徒然の書

思い付くままを徒然に

旧約聖書の物語

 
出所の確かでない史料や口述による史料などから編纂された古代の記録は、あらたな史料をが発見されるか、考古学などで補われた資料によって検証されたもの以外は凡そ信頼できる史実としたは通用しない。
とは言っても、イスラエルについては考古学的にも古代文献もそれほど多くはなく、資料としては圧倒的に旧約聖書に頼るほかはないような状況であった。
とは言っても聖書の史料的記述には多くの疑問が見れるとすれば、聖書を史実的史料として用いるには、十分な資料の検討がなされなければならない。
アブラハムやモーゼと言った人物は勿論の事、ダビデやソロモンなどと言う人物自体、果たして実在したと言えるのかどうかさえ真実はわからない。
 
それは旧約聖書に限ったことではなく、我が国の記紀の様に、様々な豪族から集められた、国記や帝記あるいは本辞などから集めた資料であっても意識的に偏向を加えたものであり、その原史料を故意に破棄した疑いがある場合には厳密な史料批判が必要である。
記紀などに於いては、そのままでは信の置ける古典とはとても認めがたい。
いずれの場合も、考古学的な史料などが発見されて、考古学者などの依る解釈が必要とすることが、真実に近づくための史料批判として必要であろう。
ここでいう、偏向とは歪んだ、真実とはかけ離れた記述を言う。
 
ここで書くことは、これらの真摯な学術的なものではなく、旧約聖書などと宗教上の経典としてでもなく、単なる出来の悪い読み物としての読後感的なものである。
 
旧約聖書は何時頃書かれたものか、全体が一時期にすべて書かれたものでないことだけは確かであろう。
その中で最も古い時代に書かれたものは前八世紀頃ではないかと言われている。
その頃は、古代イスラエルの歴史の中では、分裂王時代と言われる時代に当たるという。
分裂と言うことはそれ以前統一されていた時代があるということであるが、それではイスラエルの初代王は?、いつのころ?ということになる。
 
確かな史料があるわけでもなさそうで、聖書の物語を物語として読んでいると、当時の人々が、ヤハウエーとかいう神に振り回されて、右往左往する様が、未熟な文章によって綴られている。
 
サムエル記によると、ペリシテ人が北部のガリラヤを制圧したとき、主はサムエルの耳に告げて言われた、 9:16「あすの今ごろ、あなたの所に、ベニヤミンの地から、ひとりの人をつかわすであろう。あなたはその人に油を注いで、わたしの民イスラエルの君としなさい。彼はわたしの民をペリシテびとの手から救い出すであろう。9:17サムエルがサウルを見た時、主は言われた、「見よ、わたしの言ったのはこの人である。この人がわたしの民を治めるであろう」。
サウルをはじめてのイスラエルの王とした。
この王はペリシテ人との戦いに必要な指導者として登場するのである。
 
だが、サウルは神の過酷な命には従わなかった。
サムエルはサウルに言った、「主は、わたしをつかわし、あなたに油をそそいで、その民イスラエルの王とされました。それゆえ、今、主の言葉を聞きなさい。 15:2万軍の主は、こう仰せられる、『わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルがエジプトから上ってきた時、その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。 15:3今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ』」。
何とも恐ろしい神があったものである。
サウルが神の言葉に従わなかったのは、人間として当然の事だろう。
にも拘らず・・・・・
「わたしはサウルを王としたことを悔いる。彼がそむいて、わたしに従わず、わたしの言葉を行わなかったからである」。
と神を嘆かせ、罰を受けることになる。
 
何だ、こやつは、こんな非情なもの、手前かってなものを神として崇めるものがいるとは、人間として非常な驚きである。
この旧約聖書を経典とする何千万、何十億もの人間共がこんな神の言う言葉に、何の疑問も感じないで、諾々として信じ、崇めてきたのかと思うと、世界の紛争の絶えないのも理解できるような気がする。
人間の馬鹿さ加減が実によく著わされているような記述である。
 
サウル王の死後、サムエルに見出されたダビデは南部のユダ族をまとめて王として、都ヘブロンを中心とした王国を建てる。
これに対して北部イスラエルの十一の部族はサウルの死後、その子イシボセテを王とし、都マハナイムを中心に王国を建てた(サムエル記下2911)。これら二王国の内紛は七年以上も続くが、イシボセテが死ぬと、両国はダビデを王として認めることで和解した。
     
                                   to be continued
 
参考
聖書の考古学                  長谷川修一著                  中公新書
旧約聖書 列王記 上、下
サムエル記        上、下
 
 
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