人の情はふわりふわり空の彼方へ
人の情は紙風船。
漱石は情に竿を挿せば、流されると書いた。
この意味は果たしてどんな意味で書いたのだろう。
この書が世に出て以来この言葉の意味をめぐっていろんな考えを見てきただろう。
漱石が思い描いた情景を適切に看破したものは一人としていないであろう。
竿挿すという言葉についてさえ色んなことが書かれている。
江戸のころの水上交通の主力であった小舟の船頭は竿の扱い方一つでその技量を評価されるのであるが、果たして竿は舟を進めるためだけにあるのだろうか。
竿は舟の推進力でもあり、ブレーキでもあった。
この漱石の草枕を読んで以来、情に竿を挿したらどうなるのか、もうそろそろ、彼岸へ行こうかという年になっても、いまだに私の答えは出てこない。
この情という奴が、人間という生き物に備わっていることの難しさを、今更ながら実感しているのである。
ただ、うまくこの世とかかわりあっていくのは意外と難しいという実感は心の内にある。
人間という生き物の情は古い古い時代からあらゆる国の区別もなく同じように、様々に人間の生きざまに影響を与えてきた。
中国の古い時代、漢の時代の人間も、わが国の江戸のころの人間も、人間という生き物に変わりがないようで、政府の高位の高官に付いた時は門前市を為すが如く、様々な手土産をもってご機嫌伺にやってくる。
江戸の享保のころ家重の側用人であった時代から、田沼意次、公然と賄賂による便宜を図った。
老中になってからも当然のごとくであったが、いったん落ち目になってからは機嫌伺などはもってのほか、鬼畜扱いさえ受けていたという。
賄賂による政治は許さるべきものではないが、田沼の目指した政治は当時の人間にとっては想像もつかない改革であったと言われている。
人間という生き物、己の理解のつかない考えや行動には、裏からつぶしにかかる薄汚い情を持った生き物であると言事である。
人間という生き物の情の恐ろしさは想像だに付かない。
中国の高官は官を止めた時、とたんに人は寄り付かなくなったという。
門前に、史記にある言葉を大書して人々の情のなさを皮肉ったという。
その史記の言葉は
一死一生すなわち交情を知り、一貧一冨すなわち交態を知り、一貴一賤交情すなわちあらわる。 という。
人の情がガラリ一変する状況を嘆き、皮肉ったものであろう、それぞれに解釈を試みられるとよい。
これを書いたものの嘆きは時代を問わないであろう。
現代でもそのまま通用する。
人によっては、しみじみと実感している人もいるに違いない。
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