徒然の書

思い付くままを徒然に

罹患者の免疫力期待は大昔の話

 

この様な非常事態が起きた場合政治屋や官僚、学識経験者などまったく及びじゃないんだよね。

単なるこれまでの陳腐な経験論からの発想で、飛躍的な発想なんてものが全く及ばない。

頭の柔軟な先見の明のある有意な人物が必要になる。

カナダのコロナに対する臨戦態勢は整っているようです。

スーパーの買い物なども買い物客のチェックは厳重のようです。

まあコロナについては、どこまで拡大していくか、わが国の様な隠し事をしている様な体制では、とどまるところを知らないでしょうね。

細かいことを発表すると人権の問題だと阿呆なこと言う輩が政治屋や官僚にいる間は、

科学者がよほどがんぱってワクチンを開発する以外に沈静化の方法はないだろうな。

若い人たちでお上思想に毒されていない人々が政治屋や官僚どもの優柔不断をチェックして改善を要求する気概を示さないと、日本の科学者の努力期待ばかりでは収まることは期待薄ですね。これを機会に古来から洗脳されてきたお上思想を払拭して、政治屋や官僚どもの頭の構造を逆に洗脳する必要があるかもしれません。

われ等姥捨て山に捨てられた、老いぼれにはコロナがどんなに蔓延しようとも恐怖というものはそれほどないのですが、臨終を迎えるまで、元気に動き回りたいことだけが願いなんですね。

毎年、年の暮れに友の欠礼の通知が届くにつれて、死というものに対する恐れというものはほとんど払拭されたと思ってはいるのですが、これも年の所為だろうが、病院などで生ける屍の扱いを受けるのはお断りしたいことだけが望みと言えば望み。

今の医学は、コロナに対応できる技術はなくても、生ける屍のまま一年、二年生かしておく技術だけは発達進歩しているようですから・・・

肉体はベッドの上で生きていても、魂はもう抜け出して遥か彼方へ行っているだろうがね。

人間死を恐れるのは、死の先に何があるか誰も確認したものがいないからのことでしょう。

私など一人残されて先に行った者たちに再びまみえたいと思ってはいるのですが、それはこの世では絶対に不可能ですね。

彼らに会うには私があちらへ行かなければならないのですが、これとてもどれほど確率で会えるものやら、かって経験したことのある人がいるのかいないのか、それでもこの世にいるよりはあちらへ行く方がその確率は増えるでしょうね。

会いたい人はもう一杯いるのですから、それだけは今の楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

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