徒然の書

思い付くままを徒然に

先入観


 
先入観って正確にはどの様な意味なのだろうと、広辞苑で探してみると、次のように書かかれていた。
始めに知ったことによって、作り上げられた固定的の観念あるいは見解。
それが自由な思考を妨げる場合に云う。
人間の精神活動はとても面白く、何の変哲もない事柄がある程度度重なると、必然的に頼りない脳みそに蓄積されてそれについての観念が出来上がってしまう。
一番手っ取り早いのは、犯罪者に対する司法警察員たちの頭の中にできあがっている。
だから、前科のあるなしに係わらず、以前何らかの疑いをかけられた者はすぐに調査の対象にされてしまう。
重大な事件などになると、裁判などでは予断の排除とか言って、裁判官に白紙の状態を期待する措置をとる。
とは言っても、いまの世の中の様にマスメディアの情報が氾濫している時、裁判官に全く白紙の状態で予断を生じさせる情報をシャットアウトできるかどうかは不明であるし、事前に前科者などと言うのがインプットされると、決して白紙の状態で裁判と言うゲームを進めることが出来るかどうかは疑問である。
それ程人間の先入観は厄介なものではあるが、通常の社会生活を送っている人々にとっても数多くの先入観が出来上がっており、その先入観が様々な姿となって現れてくる。
何も、先入観についてあるいは人間の精神作用について書くために先入観を持ち出したのではない。
かく言う私にも、物忘れが多くなって、認知症になったかなと思うほど物忘れのひどくなった様な頭であっても、その片隅に多くの先入観が残っている様である。
と言うのは、つい最近コーランについてのある作家の随筆集を読んでいたのだが、このイスラム教に限らず、ユダヤキリスト教あるいは仏教など人間の精神作用に強大な影響を与える宗教と言うものを考えてみると、その歴史は戦の、戦闘の歴史であったと思い当った。
宗教と宗教との戦いであったり、宗教内部の宗派の戦いであったり、その宗教の神と称するものと人間との戦いであったり、様々であった。
宗教の戦いなら己の宗教の中でのみ行っていればいいものを、他宗が気に食わないと言っては争いを起こしている。
いずれの宗教も人間愛、博愛を標榜する割には、極端に残忍で凶悪な、無辜の人々の殺戮にうつつを抜かす殺戮教団に変身してしまう。
古い時代の、西欧の十字軍などその最たるものであったろう。
尤も、キリスト教の自称神と言っているヤハウエ―などという輩は、己の気に入らないことがると、平然と残虐な殺戮を行い平然としているのだから、それを盲信した者たちも戦いを起こし、暴行略奪、更には強姦、殺戮などは朝飯前であったろう。
元々ヤハウエーはイスラエルユダヤ教最高神とされてはいるが、所詮は人間が創り出した神であり、当時の人間の資質能力によって神の能力も決まってしまう。
言葉では全知全能などとは言っても、様々な処で破綻をきたして、それを繕うのに四苦八苦しているのが、宗教と言われるものの神なのである。
ヤハウエーのやった殺戮は人間世界では神などと言う代物の行うべきものではないというのが人間の精神世界である。
己が作った地上にうごめく物の失敗作の最たるものが、己に似せて作った人間と言う生き物であった。
その己の失敗を棚に上げて、人間の行いが己の気に入らないからと、ホロコーストを行う神など信じよという方が無理である。
ソドムとゴモラでは町全体を消滅させたり、
モーゼなどと言うものが実在したかどうかは知らないが、よく言われるモーゼの十戒に汝殺すなかれと己が指示しながら、己は殺戮を繰り返す。
このシナイ山でのエジプトからの脱出者は偶像を崇拝したと、三千人が殺戮されている。
この自称神が殺した人々について書いてみると・・・
アダムとイブを楽園から追放して死をあたえ
ノアの大洪水で、人類虐殺を・・・
ソドムとゴモラで、ホロコーストを・・・
シナイ山偶像崇拝したと処刑し、責任者のアーロンはモーゼの身内と言うことで依怙贔屓をし、他を弑し・・・・・
十戒で人間を拘束して服従させ
イスラエルの民だけに特権をあたえ、他民族を弾圧して皆殺しにし,後にマホメットが現れて、抗争の種を作り・・・・
とにかく逆らうと死ぬんだよ、という恐怖を人間に植え付け、逆らへば死刑という究極の選択を人間に強要する。
これは現代の言葉でいえば、神などではなく、悪魔と称するものである。
 
人間と言う生き物、元来が争い事が三度の飯より好きで、世界の歴史を見ても戦争の絶えたことはない。
己の国には直接関係のない他人の国の争いにシャシャリ出て戦争状態を作り出す狂気の国もある。
とくに宗教は、その争いごとの好きな人間と言う生き物の精神に直接かかわってくる甘い言葉で精神をとろかすために、催眠状態になったと同じような行動に走る。
 
このヤハウエーと言う輩、ユダヤキリスト教の民だけでは飽き足らず、七世紀になって、己に従順そうな民をアラブの中に見つけた様で、盛んに手懐けようと計った。
ヤハウエーはここではアラーと名乗りマホメットを手懐けて、イスラム教を起こさせている。
このイスラム教も数多くの戦いを経て、キリスト教に並ぶ大きな宗教組織になった。
そのイスラム教は内部同士の戦いに明け暮れた、戦闘好きな教団で、様々なものに対して戦いを挑んでいる様である。
 
9.11と言うと覚えている人も多かろうが、これを引き起こして以後テロ行為が世界中に蔓延している。
それが、イスラムとかかわりがあり、イスラムの人種がその先兵の様に、その戦闘的なニュースがあって以来、イスラム教の戦闘的体質に少なからぬ憎悪を感じていた。
テロをやるなら、薄汚く逃げ隠れせず、戦いを挑むがいい。
先に上げた本を読むと、ユダヤ教キリスト教と同じヤハウエーがイスラムの神であり、コーランの内容が旧約聖書そのままのような内容であるという。
それで一挙に納得できたのだが、ヤハウエーなどと言う自称神は矢張り悪魔であったと納得したものである。
ユダヤによって作り出された余り出来のよくない神が何故イスラムの神として信頼を得たのか・・・・・
然も、アラーと名を変えて、神に対する絶対的な服従を信者に課す、絶対神として登場している。
ヤハウエーなどと言う輩が創り出したと言われる、様々なものが、欠陥ばかりが目立ち,その己の不始末を人間を殺戮することで補おうとしたが、その程度では焼け石に水、ついにノアの方舟などと言うものを、シュメールの神話をまねて作り出したはいいが、ここでも己の能力不足を露呈してしまう。
地球上の生き物すべての抹殺を目論んだが、人間をはじめ様々な生き物を己を信じる者に限定して、世を作り直そうとして、己を信じる者ノアを依怙贔屓で選んだが、洪水後の世の有様を鑑みると、全く効果がなく、己に対する信はなく、相も変わらず、至る所で人間共は争いを続けている。
このヤハウエーのやった行いから比べると、ナチのヒットラーホロコーストなど物の数ではなくなってくる。
 
パールバックもその著書聖書物語のノアと洪水の稿で。主は自分の見たものに心を痛め地の上に人を作ったことを悔いた。
悲しみのあまりに主は言った。自分が創造した人間をこの地から消し去ろう。
人間ばかりではなく獣も、這うものも、鳥さえも。
私はこれらのものを創ったことを悔いるから・・・・・と書いている。
如何に間抜けなヤハウエーとて、これらの人間の所業を見れば己の過ちに気が付くだろう。
にも拘らず。性懲りもなくノアや他の生き物を助けようとシュメールの洪水の神話をまねて、方舟を創ったことにした。
ただこの聖書物語、英語にはその独特の言い回しがあり、それをそのまま翻訳されているので非常に読みずらい。
もう少し日本語と言うものを配慮した翻訳であるべきで、私など数ページで投げ出してしまった。
 
然も、ユダヤやキリストだけでは足りないと見たか、先にも述べたように、アラブにまで己を広めようとしたが、ここでも全く同じように争いが絶えなかった。
 
古い時代の、人間の知恵も余り回らない時代に造られた神も、人間の知恵が成長するにつれて、神も成長する必要があった。
その点イスラムのアラーと称する様になって、絶対服従を要求したのは、ある程度の進化であったのだろう。
それもその筈、旧約聖書新約聖書と全く同じような己の思いを、新旧聖書の言い草では足らないと見たか、イスラム教の経典コーランでは前にもまして神を崇めよなどと強調して、アラーと称して唯一絶対を強調しコーランを創らせたが、人間を自由に操るにはヤハウエーなどと言うものは、どんなふうに名を変えようと、力不足であることには変わりはない。
アニミズムの世界の人々ならいざ知らず、人間と言う生き物の成長力、強かさは並みの神などと言う代物では通用しなかろう。
世に宗教と言うものは、争いなく互いに干渉することなく平和に、安らかに過ごすために必要なのであって、争うためなら宗教など必要も無い。
仏教国の人間であるが、仏教徒が国内の戦いは惹起しても、他国と戦ったというのは聞いたことがない。
ヤハウエーなどと言う神と称する者は誰によって作られたかは知らないが、作り方を間違えた様だ。
キリスト教にしても、イスラム教にしても、報復のためのテロであっても人を苦しめ傷つけたものは必ず報いを受ける、百倍もの報いが・・・この世か、あの世か・・・何れかで
ここに面白い話がある。
イスラム預言者マホメットが、ダンテの神曲地獄篇に登場する。
地獄篇二十八歌に次のように書かれている。
―――神曲地獄篇――平川祐弘――河出文庫
第八の圏谷の第九の濠へダンテ達は着く。そこには生前中傷分裂をこととした人たちが、応報の刑に依り、一刀両断され惨憺たる有様を呈している。
その中にはマホメット、アリー、ドルチーノ師・・・・・と書かれているのは意外である。
 
その一方考え方によっては、先にも書いたように、とにかく逆らうと死ぬんだよ、という恐怖を人間に植え付け、逆らへば死刑という究極の選択を人間に強要する。
あるいは人間をはじめ、地の上にある者の創り方を間違えたから、人間をはじめすべてを抹殺しようと思うなどと言う考え方は、悪魔そのものであり、地獄へと落ちるのは当然と言えば当然なので、マホメットが地獄に落ちたのはアラー即ちヤハウエーの身代わりであったのかも知れない。
これは現代の言葉でいえば、神などではなく、悪魔と称するものである。
 
 
 
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書斎の窓から
黄 昏


読書に飽きて、ふと空を眺めると陽が山並に隠れる寸前の雲の動きが実に面白い。
段々に赤さを増すかとも思ったがそうでもないらしい。
雲が面白そうになったら、画を作ってみようとカメラを取り出したのだが・・・・・・
重さに耐えかねて、近頃はPENばかり使っているのだが、微妙な色を出したいときはついつい大きなものを持ち出してしまう。
たかだか十数カット撮るだけで、終えた時はホッとするから年は取りたくないものだとつくづく感じる。





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