徒然の書

思い付くままを徒然に

蛇の目傘~時代が変われば・・・~

蛇の目傘~時代が変われば・・・~

 

昭和公園の何の変哲もないただの広場に、整然と並べられていた、今までの野暮ったい企画とは一味違っているように思った、いい趣向を凝らしたものだ。

蛇の目など現代では見たこともない人は多いだろうが、まあまあの企画だろう。

いまでこそ、このような装飾的なものとして扱われているが、我の子供のころは実用一転張り。その時代でも蛇の目は番傘と比べると高級品。蛇の目もこの様な文様を描かれると、芝居の小道具としても使われたことだろう。子供はほとんどが番傘を差して登校したものだ。蛇の目は字の示すように蛇の目をイメージして作られた雨具であるが、分厚い油紙に粗削りな骨の番傘がよく出回っていた。

江戸の中期までは町人たちはこのような雨具はなくほとんどが菅笠に蓑、蓑さえも無く、尻端折りをしてずぶぬれになって、走り回っていたらしい。

番傘の謂れは商店が顧客に貸し出すためのもので、屋号と番号を書いていたというところらしい。

江戸のころは人々はとにかく貧しかった。

町人に限らず武士も並みのものは、借金にまみれていたのだろう。ただ武士という矜持にすがっていいていた。裕福だったのは賄賂にまみれた一部の高級官僚であったに過ぎない。

それゆえ雨が降った方と言って、今の様な雨具など及び持つ方なったろう。

政治を行うものの人間としての矜持を捨てて、富に群がった、他人のことなど構ってはいられなかった、それは今も昔も変わらないであろう。

短絡的な阿呆がコロナを理由に己の金を配るが如く、ありとあらゆるところに金をばらまいた。

もらった方は喜んでいるのか、この後何十年にもわたって、子孫の代までその回収に苦しめられることも考えず、馬鹿な為政者っていうのは、あらためて国民のために働くなどと宣言してはばからないが、政治屋などというものは、国民のために働くだけのために、貧しい中から高額な銭を払っているのである。

改めて国民のために働くなどと言われると、では今までは何をしていたのか、誰のためにと、問いたくなる。

それはさておき、現代では蛇の目を誂えるには形ばかりは蛇の目以外のもの除けは、万以上、ものによっては一桁上のものになるのかも・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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