徒然の書

思い付くままを徒然に

諸子百家 その弐

荀子儒家の部類に入るのだが、孔子孟子の様に、彼らの言う天等と言うものを全く問題にしていなかった。
天に人格神的な性格は全く認めていない。
堯瞬から文王へと渡った周以来の天が人間を支配し、それが天命となって、人間共に降されるという思想は荀子にとっては全く無用なものとされた。
その件は荀子の天論篇に延々と説明されている。
その一つを抜き出してみると・・・・・
天行、常あり。
堯のために存せず、桀のために亡びず。これに応ずるに治を以てすれば則ち吉、これに応ずるに、乱を以てすれば則ち凶なり。・・・・・・・養備わりて動刻なれば則ち天も病しむる能わず、道に従いて弐わざれば、、即ち天も禍する能わず。
 
自然は一定不変の法則に従って運行する。・・・・・
時を受くるは治世と同じくして、而も殃禍は治世と異なる。
以て天を怨むべからず、その道然るなり。
故に天人の分に明らかなれば即ち至人と謂うべし。
 
それは理想的な天子の尭帝が現れたから運行し、暴君の桀王が現れたから運行しなくなると言うものではない。・・・・・・人としての道に従って踏み外すことがなければ、自然条件がどれ程悪くとも、そのような人は病気にはならないし、人としての道に従って踏み外さなければ、自然条件がどれ程悪くても災難は降りかからない。
 
世が治まったり乱れたりするのは天に依るのであろうか・・・・
日月星の循環は聖王禹の時も、暴君桀の時も同じであった。
それで、禹のときは治まり、桀のときは乱れた。
それ故、治乱は天によるものではない。
この様に説かれると天とは自然以外の何物でもない。
 
現在の自然条件は太平の世と同じであるのに、太平の世と違った災禍に悩まされているが、だからと言って自然条件の所為にしてはいけない。その人のやり方によってそうなっただけの事に過ぎない。
だから自然の事と人の事とをはっきりと弁えればそれは最高の人物と言うことになる。          ―――世界の名著 諸子百家――――
 
すなわち、荀子が云う天、天の摂理は人間の行いによって齎される世の治乱とは何の関係もないものとして使われている。
荀子にとっての天、あるいは天の摂理は自然を意味するといっていい。
周の時代の宗教的な意味を有する天と荀子が云う自然にに於ける天との間には大きな違いがある。
荀子の言う天人の分宗教的な天と言うものへの決別であり、独自の恒常性あるものとして、人間的社会的沅湘から切断したその意義を把握しておく必要がある。
人間の能力ではどうしようもない自然の作用、更に人為と自然は区別しなければならないことを強調した荀子・・・・天人の分明らかなれば最高の人と、自然と人と関わりのないことを強調している。
宗教的天に決別したといえる。
荀子にとっては、天とは自然を意味することになる。
天人の分と言うテーゼによって自然と人間を分離した。
ここでいう天とは外的自然である。
それと人間を分離した、とは言ってもそれだけで、自然の中での人間と言うものの位置付がはっきりしたとは言えない。
強国篇に人の命は天に在り、国の命は礼にある、とある。
この言葉から察すると、荀子は人間の運命と言うものを様々な自然の中の一つとしてみていたと云えるようである。
自然と言うものが問題になる場合、人間を取り巻く自然、人間の外部の自然現象や、自然環境を意味する。
しかしそれと共に人間の内部の自然、すなわち人間そのものの生理的、物理的自然現象を考える必要がある。
人間が社会を形作って、外部の自然に働きかけることによって、社会が変化し、発展していくとき、同じように人間は自分自身に生理的にあるいは物理的に働きかけているといえる。
 
 
荀子 性悪篇 には次のように書かれている。
人の性は悪にしてその善なるは偽なり。いま、人の性は生れながらにして利を好むあり。
故に争奪生じて辞譲亡ぶ。
生れながらにして、疾悪するあり。
故に残賊生じて忠信亡ぶ。
生れながらにして、耳目の欲の声色を好むあり。
故に淫乱生じて、礼儀文理亡ぶ。
しからば即ち人の性に従い、人の情に順剮場、必ず争奪に出で、犯文乱理に合いて暴に帰す。
故に、必将ず法師の化と礼儀の道あり、然る後に辞譲に出で、文理に合いて治に帰す。
これを用てこれを観るに。
然らば即ち人の性の悪なること明らかなり。その善なるものは偽なり。
 
 
人間の生まれつきの性質は悪いものであるとする主張であり、孟子のいわゆる性善説に反対して説かれたものであり荀子の特色ある思想である。
性善説と言い、性悪説と言うも善とは、悪とは何を意味するのか、性を生まれながらに備わったと解されることが多いが、性そのものの定義はむずかしい。
孟子は人間の内心にある道徳への傾斜、志向その存在を認めて性と呼んでいる。
他方荀子は人間の生れながらの生地、素材を性と呼んでいる。
それでは悪とは何ぞ、荀子は性悪篇でいうには、善とは道理にかない秩序立っている状態であり、悪とは偏頗で筋の通らない乱脈を言う。
これが善と悪の区別であると言っている。
礼儀、謙譲に基く道義の世界に至らない、野放図な自然状態、人間の持って生まれた性はその様な状態にありそれを悪と荀子は言う。
これが果たして悪だろうか、これは不善というものだという人もいるが、ただの言葉の遊びに過ぎない。
孔子孟子の各々の説は性とは、悪とはと言う定義自体が異なっており、性善、性悪等と対立させること自体が問題なのである。
だが、荀子が性悪篇の初頭で、人の性は悪にしてその善なるは偽なり。いま、人の性は生れながらにして利を好むあり。と述べる様に、人間と言う生き物は利のためであれば、自然であれ人間であれ、自分以外の者に対して、何をするかわからない嫌悪すべき性癖を持っている。
これが悪でなくてなんであろうか。
両者ともに、成長過程に於いて、教育が為されなければ悪へ傾いていくことは認めている。
ただ問題は、人間と言う生き物の内心の自然はどの様な色合いを持っているのだろうか。
それが本来的に善だとすると、それを育む事、悪だとすると、教育はそれを抑え外部から善の芽を付け加えなければならない。
後の教育の方法に大きな差が出ることは疑いもない。
孟子荀子の言う性善、性悪等と言う同じ土俵の論議ではない不毛の論議に精力を費やする愚は避けた方がいい。
人間などと言う生き物は、生れながらにしての性根は判らないにしても、その本内心の自然には悪の芽が潜んでおり、常に外的自然へ顔を出す機会をうかがっていると考えた方がいい。
生まれたばかりの一歳の子に争奪の心はない、成長するにつれて、利欲の心が現れて、行いを誤らせるという人もいるが、一歳の子に果たして利欲の心はないだろうか、意識するとしないにかかわらず・・・・・・
ただ本能のままに動くというなら、一歳の子であっても生得、内心の自然は悪を為し得るし、性悪を肯定することもできる。
 
元来が、人間と言う生き物、他人の持っている物を欲しがる性癖を持っている。
人が善を為そうと心掛けるのは性が悪であるからであって、醜悪なものは美を、狭きものは広さを、身の賤しいものは高貴を、求める。
少なくとも己の内心の自然の中にない物は必然それを外的自然に求める。
金持ちは財を欲しがらず、高貴なものは権勢を欲しがらない。
この様に、己の内に備わっているものは他にそれを求める事はしない。
人間と言う生き物が善を為そうとするのは己の内的自然の中に善と言うものが備わっていないからだといえる。
尤も、金持ちはますます金を欲しがり、権力者はあらゆる権力を欲しがるという、貪欲な利己心を思うとき、人間と言う生き物の内心の自然を諮り知ることは不可能なように思える。
 
韓非の言うように法によって厳しい規制を行わなければ人間何をするかわからない。
現代においても、法に依る罰と悪事とを天秤にかけながら悪を行い、法の眼を逃れる術を見つけ悪事をなす輩がどんな世界にも蔓延っている。
孟子の言うように生得ではなくても、内心の自然に善の芽が有り、教育でその芽を育て、善意の世界が出現すれば、どれ程人間と言う生き物に信が置ける様になるだろうか。
荀子に於いては性悪な人間がどの様にして善となると考えられたか。
荀子の言う偽とは、教育を施し性を作り変えて秩序を与える事が偽なのである。
 
孟子は人に学習意欲があるのは性が善だからだというが、荀子はそれは間違っているという。
孟子は人間の性と偽との区別が分かっていないという。
荀子は、性とは生まれつき備わっている自然のもので、学習したり経験や努力したりして得られるものではないという。
 
人間がこの自然に対する働きかけが単独によって行うのではなく社会を形成することによって行うのであることは言うまでもない。
社会を形作ることによってのみ、人間は自然を利用し変化させてゆくことが出来るのである。
そしてまた社会は人間が自然に向かって働きかける過程にあって、絶えず変動し発展してゆく。
こうした社会の変化発展は当然にもそれを形作る人間の思考の変化発展をもたらす。
かくて人間と自然、言い換えれば社会と自然は互いに作用、反作用し合う関係にある。
社会を形成する人間の自然に対する働きかけの中で、社会そのものが変化、発展してゆく。
というこの事実は、自然とは人間がそれに働きかける事を通じて社会を形成し、発展してゆくものであり、その意味では単純に人間ないし社会に対するものではなく、かえって、社会の一つの要素、契機であることを示している。
――――内山俊彦 荀子――――
後の世のルソーあたりの似たようなことを言っている。
 
孔子辺りが、理想の政治などと言う堯瞬から文王の周王朝を理想としたと謂えども、当時の社会は小さなころより習い覚えたものが習い性となって、支配階級として、社会から遊離した儒教的世界であり、社会の底辺でうごめく人々は道教の世界で、精神生活を支えており、それぞれに生きていたと言える。
支配階級と社会の底辺の人々は乖離していたと言えるのだが、長い間に、道教的な感覚は遠く離れてしまい、その情念を失ってしまっていたと言えるかもしれない。
しかし、道教としての心根は備えているはずで、道教に関する書を読めば、儒教に凝り固まった連中とは比較にならない程抵抗もなく受け入れることが出来たであろう。
 
論議している土俵が違うのだから何処まで行っても、・・・・・
まったく不毛の論議と言っていい。
韓非が云うように、人間の本性を見ていると、すべからく悪へ走る素養に満ち満ちているのが、人間と言う生き物なのだろうと思う。
 
参照文献
諸子百家     湯浅邦弘著     中公新書
韓非子      冨屋 至著     中公文庫
荀子       内山俊彦著     講談社学術文庫
荀子       世界の名著     中央公論社
 
 
 
 
 
 
 
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