知り尽くし、自分の幸福は我々とは関係ないのに、然も我々の幸福をよく配慮し、時の進みゆくにつれて、遥かなる栄光に備えつつある時代には労苦を積み、次の時代にはその成果を享受しうる人でなければならない。
要するに人間に法を与えるのは神でなければならないであろう。
今の日本、法的には民主主義の姿をしてはいるが、実態は専制政治とまったく変わらない。人々はそれに気づいていない、政治屋という生き物の勝手放題な国である。
面白い国である。





イメージ 1
 
 
 
(本ブログの全ての写真は著作権を留保。無断使用・転用・転載・複製を禁ず。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ーーーーーーーーーーーー