徒然の書

思い付くままを徒然に

親の恩は海よりも深く、山よりも高し


諺ともいえない文言であるが、この言葉は世界共通の観念と言っていい。

英訳すると
It's deeper than asea and higher than a mountain.
とでもなろうか。
 
子を慈しむ親の愛や思いは、何事にも勝り代えがたい。
愛する人を思う気持ち、尊敬するという人間の崇高な感性も同じで、ことわざといえないこの言葉は愛という気持ちの思いのたけを表す例えとして崇高な思いを巡らす世界に共通な言葉でもある。
この様な言葉がある限り、諸外国でも親に対する恩義は万人が認めるところである。
親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ちに、その互いの愛の深さに違いや優劣があるわけはない。
親と子の気持ちには一切の差はない。
そう思いあうことにより、より双方の絆を深めあう。
親が子を慈しんだように、子は年老いた親の老後の安楽を願い孝養を尽くす。
だが政治の貧困の所為もあり、己自ら孝養を尽くして老後を過ごさせることの出来ないこともある。
要は他人の手を借りてでも親の老後の安楽を願う気持ちに変わりはない。
 
ところが我が国の政治屋や官僚は何をトチ狂ったか、年老いた者の介護は姥捨て山の仲間同士で助け合え、とばかりに狂気の沙汰とも思える介護保険料の増額を決定した。
これは偏に内弁慶、お山の大将安倍の見識のなさに掛かっているのであろう。
もちろん官僚などと言う薄情な連中による示唆によるところも十分に考えうるであろう。
 
親は子を慈しみ、育て一人前の社会人として生きていける様に育んでいく。
子は年老いた親が老後は安楽に過ごせるように最善を尽くすのが人間としての人の道である。
ただ諸外国の様に我が国は生活が豊かなように見えても遥かに及ばない。
太古以来、権力の安楽は民草の苦悩の上に成り立っている様に、現代に居ても権力による様々な規制が国民を縛り、決して裕福とは程遠い生活を余儀なくされている。
それに伴い、親の面倒を見る事も侭為らない状態が時として民草を縛り、人の手を借りなければ満足な介護も出来ない状態に陥ることがある。
それを見越した介護制度は当を得た制度であるが、それによって利を得るのは介護を受ける年老いた者たちではなく、介護しなければならない親を持つ子たちである。
当然その保険制度の主力は年老いた親を持つ者達であって、介護を受ける者たちではない。
政治屋にしても官僚にしても、ものの考え方が浅薄であり、逆転していると言わざるを得ない。
役所辺りに言わせると年よりは年寄り同士で助け合え、とはまさに浅薄な脳味噌しか持ち合わせていない、人間としては最下級な下司な輩の考え方である。
己の親の老後を安楽に過ごさせる努力は人間と言う生き物の最低の条件である。
生まれて以来現在の己があることを考える時、親の恩は海よりも深く、山よりも高い。
されば、介護を他人任せにせざるを得ないとき、断腸の思い出その介護を他人に任せるとすれば、その費用の負担は当然に子たる者の務めであり、年寄りは年寄り同士助け合えとは、脳みその倒錯した下司の考え方以外の何物でもない。
政治屋や官僚共の考えるのは支払う年金から天引きすれば取りぱぐれも無く、子たちからの反撃もないと言う安易な権力主義によっているのであろう。
日本の政治っていうのはこのような姑息な手段が通用する、世界でも数少ない国である。
年金の財源が不足した,それでは年金支給額をカットせよ、介護保険、高齢者健康保険の財源が不足した、それではそれぞれ保険料を増額せよ。
年金を減額したあげくの果ての決定打が介護保険料の驚くべき高額な増額と健康保険料の増額である。
年老いた者たちの老後を見守る国々とは対照的な悪政と言わざるを得ない。
己さえよければ、役に立たなくなった老いたるものは如何でもよい・・・・
雲霞が増える如く、増え続ける介護業者、彼らの口車に乗った過剰介護に依って、介護財源は簡単に底をついてしまうだろう。
その繰り返しが、老人の生活を圧迫している事、火を見るより明らかである。
実に短絡的なものの考え方ではあり、しかもその増額たるや二割増でさえ驚くべき額にも拘らず、倍増の増額、後期高齢者の健康保険に至っては一挙三割増などという増額は通常の社会生活では考えられない増額である。
要は、政治屋にしても、官僚にしても近未来に起こり得る当然の結果を全く予測する能力に欠けているということである。
国民に負担を課すことについての場当たり的な施策しかできない無能な輩が政官界に蔓延っているのである。
ありとあらゆるデータ-が蓄積されている、このコンピュータ時代にそのデータ-を活用する能力さえ欠けている。
五年、十年先の凡その長期予測さえできないような企業であってみれば恐らく先が見えていよう。
凡そ政官界の人間の能力は場当たり的で、そのしわ寄せはすべて国民におっ被せる安易さ・・・・それが一兆一千億の財政赤字に現れている。
それでも政治屋共は、世界最高額の議院給与を減額しようともしない。
国を、国民を支配しようとする輩がほんの僅かな先の予測さえできない能力しか持ち合わせていない様では国の運営などとてもおぼつかなかろう。
そのしわ寄せがすべて国民に被せて平然としている、何とも情けない政治屋であり官僚であろうか・・・・
国家財政が一兆一千億になんなんとする、それでも現状に於いて世界最高額の議員給与は平然として維持するに至っては議員と言う生き物の頭脳構造はどの様になっているのか。
古来封建の頃藩財政の赤字、借金まみれの時自らの俸給を半知した。
それに倣えば、世界最高額の給与を得ている議員などは当然財政赤字解消まで、給与及び政党給付金の減額を決議するのが当然過ぎるくらい当然なのである。
いや世界でも類を見ない政党給付金などと言う不可解なものを交付すること自体に問題がある。
震災に依る復興を理由に20%ほど減額したが企業の復興税を無くしたと同時に己らの給与も元に戻してしまった。
野党には2割カットを続けるべきだとか、3割カットに上乗せすべきだと主張したが、議会で多数を占める自民党は削減措置の廃止を決定した。
己らを利する事柄については実に素早い。
復興税が廃止されたのは法人税だけ。
個人に対する所得税には20131月から25年間、住民税には20146月から10年間、特別税が上乗せされている。
震災復興などは我や企業はあずかり知らぬ、国民だけで復興させよとはとても日本の種族とも思えない、遥か彼方からやって来たエーリアンか蛮族か・・・・
国民だけは四半世紀にわたって復興税を支払合えとは権力の乱用以外の何物でもない。
議員と言う種族は我らの給与は法律で決まっているなどと嘯いているが、己らの給与は好き勝手に決議することが出来、それを忌避する手段は国民には残されてはいない。
その法を作り出す議会たるや他の先進諸国のように我が国では正常に作用して佾とは言えないのである。
野党などでは議員給与の二割削減の継続は勿論の事、更に三割削減に上乗せすべきであると主張、法案を提出したが拒否されてしまった。
之をポピュリズムだなどと、知ったかぶりをする新聞屋がいるというに至っては日本の末後もそう長くはない様な気がする。
過去の専制君主制の時代のように、君主の思うままの暴政が出来るのと全く同じ状態にある。
 
議員の制度はイギリスの専制君主の権力を制限するために戦い取った制度であるが、我が国の現状、明治以来の政を鑑みると議院が専制君主制度を助長している様相を呈している。
我が国、日本では如何して優れた人々が現れないのであろう。
太平洋戦争末期、靖国で会おう、と命を散らした若者たちが生きていたらもっと、もっと優れた国に成っていたかもしれない。
現在の日本を見て、命を賭して散って行った多くの若者たちは、日本の現状に涙していよう。
そして残ったのが滓ばかり・・・・・
権力を握って、国民を食い物にするだけの生き物・・・・
世界でも類を見ない高額な給与を貪り、それらが国費を食い尽くし、その結果が一兆一千億の赤字を抱える国に成り下がってしまった。
物の道理さえ弁えない、政治屋、官僚集団が今将に国民を苦しめ、世の役に立たなくなったとはいえ、先のない老齢者の息の根を止めようと計っている。
 
国民は国民で、直接己の給与から差し引かれる訳ではないので、安閑として抗議のそぶりも見せない。
親の年金をあてにするわけでもなかろうと、自分に直接影響がなければ、取り立てて騒ぎ立てる事も無かろうと考えているのだろう。
日本人と言う生き物にはその様な、いや人間と言う生き物自体に己に直接不利益がなければ知らぬ顔の半兵衛を決め込むところがある。
昔、学生の頃安保のデモやメーデーの集会の様な覇気は今の日本人にはとてもとても、何処にも見当たらない。
それだけ無気力と言うのか、政治屋共が勝手放題を行っても反発する気力は萎えてしまっているのだろう。
端的に言えば日本人と言う生き物は政治的に未熟であると云えるのだろう。
民主主義の代表の如く考えている参政権の行使はお祭り気分で出かけてはいる様だが、己の首を締めに出かけていることに気が付かない。
選挙などと言うものは、政治屋共の就職運動であり,体力があり駆け引きに長じた、いわゆる官僚予備軍の受験戦争の受験技術と同じように、それに選挙技術に習熟したもののみが良い思いをする様に、選挙に習熟したものしか当選しないのであり、投票するものも必ずしも賢明な優れたものを選びだすわけではない。
 
閑話休題、僅かな年金で息をついている、世の役に立たないという年寄りの年金をターゲットにするよりも、孝養を尽くすべき者達に代って介護するのであれば介護保険料は彼らの負担であるのは誰が考えても理の当然であろう。
然も介護業者の口車に乗せあられた過剰介護は厳に慎む様、介護項目を見直す必要がある。
我が国の政治屋も官僚と呼ばれる輩も物の道理さへ弁えぬ、頭のネジが緩んでしまった生き物と言えるのだろう。
云うまでも無く、海よりも深い親の恩を忘れた人間と言う生き物は鬼畜に等しい。
 
現在の企業は戦後の混乱期から様々な力によって、国民によって育てられ大きく成長してきたのが、現在の企業の姿である。
国民の生活の向上と共に、労働力賃金が高騰してきたのも事実である。
それ故に低価格な労働力を求めて、海外へ生産過程を移してしまった。
海外へと移した事によって、それまで培ってきた関連企業の技術力までそっくり移してしまったと言ってよいだろう。
国を潤し、民を潤すべきはずの企業の力を、ともに海外へ移してしまった。
要は日本国民によって育てられた様々な力なども、すべて海外へと流出してしまったことになる。
要は日本国で育った多数の企業が国を、国民を見捨てたということである。
ただ己の利益の為のみのために・・・・・国家国民に対する重大な裏切りである。
 
そんな企業が、国の災害についての復興資金の増税を免除され、国民にだけ復興税を課して喜び勇んでいる。
日本人と言う人種はこの様な人種であったとは・・・・・
時代が移り変わって人間と言う生き物の物の考え方も随分と変わってしまった。
政治屋や官僚などと言う人種の性根は己本意で、己さえよければと言うのは、遠い昔から変わる事は無いのだが、・・・・・
そういえば、遠い江戸の時代の商人たちを考えるとやはり己さえよければと言う性根が見え見えであったと、今更ながら思うのである。
江戸や大阪の大商人の金が幕府や藩の政さえ左右したというから、今も昔も日本人と言う生き物にとっては金の力がすべてと言うことなのかもしれない。
 
 
 
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