諸子百家 その四
人を信ずれば、人に制せらる。
人間不信の哲学が韓非の思想の中枢である。
政は仁、義などと言う曖昧な主観的ものではなく、法、刑罰と言う客観的なものをによるべきであると考えた。
法治による政は血縁の親疎、あるいは身分の貴賤等々に関係なく、すべて法に従って処理された。
法の前には親子の信愛、君臣の恩愛と言ったものは考慮されることはなかった。
厳罰主義、過酷な政、厳格な法治と言うのが韓非の印象である。
この法地による厳罰主義が過酷に見えれば見えるほど、犯罪の防止に効果を発揮する、予防刑の目指す処である。
その韓非の言う法とは・・・・
国家的な制裁、行為規範としての実定法、を意味し成文法として公布、それを効果あらしめるために、賞罰を設けると言うものであった。
韓非の言う法に依る統治は、不条理な降の適用あるいは過酷な刑の執行を行ったのではない。
韓非の方策は三つ
その一法、その二術、その三勢だという。
それぞれの意味は・・・・・
法は信賞必罰をはっきりと明示し、それをきっちりと実行すること。
術は人に見せるものではなく、己の内にしまっておき、あれこれ比較しながら部下を操縦する事。
いかに優れた方を作っても、その使い方を誤ると、全く意味を為さなくなってしまう。
その使い方ひとつにトップの力量がかかっているというのでしょう。
勢は権勢と、権限とかいう意味である。
部下が命令に服するのはトップの有する生殺与奪の権に依るのである。
この権限を保持している限りトップは安泰であり、手放した仕舞うと、部下に対する権はは効力を失ってしまう。
権限の委譲などと言うことをよく聞くが、これを成してしまうと、もはやトップとしての地位を維持することは出来なくなってしまう、これが勢の意味である。
韓非は様々な例を引いてこの権の移譲についての功罪を説明している。
支配階級で生きる者たちは、社会の底辺で生きる者たちと乖離していた。
その彼らとて道教の思想とは何かと言われたとしても即座に判る訳もない。
しかし、儒教にとって道とは規範であった。
儒教に凝り固まった頭では、そのまま読むと規範は規範でないといういうことになり意味が解らなくなってしまう。
読み替えてみても恐らく規範は不変の規範ではないとしか読めなかろう。
人心掌握に長け、権謀術数にに通じ、過酷な法の支配を、淫靡な術を駆使する、峻厳な政治統治と社会統制の方を開発して、覇道による全国統一を始皇帝に説いて、虐政を行わしめたものと捉えられたのであろう。
―――韓非子 安能 務―――
しかし韓非にとっては性善、性悪などは超越してしまっている。
孔子と言えば中国では聖人と崇められている様だが、春秋戦国の時代に遥か昔の尭舜文王の徳治の政治を標榜し天の命でそれを己が託されたような錯覚に陥っていた。
政治の場は倫理道徳とは別の世界であることを理解できず、法治による政治は悪逆非道な権謀術数の世界のように思っていた。
戦国の世に、只々、ひたすら堯、舜、文の徳治を目指す視野の狭い孔子等をいずれの諸侯も用いようとしなかったのは当然の事であった。
青銅器の時代は過ぎ、鉄器の時代に入り、農業生産の生産力は拡大し、社会規模は驚くべき拡張を見せていた。
これ仁義は古に用いて、今に用いるべからず。
世異なれば則事異なる。世は事に依りて、備は殊に殉。
政治における仁義の実践は今や時代遅れで役には立たない。
時代が異なれば物事も変わる。
それ故に時代に即応した適切な対応が必要であり有効な対策を用意しなければならない、と韓非が云うのは至極当然の事である。
古の古代国家の聖王たちが君臨した聖代の復活を夢見る、儒教の総帥と言われ、政治的には無能な孔子等は尚古思想に酔いしれ、歴史の変化をすべて邪悪なものとする史観や、それ故に理想の王朝への回帰を諮ろうとする孔子等の思想とは永遠に相容れないものと言えるのだろう。
その為に秩序と、それを可能にする機構と制度を作り上げる事が必要であった。
歴史は常時変化するという史観それに伴う政治の変革は必要であるという。
それには先を見通す優れた頭脳が必要であるが、儒教辺りに毒された官僚辺りではなかなか難しかろう。
な思想と思われるのも無理からぬことであったろう。
韓非にしてもマキャベリにしても極め付きの人間不信の持ち主であったことは、彼らの著作を見れば納得できるであろう。
はるか時代の下がったころ、どこかの国で無能な官僚や政治屋によって作り出される施策が次々に破綻をきたし使い物にならなくなっている政治を行っている国もある。
それは先見の明に欠けた無能な政治屋や、官僚と言われるものの劣悪な頭脳が考え出した安易な政策によってもたらされた結果である。
その失政は当然のごとく民に負わせるのが常であった。
今日でも我々が使う様な慣用句としての意味合い、天の配剤とか、天の時とかいう位のものとしてしか扱っていない。
韓非にとっては正面から問題にするほどのものとは考えていなかった
孟子などとは全く発想が違うのである。
韓非の考えるのは性がどの様な実態を持っているのかということなのである。
人間と言う生き物は只々利益を求めて行動する者であって、金銭、物質はもとより名誉など己を満足させるもの、己にプラスになるものは何であれ、無意識のうちにそれを得ようと行動する。
人間地う生き物は本能的に、利と言うものを求める生き物であると言っていい。
人間と言う生き物の本性と言うものは所詮はその様なものでしかなかろう。
ただ、時として、真偽、義勇、などで自己を犠牲にするような行動に出るものも居るが、人間と言う生き物の本性は義や信のために自己を犠牲にして動くのではなく自己の利益のためだけに動く、というのが韓非の思想なのである。
韓非は人間の本性に基ずく行動は善だとも悪だとも言っていないと云うことである。
善だ悪だというのは、人間の行動はこうあるべきだ、この様にすべきだという規範とも言うべきものがあって初めていえる事であって、現実にはこうあるのだから、そこから出発しなければ論議の対象にはならない。
即ち、人間と言う生き物の理性と言うもの自体が考慮の外に置かれているのである。
この時代の論客で利をもっとも嫌悪したのは孟子であると言っていい。
孟子の最初の巻、梁恵王章句で恵王の利と言う言葉を聞いて、過剰とも思える反応を示して、王さまは仁義の事だけを気に掛けたらよろしい、如何して利益の事など仰せになるのでありましょう、と嫌悪の情を示している。
君臣兄弟の人間が仁義を捨てて利益計算だけを考える人間関係、そのような状態がごく普通に行われている国は長く続いたためしがないと孟子は力説する。
と孟子は言うが、太古以来人間と言う生き物の本性が利を求め者であってみれば、教育によって僅かに是正されるとしても、利に対する本性が消滅したとは言えないのである。
それ故、韓非はそれでも、人間は利で動く、君臣、血縁などの人間関係は互いの打算、計算だと主張する。
政治の場に法を無視して、礼、儀などの道徳規範を持ち込んで、人民を支配しようとすることに無理があるのである。
参照文献
韓非子 安能 務著 文春文庫
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