諸子百家 その参
当時の儒教は上流階級の人物によって読まれたものであるが、彼らにとっては韓非の思想は理解できなかったであろう。
彼らが韓非を理解したのは全くの的外れのものであった様で、彼等が理解した韓非は冷酷非情な法治主義者としてであった。
太祖の治世の政治の底流には韓非子の思想が脈々と流れていた。
太祖は韓非が云うように人間と言う生き物は利によって動かされる性であり、支配者の徳治による政治では国が成り立たないことを見抜いていた。
後年現れた、西の韓非とも言われるマキャベリなども韓非と同じように時には君主の残虐さが必要であることを説いている。
二十世紀も後半になって、多数の竹簡が発掘されたが、それは秦の法治の実体を示す、法律関係文書であったという。
中央集権化、官僚体制の整備、農業、軍事を重視した富国強兵、その内容は法家思想を集大成した韓非子の思想を彷彿とさせるものであったという。
―――諸子百家 湯浅邦弘著―――
韓非は荀子に学んだが,後天的な努力や学問によって、はじめて人間の性は善になると考えていたが、修養途上の人間に善を加えるもの礼であるとした。
礼はあくまで人間のそれ自身の努力が必要である点で、人間に対する信頼が必要であった。
儒教などと言うものはこの信頼をもとに君主と言われるものの徳によって政が行われる必要があるというのであるが、この春秋戦国の世には、仁徳を備えた君主などと言われるものはついぞ現れる事は無かった。
法治主義を掲げて戦国の世を動かして行ったのは、法家の思想であった。
読三国者、庸。読孫呉者、能。読韓非者、賢。
即ち、庸は三流、農は二流、剣は一流を意味する。
要するに政治屋や官僚などと言う輩の頭の程度はこんなものなのだろう。
だが、中国の古典に類する書物は少なくとも飛鳥の頃に仏教などが入り、平安の時代に至っては随分と様々な書が入って来ていた、我が国では太古以来現代に至っても、徳治による政が行われたことは一度としてない。
中国の真似をしたのは律令による、人民を搾取するための方ばかりで、徳による政治は過って、現代に至るまで我が国で行われたことはない。
太祖の時代の政治の底流には韓非の法治主義は厳然とした姿をとどめていた。
韓非の言うように人間と言う生き物は利によって動くのであり、如何に儒教による教育があったとしても、人間と言う生き物を制することは不可能である。
その楽園を完成させるためには儒教による徳治でありその為には人間の性は善であらねばならなかった、と思い込んでいたのである。
そこに法治主義なるものが登場しても理解することは殆ど不可能であったろう。
ただ、法治の思想を称える韓非も当然のごとく冷酷非情な人間とされたことは当然のごとくではあったが、韓非自身が冷酷で非情な人間であったかどうかは判らない。
次の言葉を吟味すると良く解ると思う
興人の興を成すは、則人の富貴を欲す。
匠人の棺を成すは、即ち人の夭死を欲するなり。
興人は仁にして、匠人は賊に在らざるなり。
人貴からざれば興售れず、人死せずして棺買わざればなり。
この意味は人がどんどん出世して、人がどんどん若死にしなければ商売が繁盛しないからである。
情として人を憎むに非ず、人の死するところに利あればなり。
商売上の望みであり、これを以て棺桶屋が悪党であるとは言えなかろう。
そんな世界に倫理道徳を持ち込むこと自体が無用な事なのである。
次の例は倫理道徳を持ち込むのが無用だ、で済めばまだいい方である。
魯人従君、三戦三北。
魯の人君に従いて戦い、三戦して三北す。
仲尼問其故。対曰吾有老父。身死莫之養也。
仲尼の訳を問う。答えて曰く吾に老父あり、身死すれば之を養うものなしと。
仲尼以為孝、挙而上之。
仲尼以て孝と為し之を上らせたり。
仲尼賞而魯民易降北。
仲尼賞して魯民降北を易る。
仲尼が脱走兵を嘉賞したことが知れ割ったって、その後魯国の人民は脱走を軽く考える様になり、戦場から逃亡する者が絶えなかった。
この仲尼と言う男、弟子を教育する資格もない阿呆な男。
孔子等と崇められても、馬鹿の一つ覚えの様に、時と状況を考えもせずに、いかなる結果をもたらすのか考えもせずに己の考えを述べるなど、教育者としては無能以外の何物でもなかろう。
孔子が、諸公にいかに遊説して歩いても、一度として用いられたことのないのは、ただの口先だけのものと見抜かれていたのであろう。
孔子にはこの様な前後の見境もなく、ただ己の考えを述べたために、世に不都合をもたらした逸話は随所にみられる。
罷り間違ってこのような男を側近にすると、国を滅ぼすことになることを諸侯は見抜いていたのかもしれない。
政治と倫理道徳を混同して、人民を教育することで政治の目的を達したと信じ込んでいる儒家にとって人間を善玉と悪玉に別ける必要があった。
先王之仁義可以戯、而不可以為治
先王の仁義以て戯と為すべくも、以て治を為すべからず。
先王の行った仁義は今や演劇として楽しむもので、政治には役には立たない、
この場合の先王は尭舜、文王などの成徳に満ちた古の帝王の事でその遺徳の継承と実践こそが、儒教の世界における政治の要諦だと思い込んでいた。
古人函於徳、中世逐以智、当今争以て力。
古人は徳を函に、中世は智を逐、当今は力を争う。
力を争う時代に在って智を逐い徳に勤しんでも政治にはならない。
政治の形態は時代時代によって大きく変わることを知る必要がある。
是仁義は古に用いて、今に用いるべからず世異なれば、則事異なる、事は世に依りて備は事に適う。
政治における仁義の実践は今や時代遅れで役には立たない。
時代が変われば、物事も変わる。
だから適切な対応が必要であり、時代に即応した対応が必要である、というのが韓非子の首長である。
高々、孔子辺りの雑学の知識を仕込まれた者にとっては、歴史は変化するという史観に思い至らなかった。
ただ阿呆の一つ覚えの如く、先王の徳治の政治形態しか頭ないに儒家にとっては、韓非の考え方とは水と油のように相容れる事は無かった。
儒家にとっては韓非の考え方は過酷な法の支配と悪魔とも思える政治的論理と思えた事たろう。
孔子が脱走兵を嘉賞したことが知れ渡って、その後魯国の人民は脱走を軽く考える様になり戦場から逃亡する者が絶えなかった。
その為に魯国は戦うごとに敗れた云うのがこの話の落ちであるが、孔子の様な無見識な輩によって魯国は国として成り立たなくなってしまった。
政治の世界は倫理道徳とは別物であることさえ認識できない者が多くの弟子を教育するほど恐ろしいことはない。
政治に世界にも、自ずから政治を律する倫理号徳は存在する。
政治の世界の倫理道徳と一般社会の倫理道徳とは別物で、同日に論ずることは出来なかろう。
韓非の思想は秦律に多く取りいれられている。
結果主義、能力主義、信賞必罰主義や職分原種の主義等々。
韓非子の中で特異な光彩を放つのは、彼の持つ人間観についてである。
人間を駆り立て動かしているものは何であろうか。
愛情、義理や人情、まして儒家などの言う性善、性悪等と言うものではない。
人間を動かしているものはただ一つ利である。
人間は利によって動く生き物であり、韓非子の全編を通じて語られている、冷徹な認識である。
先にも書いたが、棺桶屋は人の夭死を願っている。
これは人に対する憎悪の認識ではなく、人が死ねば儲かるからである。
普通人間はこのようなむき出しの人間認識に触れると反発を感じ、少なくとも軽蔑の情を示すだろう。
だが一面人間社会の人間認識の真実を言い当てていることに間違いはない。
人間と言う生き物の心の奥底には、自覚すると否とに拘らず、そのような認識があると言えるだろう。
この考え方を徹底すればトップと部下の間でも同じように通用する。
それではトップと謂えども枕を高くしては眠れないことになる。
組織を、己を安泰にするには・・・・
韓非は対策を持っていたらしい。
韓非子 安能 務著 文春文庫
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