徒然の書

思い付くままを徒然に

太郎冠者


 
 ツバキ類はヤブツバキやユキツバキから直接由来した品種だけでなく,起源のよくわからないものや雑種起源の種も分化している。子房に毛のあるワビスケ群は30余種あるが,これらは太郎冠者に起源をもつ実生品種と考えられている。しかし,太郎冠者自身の来歴はまだなぞに包まれているという。――コトバンク――
 
 
侘助椿と言うのははっきりとした定義がある訳でもないのだろうが、この太郎冠者に起源をもつものが侘助の一つとは考えられている。
その他数寄屋などと言う品種も侘助系の椿の一種だとされてはいる様である。
 
扨この太郎冠者と呼ばれる品種は関東で呼ばれる名であるが西の方へ行くと有楽椿と呼ばれているらしい。
この有楽と言うのが、茶人だなどと言われて名が知れてはいる様だが、兄信長が本能寺で弑逆された時、明智光秀に一矢報いる事もなく逃亡し、世の顰蹙をかった卑怯未練な姑息な男。
信長の二人の頼りない子達でさえ、秀吉に手を貸して明智討伐に加わったが、実弟織田長益(有楽)は逃げて隠れたままの卑怯未練な男のようである。
出家して有楽斉如庵と名乗っていたが、出家以前は織田長益と言う信長の実弟でれっきとした武士あった。
葉隠」の常朝などに言わせれば、見つけ出されて、切り殺されされるのが当然とされる男。
家康に仕えてからは、秀頼の縁戚をいいことに大阪城に出入りして、家康の間諜を務めた薄汚い男。
秀吉が天下を獲って後秀吉の御伽衆として仕えた様であるが、秀吉が死ぬと即家康に乗り換え、秀頼の身内であると大阪城であ家康のスパイ活動をしたという姑息な男である。
出家して茶道を求めた様であるが、禅に通ずる茶道などこんな姑息な男には全く似合わない。
それでも、家康に領地をもらって大名になるのだから、世の人を見る目と言うものは全く信用が置けない。
信長が討たれた当時派は逃げ隠れしたことで、世の顰蹙をかっていたようであるが、人のうわさも何日とやら・・・・・
茶道を志すや、こんな男に師事しようと言うものがいるというから人間と言う生き物の不思議さをつくづくと感じさせられる。
関東では太郎冠者と呼ばれる侘助椿が西では有楽椿と呼ばれて、椿にまでその名を残すとは
こんなのが後世茶人として名が通るのだから、人間と言う生き物の性根と言うものは判らないものである。
いかに生きるためとはいえ、己の甥を弑いるための薄汚いスパイ活動を地下の利休辺りが知ったら顔をしかめたことだろう。
もっとも類は類を呼ぶというから薄汚い性根の者同士、家康と有楽は馬が合ったのかも知れない。
 
 
 

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