徒然の書

思い付くままを徒然に

古代蓮とは言うけれど・・・


古代蓮とはいうけれど、能書きによると三粒の蓮種が見つかったということらしいが、
この頃では懐疑的になっている。
発見された種自体を鑑定して、時代を推測したわけではない。
発見された種の周りに古代の何かがあったというだけのこと。
何かの拍子に、後になって種が紛れ込んだ可能背も十分考えられる。
二千数百年と云うと、縄文に近い弥生の頃、その頃に蓮が生育していたという記録はなかろう。
 発見された種自体から年代を推測してのではなく、廻りの物からその中にあった種を古代の種と推測したのであろう。


何公園と名の付くところは、市民の憩いの場であり、文化のバロメーターでもある。
ここ数年国立の公園をはじめだんだんと荒れ始めている様な気がする。
国のと言うより、安倍の基本方針なのだろうが、内弁慶のお山の大将の常とう手段、弱い者虐めをかなり進めているが、市民に対する配慮は全く埒外に置いている感がある。
特に、世の中の役に立たなくなった老いぼれなどは不要とばかりに、そのいじめの度合いは狂気にも似ている、というより狂気そのもの。
それを真似るわけでもなかろうが、市民重視を基本とする市以外は公園に対する手抜きが目立って居る様である。
菖蒲田や、ハス田を持つ此のこの公園のハス田は数年前と比べると驚くほど荒れ果ててきた。
蓮の葉の間から雑草がびっしりと生え、さもないところは雑草さえ遠慮する程のどろどろの薄汚い藻が水面を埋め尽くしている。
あれでは蓮根も層々良い花を咲かせる気にはならなかろう。
以前は蓮を撮りに多くの人が来ていたが、今はもほんの数人、出かける気がしなくなったのであろう。
井の中の蛙のお山の大将が無能だと、それがどんどん下へと波及していく。
なんともお寒い、危い国に成ったものだと思う。
古代以来、中国では優れた宰相が次々に現れたが、我が国は現代に至るまで如何して優れたが宰相現れないのだろうか。
我が国は民主主義の国、三権分立が確立しているといわれているのは形だけ。
専制君主主義の国と全く変わらない、と云うよりもそのものと云ったほうがいい。
これは簡単に証明できる。




因みに、掲載の蓮はこの記載した公園のものではありません。
 



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