徒然の書

思い付くままを徒然に

エディプスコンプレックスとギリシャ神話

エディプス情況
辞書を手繰ってみると、精神分析上の用語として使われることが多く、 親母複合、息子が母親に対して無意識に抱く性的な思慕、を意味する。
ギリシャ神話に関心のない人でもこの用語については知っているという人も多い。
精神分析学者のフロイトの提唱した用語で、幼児期の男の子が無意識のうちに母親に対する愛着と、父親に対する憎悪を抱く傾向について主張したものと言われている。
フロイトは父親に対して生涯憎しみの様な感情を抱き、母親については愛情を感じていたという。
いわゆる、彼の言うエディプスコンプレックスに陥っていたわけである。
このエディプスコンプレックスが何故ギリシャ神話に関係するのかと思いきや、彼フロイト自身の心は、ソフォクレスの書いたギリシャの戯曲に向かっていたのである。
それではその戯曲とはどんな物語だったのか、見てみよう。
 
ギリシャ神話オイディプス王の話である。
この言葉の基になったギリシャの神話ではテーバイの王妃イオカステは母子相姦の汚名を着せられてしまうのだが、・・・・・・
フロイトの言うこのエディプス情況とオイデプスのギリシャ神話とはあまり関係がないように思うのだが・・・・・・フロイトはこの話にエディプスコンプレックスの姿を見たのだろう。
 
昔は様々な国で神託によって、治国を始め様々な事柄を決定していた国が多くみられた。
生まれた子供が国に災いをもたらすとか、この神話の様に父を殺すとかいう神託が出るのは、ギリシャのこの物語によるところなのだろうか、同じような筋のものが他でも見られる。
この神話を土台として多くの文学が生まれていると言われている所以である。
その為神官の権力は王を凌ぐほどに強大であったところも多い。
このギリシャのテーバイにおいても、神によって神託が下り、男子を儲けるべからず――生まれた男子は父親殺しになる――との信託が下っていた。
とは言っても、王が女と交わること無く暮らすことなど出来よう筈もなく、王は酔った勢いで、王妃イオカステと交わった。
挙句が、男子の誕生であった。
神託を憂慮したため、殺すことは不憫と、牧人に山中へと捨てさせた。
その子を拾った羊飼いが、その子をコリントスの王妃ペリボイアの処へ連れて行ったところ、子供のない王妃は養子として育てることにした。
オイデプスと名付けられた。
この子は知力、体力ともに優れた若者に育つが、何処の世、何時の世でも人間の考えることは同じ、周囲の嫉妬にあい、真偽を確かめるためにデルポイの神託に伺いを立てると、―-故郷に近付くな、実の父を殺し、母と交わることになる-―との神託があり、国へ帰ることをあきらめ旅に出る。
旅の途中に出合った老人と口論になり、従者共々この老人を殺してしまう。
この老人こそが実の父、テーバイの王であった。
 
此処でしばらく、エディプスコンプレックスについて考えてみよう。
男が幼児の頃、最初の憎しみと反抗の衝動を父親に向けるし、最初の愛の衝動を母親に向けるのかも知れない。
これは後になってなってからの男女関係を導く感情の一種の演出なのかもしれないと、フロイトは考えていたようである。
後々大人になって感ずる感情や衝動が、既に幼児の発達の段階で片鱗を表したものとしている。
幼児から子供の遊びの段階で、すでに将来、異性と結ばれて、子をつくり、種の存続を完遂するために必要な感情を実践していると考えていたようである。
それぞれ幼児や幼い子供たちがどの様な遊びをしているか考えてみると、あるいは納得できるかもしれない。
フロイトは幼児期の次の段階で、自分の近くの人間に愛情を向けると考えていたようである。
暫くするとこの時期の男の子は母親に愛情を持ち、女の子は暫くすると父親に愛情を示す様になる。
男の子が強い愛情を母親に向け、女の子が父親に向けるとき、異性の親に対する愛情、同性の親に対する嫉妬の感情が芽生えてくる。
フロイトは子供の時代には普通の現象だとみていた。
この行動は一般人から見ると異常に見えるかも知れないが、事実はごく自然なものだと言える。
子供の頃にこの様な愛情関係を持たなかった子供は不幸な事だと、そして何かを欠いているのだとフロイトは見ている。
 
男の子が母を愛し、父親に嫉妬する場合の初期の愛情表出をテーバイの王オイディプスの物語に従ってエディプス情況と名付けた。
この様な状態は少年から青年へと移り変わるにしたがって変化し正常な状態に変わっていく。
子供時代は誰でも見られるエディプス状況が自然にみられるのだが、青年期になっても、これから抜け出すことのできない状態を、フロイトはエディプスコンプレックスと呼んでいる。
ただこの神話、フロイトの言うようにエディプスコンプレックスとは関係なさそうに思うのだが、何故かこの神話からこの様な考えを引き出したようである。
即ち、フロイト異性愛の成熟した感情は、人間が成長した後で、青春期になって初めて開花するというものではないと考えていた。
これらの「種」の存続と結びついた本能は生まれた時から、子供にはあるし、発達上での、前段階の形を示していると考えた様である。
 
閑話休題旅の途中で実の父とは知らずに老人を殺したのち、テーバイへとたどり着くが、ここでも救いようのない悪女ヘラがしゃしゃり出るのだが・・・・・このヘラによって呪いをかけられたテーバイでは多くの民が犠牲になっていた。
王が謎を解き、テーバイを救ったものには、王位と先王の妃を与えると布告した。
此処でいうなぞなぞは比較的有名なものではあるが、ここでは直接関係がないので省きましょう。
 
謎々を解き、テーバイを救ったのがオイデプスで、布告通り先王の妃イオカステを得て妻とする。
実際は、自分の母親であるから年齢的には随分と開きがあるはずなのだが・・・・
ギリシャ神話では年齢差は全く問題にしていない様である。
この禍々しい事態をソボクレスは悲劇に仕立てたのがオイデプス王なのである。
 
それ以後テーバイでは疫病の流行や飢饉などの新たな災いが相次いだため、デルポイの神託を伺うことになる。
オイデプスの二重の罪があるとの神託から、事実を究明するが、すべてが明らかになった時、王妃イオカステが自殺をする。
オイデプスは狂気に襲われ目をえぐり、彷徨い出ると人々は彼を恐れ見捨てるが、娘は盲目となった王に、最後までついていく。
知らぬこととはいえ、実の父を殺し、実の母を妻とし、母子相姦をし、四人も子を産ませたとあっては悲劇も悲劇、最大の悲劇であったろう。
ただ救いは、娘アンチゴネに看取られて生涯を終えたことであろう。
やはり神話の世界、現実の世では起こりようもない事柄・・・・・
偶然が連なることの恐ろしさ・・・・・
だが、この悲劇の文字間に含まれる、様々な人間模様が隠れていることは、教訓と為ろう。
 
余談になるが・・・・
ギリシャ神話に描き出される興味ある人物とか気高い行為とかは女性によって占められているが、アンチゴネは親思い、兄思いの優しい女性であったようである。
このアンチゴネは実に心根の優しい娘で、只管、父親を慕う歌を残している様である。
その後、アンチゴネはテーバイに戻るのであるが、数奇な運命をたどる。
そしてソボクレスが書いた二つの悲劇の主役をなしている。
このアンチゴネの悲劇と言うのは兄弟での戦いの結果破れて、屍を放置され埋葬を禁じられた、兄ポリュネイケスの躯を引き取り埋葬した結果、王の怒りをかい自分も生き埋めにされる結果を招いてしまった。
悲劇と言うより残酷・・・人間の為すことは所詮こんな程度のものなのだろう。
人間だれもが持っている、心の奥に潜む闇の世界・・・・フロイトはこの人間の心の中を暴き出せたのだろうか・・・・・
 
                                参考
アポロドロス    ギリシャ神話                  高津春繁訳
フロイト            ラッシェルベイカ          宮城音弥
 
 
 
 
 
 
八重寒紅
 
 
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