徒然の書

思い付くままを徒然に

モンテスキューが笑っている その参

 
議会の立法を、憲法を適用する裁判所の下に置いたのが、アメリカ流の違憲立法審査制度である。
アメリカでは違憲立法審査権によって、憲法の番人としての司法の優位が確立し、法の支配が守られると考えられている。
日本は自然法思想に基いた日本国憲法で、それによる政治が法の支配の貫徹なのだが、その法の支配を保障するべき司法の優位は確立しているとは言いがたい
何故なら、司法権の人事権を行政府に握られてしまった司法権は、統治行為論を持ち出して違憲審査の役割を放棄してしまったと言っていい、
即ち憲法の番人の役割を放棄してしまったと言える。
 
 イギリスのように議会に様々な思い入れ、議会に対して尊敬のある国の議院内閣制はいざ知らず、憲法が物まねで導入した議院内閣制は、三権分立を真っ向から否定する可能性のある制度であることを認識すべきである。
 
権力の分立を称えたハリントンはこの様な事態を少なくとも予測して、より厳密な権力の分立を唱導した。
彼の理論はオシアナに記され、より厳格な三権分立はそれを入れたアメリカの政治制度に見ることが出来る。
 
ハリントンは、立法部が専制化した時がもっとも危険であるとして、一院は法案を提議するだけの、一院はその法案を議決するだけの、立法部における両院間の権力分立を考案していると先に述べた。
 
この議院内閣制の欠陥をついて、国政を専断しているのが現在の我が国の政治制度である。
内閣が議会の三分の二をも占める多数派であってみれば、内閣の専横を排除する手段は見当たらない。
このハリントンの思想は立法部の専制化より、議院内閣制における内閣の専制化が遥かに政治的危機をもたらすことを指摘している。
議院内閣制は現実には、完全な権力分立制に基づく政治は不可能であり、イギリス流の議院内閣制では、立法部と行政部はむしろ融合関係にあることを承知した国民であるからこそイギリスの政治が成り立っているのである。
即ち、市民革命前の権力分立論と異なるのは、ロックが、議会と国王との間に矛盾が生じれば、議会の権力が国王の権力に優位するとした点である。ロックのこの考え方はその後イギリスにおいて、政府は議会の信任によってのみ存続するという議院内閣制へと結実していくことになるのだが、ロックはハリントンが考えている様な弊害が起こるとに考えが及ばなかったのであろう。
普通選挙制が実施されている現代国家においても、もしも長年にわたって多数党が政権を独占し続けると、ハリントンが恐れたような事態が発生しかねないことを考えれば、議院内閣制の政治体制は内閣の独裁政治への一里塚になってしまう
 
我が国の立法部のように内閣の専制化によってその機能が破綻した政治体制では、早晩我が国自体が破綻を来たすでろう事は目に見えている。
何もかにもが国民に負担がかかっているのは、高齢者問題や少子化問題ではない。
政治屋や官僚の意識は勿論ながら、そのような政治屋を選び出した国民自身の政治意識に欠陥があったからである。
もう一度、どの様な考えで参政権を行使し、現在の様な歪な国会を作り出したか考える時期に来ているのではないだろうか。
我が国の三権分立憲法に書かれた条文がその様な形をしているというだけの事であり、実際の機能は三権分立どころか一極集中の専制政治を内包した規定であることを認識すべきである。
この様な内閣の専制化によって、作り出された法に依る法の支配はどの様な意味を持つことになるのだろう。
 
違憲立法の審査権を持つ司法権であっても、我が国の憲法のように、司法権が議会さえも左右する内閣の指名と任命に依るとあっては違憲立法審査権などは在って無きに等しい。
過去に違憲疑惑の事案についても、いざとなれば、高度な政治問題などと統治論などと言う鵺みたいな論理を持ち出して違憲判断を回避していた事案が二件も出るに至っっては、違憲立法審査権などは形骸と化した、というよりも有害な制度といっていいだろう。
すなわち、司法権自ら違憲立法審査権を放棄したということに他ならない。
司法権に内閣の影が黒々と映っている様では司法権の独立など在り得ない。
最高裁判事の任命にどの様な慣行があるのか知らないが、弁護士会推薦の人物の任命を内閣によって拒否された事実がある。
恐らくこの人物の思考過程が内閣と合わないと判断したからであろう。
 
現実には、完全な権力分立制に基づく政治は不可能であり、イギリスの議院内閣制では、立法部と行政部はむしろ融合関係にあるが、政治に携わる人間の資質にすべてが掛かっている。
我が国のように、国家の為、国民の為の政治ではなく、己の為、大企業の為、農業の為を優先する政治が行われては、一般国民にとっての正常な政治運営は不可能である。
 
権利の保障が確保されず,権力の分立が定められていない社会は,憲法を有しない、(1789年フランス人権宣言16)といわれるように,権力分立は,権力の濫用を防ぎ権利保障を確保するものとして、近代的・立憲的意味の憲法の不可欠な内容をなすものとされてきている。
内閣によって作り出され法案を、議会はただの承認するだけの機能しかなく、その法の違憲を審査する司法をも支配するとあっては、法の支配の法と言えるかは疑問である。
 
この権力分立も明治憲法下に於いては、すべてが天皇の大権を総攬すとあったので三権分立などとは程遠いものであった、
欧州における政治体制は王権から民衆が立法権を取り戻し、王の権力を制限しようとしている時に。天皇に政治の大権を総攬させるなど、欧州の民主化に逆行する政治体制を作り上げた我が国の政治感覚は異常と言うしかない。
古来から我が国で培われてきたお上思想が依然として残されていることに、我が国の権力主義が、徳川から長州あたりの下級武士や足軽中間どもに移ったというだけの事であった。
古来から我が国にはお上思想があって、お上には逆らえないのが庶民の間に定着していた。
それがタブー化していくのであるが、徳川の葵の帳、明治以降の菊のカーテンには触れてはならないタブーとされてきた。
 
敗戦によって、一週間で起案されたといわれる現在の日本国憲法基本的人権があり、三権が分立し、違憲立法審査権があり、条文の規定を読む限り実によくできた法規範と言える。
元来法律などと言うものはそれを解釈し適用するものの専権事項であり、如何にでも解釈でいる代物だということを、人々は見落としているのである。
 
新しい憲法の規定により
「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関」(41条)、「行政権は、内閣に属する」(65条)、「すべて司法権は、最高裁判所及び……下級裁判所に属する」(76条)と規定され、民主政治を保障する三権分立制が確立された。
と誰もが我が国では立派に三権分立が行われ民主主義の国家であると錯覚している。
 
議会一つにしてもイギリスの議会のように自らの努力にとって勝ち取った議会に対する思い入れとは全く考え方が違う。
イギリスやフランスにおいても、王権による民衆への搾取はわが国と同じように行われていた。
だが彼らは、様々な革命を経験して己らの権利を主張した。
我が国、あえて言う日本と言う島国の生き物たちは、権利を主張することなど全くなかったと言うよりも、お上に逆らうことはタブー視され、云うがままに搾取され続けてきたのは昔も現在も変わりない。
お上に逆らうことは古来からタブーであったことは、日本の歴史を古代にまで遡ってみても納得できる。
それ程日本人と言う生き物は権利と言うものに疎かった。
それが現代に尾を引いて、政治屋とか官僚とかの好き勝手を許しているといっていい。
西欧においては王権を制限して民を守るための理論家が多数輩出した。
しかしながら我が国に於いては、優れた理論家等と言うものの現れる事は一人としていなかった。
只々、外国で行われている制度を真似て作り上げた制度は、外国のその制度や国民の真意やその制度を取り入れた真実を深く追及することも無く、ただ形骸だけを真似た。
従って運用の仕方次第で全く違った結果を生ずるかということさえ知らずに取入れた来た。
要は権力者の都合のいい様な解釈が行われてきたと云うことである。
議院内閣制に至った経緯、その本来の姿が如何であるかなど知る由も無く、議会で極端な多数派を占めるに至って、これ幸いと内閣の専横に走る、単純な生き物が、日本と言う国を支配しているのである。
 
近代的な意味での権力分立思想の起源は、絶対君主の権力増大に対抗して身分制議会が設立された中世ヨーロッパ、とくに13世紀末以降のイギリスにおける政治的実践のなかに求めることができよう。
国王は議会の制定した法律を尊重しつつ統治しなければならない、
従って、我が国の議会のように内閣によって牛耳られた議会で作られた法などと言うものは、立法府としての存在意義のある議会が作った法と言うには値しないということである。
 
議院内閣制は拮抗した二大政党であって初めて有用な政治制度であり、内閣を構成する政党が議会の三分の二を占める様な政治体制では、権力が内閣に集中し、議会は内閣の傀儡と変貌を遂げてしまう。
折角形式的にせよ三権分立を標榜しても、その実態は一極集中、専制政治であるといっていい。
然も我が国のように内閣が司法権の指名、任命権をも握ってしまった政治制度では、司法権の正常な作用は望むべくもない。
従って違憲立法審査権等は有名無実、何の役にも立たない。
まして裁判官の国民審査など屋上屋を重ねるだけの無用の制度であるといっていい。
昭和の時代に猫の眼行政で農民を四苦八苦させた政府や官僚であってもその責任はすべて農民に押し付けてしまった。
その程度の能力しかない政治屋や官僚であってみれば、現在の高齢者社会の老人政策や老人論を展開するだけの能力はもち合せてはいまい。
己の国の主食のコメを減反させてる一方、コメの輸入を強制させられるような阿呆な政府であってみれば、国を治めるなどと言うには力不足なのである。
これは輸入だけの問題ではなく減反させた保障を払うために国民から絞り上げた税を無駄遣いしているということも含まれるのである。
正常な議会であってみれば当然内閣の不信任が出てきて当然の事態であるが、党に阿るだけの議員が3分の2を占める議会であってみれば、議会の機能はないに等しい。
これが国民の大多数が思っている民主主義の実体なのである。
日本国憲法を論ずるには、民主主義の最重要な規定、基本的人権についても論じなければならないが、我が国には真の基本的人権などと言うものは有るのだろうかとだけ言っておこうと思う。
 
議院内閣制などと言うものは、議会と内閣の行政が、融合してしまっているので、法律などと言うものは如何にでもなると思っている。
特に現在の議会のように一党独裁支配下であってみれば、内閣の思うままであって、イギリスの国民が、議会を作り立法を国民の手に取り戻し、行政を行う王の権限を制限した趣旨を、我が国の政治屋たちは議院内閣制の本来の姿をを取り違えている。
 
惜しむらくは、この憲法、人間と言う生き物、と言うよりは、権力を握ったものの本質を、権力を持ったものの驕りを見落としているような気がする。
 
不戦、軍隊を持たないことを高らかに歌い上げたが、十年もしない内に九条は形骸と化す前兆を示し始め、今はもう全く無意味な規定に落ちぶれ散る様な気がする。
これは、人間と言う生き物がどの様なものであるか、人間の本質を看過したことにある。
これと同じように民主主義を目指す規定に、その感が強く表れている。
 
 


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