徒然の書

思い付くままを徒然に

旧約聖書 出エジプト その弐

旧約聖書が書き始められたのは、おそらく前八世紀以降。
それまでは口伝で伝わっていたのだろう。
聖書に書かれた数字なども単なる記述者には恐らく何も分かっていなかった。それでも曲がりなりにも、数字が記載されてはいるが、史実としての史料があったわけではなかった。
それでも数字として書かれたものを、それぞれの数字を改変すれば、一致させることも不可能ではない。
ただその様な操作をしても、この出エジプトなどが史実と認めることが出来るかどうか。
様々な推論をする研究者もいるだろうが、それはあくまで推論であって、それから様々な出来事が史実であったと結論付けることは出来ない。
 
更に、出エジプトの主役のモーゼに至っては、モーゼが実在したという如何なる証拠も見つかっていないという。
一人の英雄伝説を作り上には、様々なモデルに事欠かない。
 
それは紀元前三千年紀にメソポタミアの覇者となったアッカドサルゴン王にまつわるものである。
紀元前二十四世紀中ごろ、シュメール人の国家の分立を終わらせてのはアッカドサルゴン王で、メソポタミア南部に初めて統一されて王朝を齎した。
このサルゴン王とモーゼの生い立ちがとてもよく似ている。
旧訳聖書の記述者にとっては絶好のモデルであったろう。
 
サルゴンと言う名はヘブライ語の名で、アッカド語で表記するとシャルキンといらしい。
この名前は真の王を意味しており、生れながらの王族であったらこのような名は名乗らなかったろうという。
即ち出世してからの名で、いわゆる成り上がり者の名であったらしい。
サルゴンの母は子を産んではいけない女神官出合ったらしく、密かに生んだようで、生まれてすぐ箱に詰められてユーフラテス川に流された。
運命の河の神に委ねられたサルゴンの運命は、ここから好転して、ついには王位を簒奪するまでになったと言われている。
シュメル人最古の文明                小林登志子        中公新書―――――
 
この様な英雄伝説は至る所で見ることが出来るが、これらのどこまでが事実でどこまでが単なる伝説なのか、確かめることは出来ない。
 
この様な出生に秘密のある生い立ちをして高みに昇った者の伝承には事欠かない。
ローマの建国に関わったと言われるロムルスとレムス、最初オオカミに育てられ、ついで牛飼いに育てられる。
ヘロドトスが書く、ペルシャ大王キュロス、このキュロスの生い立ちはロムルスとレムスににている。
エディプスコンプレックスの用語で有名になった、オイディプス
この様な英雄伝説は至る所で見ることが出来るが、聖書の記述者がこの伝説から思いついて、モーゼのと言う人物を描いた。
それを証する史料があるわけではないので、断定はできないが、十分に考えられることではある。
 
歴史学や考古学から考えられる証拠では、聖書に書かれた年代に出エジプトがあったと考える事は殆ど出来ないと言っていい。
この聖書から割り出した1440年ごろはパレスチナはエジプトの支配下にあった。
そこへ200万人以上の人間がエジプトの官僚たちの目を逃れて入り込むことは事実上不可能であろう。
この時期、エジプトのパラオはトトメス三世で、非常に強力なファラオであった。
このファラオがエジプトを出ることを許可するとはとても考えられない。
聖書に書かれた部分に誤りがあったと考えざるを得なくなってしまう。
数字的な誤りか、物語部分の事実にか、・・・・・
無理やり誤りを修正して、整合しても、それを史実として認めるには躊躇を感ぜざるを得ない。
歴史は一つの流れであり、僅かな流れの淀みがあっても、それはもう歴史の範疇から外れてしまうことになる。
 
様々な数字的修正を加えて、高校の教科書にある様な前13世紀頃と想定すると、当時のエジプトのファラオがラメセス二世であることを考えると、トトメス三世の時と同様、とても出エジプトが成功すると考える事は難しい。
海が割れてエジプトの追撃軍が全滅する奇跡が起こったという聖書に書かれたことが事実なら、ラメセスはが死んでいなければならないが、ラメセスはその後も生きている。
出エジプトが聖書に書かれた様な規模で行われた史実とするには余りにも史料が少なすぎる。
 
長い年月に亘って、小規模な出エジプトが繰り返されたのかも知れない。
それらの過去を一定の地域に伝わる伝承としてかき集め、先に書いたようなサルゴンのような人物を指導者としてモーゼと言う人物を造りだし、一つの歴史物語を造り出したと考える方がいいのかも知れない。
 
この物語にの中では様々な奇跡が起きる、とても真実とは思えない出来事が綴られている。
この物語の中で起こる奇跡については何らかの自然現象として起こることを証明しようとする試みもないではないが、伝承として伝わっているとすればその様な奇跡も可能性としては不可能でないのかも知れない。
それが科学的に証明されるかどうかは、問題ではない。
それを信じるかどうかなのだという人もいる。
その通りで、読む人の心次第なのである。
聖書自体この出来事を神が起こした奇跡としているのだから、ここで云々することは、孔子が言うように、不語、怪力乱神、なのかもしれない。
 
だがこれが高校の世界史の授業に取り入れられ、教育の場で史実であるとされるときは別問題である。
教科書検定に於いて、役人が信じたから検定を通すなどは論外の議論である。
 
歴史的に出エジプトの史実性を証明するための史料としては、聖書の年代の記述や、エジプトの史料からは何らの手掛かりを得ることは出来ない。
そして、この時期の史的史料は聖書以外殆どないと言っていい時代で、その聖書が信用できない不確実なものとすれば、事実を探ることは殆ど不可能と言っていい。
ただ頼りの考古学などは、彷徨い移動するものの事跡を探り出すことは殆ど不可能であろう、これについては考古学はお手上げと言わざるを得ない。
いずれにしてもこの不確実な出来事を、歴史的事実とし、本当に実在したかどうかわからないモーゼなる人物を、あたかも実在した人物であるがごとくに歴史の教科書に書かれることは非常に苦々しい気持ちになる。
 
これは何日もかけて思いつくままに、書き綴ったもので、すべてが断片的で記述が前後している。
だからあっちへ行ったりこっちへ来たりまるで酔っ払いである。
ただ、こんなことを書いたのは教科書検定を受けた高校の世界史に、この出エジプトが歴史的事実のように書かれ、モーゼが実在の人物であるかの如くに書かれているのは、どのように解すればいいのだろうか。
そしてその史実性を示すものとしての説明は何も書かれていないという。
 
教科書検定については、家永教科書の検定の時から検定制度に疑問を持っていたからで、厳密に言えばこの検定制度自体、憲法に反する制度ではないかと思っている。
未だに教科書検定などを役人が握っていることは、教育を通じて、洗脳しようとでも思っているのだろうか、何とも傲慢な事ではある。
我が国の基本的人権は、作られた人権で、生れながらにもつ人権と言うのとは程遠い。
我が国の基本的人権は、人間と言うものの尊厳を重視する諸外国の基本的人権とは大きな差がある。
判断する人間如何でどうにでも解釈できる、天下の宝刀、公共の福祉などと言う不可解な制限規定を振りかざせば・・・・・解釈によってはどの様にでも制限できるということを銘記する必要がある。
 
 
 
参考文献
 
 
 
 
参考文献
旧約聖書の謎                  長谷川修一著                  中公新書
聖書考古学                      長谷川修一著                  中公新書
旧約聖書                       創世記                            岩波文庫
旧約聖書                         出エジプト                       岩波文庫
 
 
 
 
 
 
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