メソポタミア文明 その参 大河の賜物
先にも書いたように、大洪水の伝承は世界各所で見ることが出来る。
その神々の勝手な理屈によって、人間共は右往左往するのだが、洪水自体は世界の各所で起こっていたのでしょう。
定期的に起こる洪水は、メソポタミアの両河やエジプトのナイルの様に人間に多大な恩恵を与えていた。
それ故にこそ、大河流域に古代の文明が発達したと言える。
人間と言う生き物、随分と面白い生き物と見えて、様々な現象を様々にこじつけて、様々に利用したいものと見える。
洪水の原因は単なる自然現象として起こるのだが、古代人にとってはその洪水の合理的理由など知る由も無かったろう。
大洪水によって、家が流され、畑が流され、家畜が死に、更には多くの人命が失われる。
人々にとっては、何も悪いことはしていないのに、なぜこのような目に合わなければと思った事だろう。
伝承はそれを人間を滅ぼすための神の業として伝えた。
古代の人々にとって自然の猛威は人知の及ばぬ所であり、神の業と思うのも自然の成り行きであろう。
しかしそれでは人々にとって生甲斐はない。
それで人々を救う神が方舟を造り生き延びる方法を示す神の存在が必要になる、それが神話や伝説に現れる神なのである。
ギリシャ神話にしても、ゼウスが青銅時代の人間を滅ぼそうとした時に、洪水を利用したと書かれている。
この時、デウカリオンはプロメテウスの助言によって、一つの方舟を作って難を逃れている。
この時はゼウスが大雨を降らせ、ヘラスの大部分の地を洪水を以て覆ったので、近くの高山に逃げた少数のもの以外すべての人間は滅んでしまった。
デウカリオンは九日九夜方舟に乗って海上を漂い、パルナッソスに流れ着いた。
またシュメールの大洪水は世界最古の文明が発祥した独自の文明の伝承として見事な文学作品である。
それ故、聖書の記述の様な不手際はない。
その中で、聖書に収載された、ノアの方舟などは、宗教としての神の力を誇り、人々を脅すために利用したものであろう。
これらの作品はヘレニズムの時代に至るまで人々に親しまれていった。
彼の三分の二は神、三分の一は人間
彼の体は・・・野牛の如く・・・彼の戦いぶりは並びない。
と書かれている。
半神半人などと言う生き物が実在したということは絶対にありえない。
存在するとすれば神話の世界でしかない。
しかしシュメールにおけるギルガメシュ像はかなりの程度、歴史的な姿で、これが可なり伝説化されて行ったという事であろうということである。
セム民族によってそれが取り入れられていった時、全く歴史的実在性が消えて行ったと言えるのだろう。
これは今後のシュメールの研究によってある程度までは明らかにされる可能性がる、とこの訳者は言う。
参照文献
ダッチアイリス
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