徒然の書

思い付くままを徒然に

介護保険制度に疑問あり




介護保険料として、今まで徴収された事も無い程の金額が記載されて、年金の通知が来た。
何でもかでも、年金から天引きすると云うこと自体にも重大な問題が含まれているのだが・・・・・・
そこで介護保険の使われ方が如何なのか考えてみた。
あの小難しい法令など読んでも理解するには相当な時間を要する。

それよりもいつも頻繁に目にするものから敷衍して考えてみよう。
少し車を走らせると、必ずと云っていいほどディサービスと書かれた車両に出会う。
雨後の竹の子のようにどんどん増えている感じがする。
どんな基準で設立を許可するのか知らないが、兎に角増え続けていることは事実だろう。
要介護者がその企業に支払う金額は僅かい割である。
残りの9割が保険料から支払われるのであるが、その支払われる金額はその企業の従業員を養い、企業の利益をさえ支えている。
多くもない多くもない年金から支払われる介護保険料で、その増加の一途をたどる老人を食い物にする企業の従業員を養い、企業の利益までまかなうとなると、必然高額な介護保険の徴収が必要となる。

今の政治屋や役人共は社会福祉と云えば身障者さえ面倒見ていれば事足りると思っている節がある。
現実にそれが、一般社会のあらゆる処で優遇され、身障者の優遇は他の社会的弱者の保護をはるかに上回っている。
それはそれでいい、弱者を保護するのは、社会全体の責務なんだから・・・・
だが、もっともっと目を向けなければならない社会的弱者はたくさんいる。

漸く、社会的な務めを果たして、引退しても年金の支給さえ受けられず、僅かなたくわえの中から膨大な介護保険料を徴収されるなど、何が社会福祉国家なものか・・・・

身体障碍者の優遇は社会福祉として必要ではあるが、すぐに命にかかわる危険のあるものではなかろう。
処が、難病と指定された、命に直結する病気を患う人々に対する社会福祉はいかばかりのものか・・・・・
生命に直結する難病患者の福祉は身障者の福祉に比べればないに等しい。
命の危険にさらされている難病患者にもっと手を差し伸べる必要がある。
社会全体でもっと手を差し伸べ、少なくとも身障者並みにまで優遇する必要がある。
また、難病と認定されていない、不治に近い様な病気は沢山ある。
それらは、迷うことなく難病の指定をなすべきであろう。
政治屋や役人共の思惑など論外である。

介護保険料の分捕り合いを演じているディサービとかいうものにもっと厳格に真摯な行政が必要なのではないか・・・・・ディサービスとかの従業員を養い、企業を儲けさせ、太らせるために、非常識とも思える、高額介護保険料を払っているのではない。
直接介護に携わる人に支払われるなら、その介護者はもっと高額な金額を得ることが出来るだろ。
中間で搾取する事業を営む企業の収益など勘案する必要がないのだから・・・・・

ただ願わくば、行政と業者の癒着、なあ~なあ~の安易な態度のないことを願うのみである。