徒然の書

思い付くままを徒然に

徒然なるままに・・・・・

取りとめのない話を次から次へと綴っていくと行先は何処へたどり着くのであろうか。
何処へたどり着くのか、今は全く予想もできない。
しりとりの様に、出てきた言葉から話を辿っていくと・・・・・
 
神曲地獄の第二の谷へ下りると、愛欲にふけった者たちの魂が颶風に煽られて、彷徨っている。
愛ゆえに現世を追われた、世に名の知られた様ざまな女傑の顔も見える。
セミラミスが、ディドが、クレオパトラが・・・・・
その中に軽やかに彷徨っている二つの魂に、ダンテは興味を抱いた。
話してみると、パオロとフランテェスカ・ダ・リミニであった。
彼らの話を聞いてみ様・・・・・
彼女はラヴェンナ市の城主グイド・ダ・ポレンタの娘であった。
騙されて身代わりの男と見合いをするが、気に入って嫁いでいく。
この様な話、身代わり見合いなどは現代でもよくある話だが・・・・・・
だが、実際の相手はリーミニの城主であったが、びっこで、醜男であったおまけに性格凶暴と在っては嫁の来手がない。
伝説はその醜男に嫁したと伝えているが、実際に見合いをしたパオロと恋に落ちた。
二人とも、醜男の城主に殺されてしまうのだが・・・・・
騙されたとは言え、不倫の恋である。
この兄弟の末子がまた悪で、フランチェスカを手籠めにしようとする、種が悪いのか、育て方が悪いのか、あまりいい一族ではない。
 
その結果がこの地獄の二丁目、愛欲におぼれたものが落ちると言われる地獄。
フランチェスカの口から此処へ来た理由が話し始められた。
このフランチェスカとパオロの戯曲の中には、トリスタンとイゾルデのトリスタン伝説やランスロットとギネビア王妃の物語の話が出てくる。
トリスタンとイゾルデの物語は、中世十二世紀半ばに、ヨーロッパの物語作者達によって書かれたと言われている。
 
また、ランスロットと言う名前は多くの人が聞いたことがるだろう。
アーサー王に出てくる円卓の騎士。
結果から先に云えば、彼もまたアーサー王の妃ギネヴィアとの不倫の恋におちる。
円卓の騎士ランスロットを語るには、アーサー王を語らねばならない。
ただ、アーサー王の物語自体伝説の域を出ないのだが、そのアーサー自体実在したのかどうかさえ未だはっきりとはしていない様である。
アーサーはケルト系のブリトン人であったと言われているが、ケルト人は文字を持たなかった。
ケルトの記録は口から口への口伝伝承であったため、アーサーについての記録は残っていない。
アーサー王は実在の人物か伝説上の人物なのかは霧の中である。
王とは言ってもあの時代、地方の豪族や騎士などはすべて王と呼ばれていた、というから現代人が考える王とは様相が違うのかも知れない。。
アーサーの生きた時代、ドナウやライン河流域に定住していたケルト人が西へ向けて移動を始めた。
今のヨーロッパのほとんど全域に広がっていったと考えられている。
その中の一つの部族が、いま英国と呼んでいるところ、ブリタニアニに広がっていった。
ブリタニアにローマ人が入ってくる以前からこの地に住んでいたのはケルト系の人々であった。
アーサー王の物語にしても、トリスタン伝説にしても、当時のケルト人たちは文字を持たなかった。
口から口への伝承で、あらゆることが伝わっていった。
カエサルは前五十年頃から二回にわたって、ブリタニアニ遠征しているが、これはカエサルガリア戦記である程度は推測がつく。
ローマ人は都合四回にわたって、ブリタニアに侵攻しているが、ブリタニア先住民族ケルト系の人々は徐々にローマ化されていった様である。
 
一事はヨーロッパ全域に広がったケルト系民族も、ローマの力が強くなるに従い、だんだんと征服されてローマ化していった。
その時は既に海を渡って、今の英国のスコットランド南部、ウエイルズ、コーンウァルの地域にケルト系の人々はいた。
このケルト人たちはブリトン人と呼ばれていた。
このブリトン人と呼ばれたのはフランスのブルターニュ地域のケルト系の人々もそのように呼ばれていた。
 
その後大陸はサクソン人、アングロ人とジュート人などが混交されていたが、ブリタニアに侵攻してきたのは、アングロサクソンと呼ばれていいのだろう。
このことはアングロサクソンの側から見ると移住と国の建設と言うことなのだが、ブリトン人の方から見ると侵略され、民族の崩壊の過程であったろう。
アーサー王が実在の人物とすれば五世紀後半から六世紀にかけてで、ブリタニアにとって、ケルト系のブリトン人であった彼には、大変な変動の時代に生きたことになる。
 
口伝で伝わっていたものが文字化されるとき、様々な脚色が加えられるのは、当然といえば当然であるが、それは正しい歴史として伝わったことにはならない。
話は又さかのぼるが、ハシュタット期、耳慣れない言葉ではあるがこれはオーストリア・チロルの村、ハシュタットの墓の発掘からきている。
ハシュタット期はヨーロッパが青銅器から鉄器の時代に入ったことを示しているが、その担い手はケルトの人々であったと考えられている。
書かれた物は多く存在するというが、ケルト人自身の書いたものが存在しない以上信頼度は薄い。
 
一番至近な例は、我が国に於ける記紀を挙げることになるだろう。
口から口へ口伝されてきた史実が、文字化された時それを試みたものの都合の良いように書き改められるのが、当然の作業であろう。
必要なものだけを取出し、書き改められ、不都合な部分は破棄され、都合の良いように作ることは当然のこととして行われたであろう。
それ故に我が国に於ける記紀史記の資格を与えることはとても無理なのである。
天武が発案し、額田の口伝を安万侶が文字化するときに、帝記や旧辞を天武が意図する様に作り変えよと云うことことは至極当然な事であろう。
天武自身が言っている様に、・・・・・
「諸家に伝わっている帝記及び本辞には、真実と違いあるいは虚偽を加えたものがはなはだ多いとのことである。
そうだとすると、ただいまこの時に誤りを、その誤りを改めておかないと、今後幾年もたたないうちに、その正しい趣旨は失われてしまうに違いない。
そもそも帝記、本辞は国家組織の原理を示すべきものであり、天皇政治の基本となるものである。
それ故正しい帝記本時を撰んで記し、旧辞をよく検討して偽りを削除し、正しいものを定めて、後世に伝えようと思う。」
この天武の言葉は古事記の序に記されている。
この古事記の序と言うのは安万侶古事記三巻を撰録して、元明天皇に献るときの上奏文で、三段からなっている。
これは現在の天皇政治に都合の悪い部分を削除し、都合の良いものだけを選んで、天皇の権力を書き記せと言っているのである。
おそらく古事記は天武の天皇政治の構想に従った、政治色の強い、史記であり、神話であると考えた方がいい。
この様な作為の入ったものを史記として、日本の歴史とすることには疑問がある。
況して、天武は壬申の乱を起こし、天智を下して、皇位を簒奪したものであってみれば、尚更の感がある。
帝紀旧辞の書き換えや削除でさえ、そのような恣意が入ったのだから、古事記日本書紀の編集に当たってはどの様な変更が加えられたのか、推測することは容易であろう。
天皇が我が国を支配する体制を築く様に作り変えられたとしても何ら不思議はない。
口伝、口承による伝承には実態がない。人間の言葉いわゆる音による言葉は。発せられてしまうとすぐに消えてしまう。
史実として残すには文字に依るしかないのだが、その方法に問題がある。
我が国の史実として、口伝され、口承されつづけてきた多くの伝説が、神話として、史実として、制作者によつて何世紀もの間凍結され、元の形のまま受けつがれ、文字化されたものであったら、現代の古事記や書紀は全く違ったものになっていたであろう。
故に日本最古の史実書ととは言っても信頼を置くことは出来ない。
 
尤も聖書の編纂の様に、多数の文献や多くの福音書があったとしても、都合の悪いものは省いてしまうことも可能であり、編纂者の考え一つに掛かっているのだが、時の権力に阿るかどうかによって内容は一変する。
 
このフランチェスカとパオロの物語から始まった人々の関係は、トリスタン伝説トリスタンとイゾルデの関係、更にはアーサー王ランスロットの物語の関係は全く酷似している。
何時の世も男女の関係は変わらないものと見える。
ゆめゆめ愛欲の地獄に陥らぬように・・・・・
 
 
 
 
参考
アーサー王伝説紀行      加藤恭子著        中公新書
古事記                        次田真幸注釈    講談社学術文庫
神曲      地獄篇               平川祐弘        河出文庫
 
 
 
 
 
 
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