徒然の書

思い付くままを徒然に

犯罪に於ける科学捜査 その壱


TVっていうものを見ない。
家からTVが姿を消してから、十数年になる。
あの馬鹿馬鹿しい番組にほとほと愛想が尽きたのが本音であるが、明るいニュースならそれで世の中うまく回っているのだから結構な事で敢えて見るまでの事もない。
ところが政治にしても、経済にしても、その他の世の中の殺伐とした事にしても、TVなど見ると不愉快になるばかりである。
それでも時として、TVを見る事がある、病院通いの待合の時間で、時として尋ねる友の家で、というよりは自然に目に飛び込んでくるのである。
だから見えて見ずの状態である。
それでも政治の番組などのときは殆どが不愉快な気分になる。
そんな時に目にしたことがある犯罪捜査の鑑識のドラマである。
この時ばかりは、ついアメリカの同じ様な犯罪の科学捜査のドラマと比較してみてしまった。
それで思ったのだが、アメリカのドラマにCSIとかCSIマイアミとか言われる科学捜査番組がある。
 
日本の犯罪を科学捜査するというドラマも作られていたんだな、またも猿まねかと思いながらアメリカのそれと比べると、いやはや比べるまでもなく迫力が違う。
あのドラマの描く内容はそれなりに実際に警察機構が行っている科学捜査に範をとったものに近いものであろうと思っている。
それはわが国のドラマであっても同じだと思う。
一般人にとって犯罪などと言うものの実体、犯罪の発生から裁判による終結までの実体は、殆ど闇のなかであり、ドラマや小説などから窺い知るしかない。
これらの映画やドラマが実際の捜査や裁判に範をとったものとすれば、ある程度は現実に行われている、犯罪捜査や裁判の様子がわかるだろうと思う。
このドラマの科学的捜査から、現実の捜査機関が行っている捜査方法などを推測しながら、我が国とアメリカとの相違などを比較してみると・・・・・
我が国の捜査は犯罪が発生すると、殆ど最初は各警察署の鑑識係の手を煩わすことになるのであろう。
それで手に負えないものについて初めて、科警研あるいは科捜研に調査を依頼するのだという。
科警研警察庁に、科捜研は各都道府県の本部に設置されている。
当然のごとく新鮮な検体を持ち込むことも、早急な結果を入手することは望むべくもなかろう。
おまけに法医の解剖などと言っても、大学の法医学教室辺りに依頼することになるのだろうが、本当に必要とする情報が得られるのだろうか。
如何に法医学の医師と云えども、現場状況や、犯罪の実体を知らない医師が本当に必要とするものを解剖から導き出すことが出来るだろうか。
単なる死因を探るだけの解剖であっては遺体を損傷する価値はない。
ほんの僅かな残骸が身体に付着している時、それが決定的重要さを持っているとすると、見落としなく採取できるだろうか。
単なる法医学の医者である限り、犯罪の成否に関するものを見落とす可能性は否定できないと思う。
法医学の医者であるとは言っても、医者は医者でしかない。
犯罪に関する専門家ではない。
要は、これらの犯罪研究所で、様々な検査を行うものはそれぞれの科学の分野の学問を修めたというだけでは、多様な犯罪に対処できないということである。
犯罪に精通しそれぞれの科学部門に於いてスペシャリストでなければ世に発生する犯罪には通用しないということである。
血液型他DNAなどでもその検体となるもは数知れない。
ただ血液型が血液以外から知れるとは言っても条件によっては間違った結果を示すことがある。
アメリカのドラマなどでも、そのような処は十分に心得ている様で、解剖に関して、捜査員の要求や、助言が随所に為されている。
犯罪の捜査はその科学的鑑識の結果に基づいて、直ちに行動できる体制が望ましい。
我が国の様に解剖を、或はDNAを外注に出してしまうと、それが出来ない。
必然、捜査に必要な、有利な事項についてのみ、取り上げることになっては、本当の法医学活用とはいかなだろう。
我が国の様に様々に集められた鑑識資料や人体に対する鑑識いわゆる解剖などが他所に依頼する外注では心もとない。
例えその科学的鑑識の結果が誤っていると思っても、再度確認を依頼することは躊躇われるであろう。
少なくとも身近な鑑識が日常的に重要な科学捜査が出来る様にする必要がある。
その鑑識に基いてあらゆる機関のデータ-ベースとの照合し結論する必要がある。
ただ犯罪者を確定する為だけに指紋やDNAを活用する様であってはならない。
血液型から、DNAから、データ-ベースを検索して容疑者を割りだすにはデータベースが完備している必要がある。
この様なデータベースの整備などと書くと、我が国の様な権力主義の国では権力に物を言わせて、警察機構は何の関係もない一般国民のプライバシーを無視して一般人としての個人情報を、様々なデータを、データ-化するなどと言い出しかねない。
それをやりたくてうずうずしているのが権力主義の権化、日本の官僚である。
存外既に着々と進められている可能性すらある。
日本の映画やドラマはアメリカものに対して、今々は始まったことではないが、製作費を削るために、安上がりの、あの低俗な馬鹿番組ばかりを作り続けているTVでは対抗のしようもないのは当然のことだが・・・・・
アメリカの物まね番組を作り出してもまるで迫力が違うし、その科捜研の日常的作業さえきっちりと描き出してはいないであろう。
たとえ見てもその場限りの時間つぶしにしかならない。
科捜研ってこの様な事をやっているんだなどを知る端緒にもならない。
一般の生活や様々な知識の蓄えには全く役には立たない。
科学捜査の部門の扱うものは物理、化学、医学、その他ありとあらゆる科学の粋が集められているのだが、我が国のテレビドラマなどから判断すると、アメリカの犯罪に対する科学の用い方には遠く及ばない。
我が国のドラマなどからの推測では、実際の我が国の科捜研などの実体は判らないと言っていい。
ドラマ作りの根本のシナリオの拙劣さが現れているのか、あるいは、実際の科学捜査の現場調査の杜撰さの結果であるのかも知れない。
だから、我が国の科捜研の実際はどの程度だかは判らない。
ドラマなど子供だましの様で、同じ一時間のドラマにしてもその内容のなさに日本人の物の考え方を鑑みる時、実際の科学捜査では、恐らくアメリカの科学的犯罪捜査には太刀打ちできなかろうとおもう。
あんなもので実際を知ることは全くと言っていいほど不可能なのだが、科学のあらゆる分野を活用して犯罪を解明する必要がある事だけは確かなように思う。
なまじな科学捜査の結果、あらぬものに疑いをかけ、冤罪を作り出しては何の科学捜査かと言うことになる。
その為には科学を操る人間の人間性が最重要だということは当然と言えば当然な事である。
裁判に於いて、裁判官などはその科学と言う言葉だけに信を置いて機械的に判断の資料とするからである。
科学による判定にはそれをどの様に扱うのか、判断するのは生身の人間である。
いかに科学捜査とは言っても、科学は資料によって科学が示すの結果を出すに過ぎない、それどどのように解釈し、どの様に扱うか決めるのは人間なのであるということを銘記すべきである。
後はその科学を用いる人間の質の問題であろう。
科学がいかに優れたものであっても、その効用如何はそれを用いるものの資質によって決定される。
科学は与えられた検体を科学的に検証することによって、指示された結果を示すだけであり、その結果を解釈して用いるのは生身の人間であると言うことを常に心の奥底にとどめておく必要がある。
 
話はそれるが、アメリカのドラマの人間の描き方は我ら日本人が思うような人間像とは全く違っているのにも驚かされる。
これらの映画やドラマの人間の描き方を見ていると、将に狂気の国と思わざるを得ない。
アメリカは人種の坩堝であり、様々な人種の血が混ざり合った結果だろうが優秀なものは驚く程高い数値のIQを示すものがあるかと思うと、教育が徹底していないのであろう、社会常識の全く欠落した人間で溢れかえってもいる。
一般家庭の子供たちにしても、明らかに犯罪と言えるものを犯しておきながら平然としている。
高校生や大学生の若者であっても、犯罪を犯しても己が法に触れる事をしている意識がまるでない。
能書きだけは一人前に垂れる。
あのマイアミに集まる数知れぬ無軌道な若者の群れ。
夏の海の一刻、マイアミに集まる若者の群れ、アメリカの若者の集約された姿かとも思う。
ただ快楽を求め、男は女を、女は男を求めて常軌を逸した快楽に身を委ねる。
当然そこには当然のごとく犯罪が多発する、我が国では及びもつかない様な犯罪が。
その刹那的で、打算的な物の考え方をする若者の中にも、頭脳的には飛びぬけて優秀なものも混在しているだろう。
それが後年、重要な位置に上り詰める事もあろう。
だが、拾ったと言うカードをホテルで男との宿泊に使う若い女、詰問されてそれが如何かしたかと平然としている女、そんな程度の常識、頭の程度のものがごく普通に存在するのが、今のアメリカでもある。
そんなことを描いて平然としているのもアメリカ。
人間を殺しても何の痛痒も感じないものもいる。
我が国の犯罪形態とは全くと言っていいくらい違う凶暴性を見せる。
そんな場面を見るとアメリカは狂っていると言うのが実感できる。
物の考え方の根本は年を経たからと言ってそう簡単に変わるものではない。
それを考えると、ただのドラマばかりとは言えない恐ろしが伝わってくる。
驚くべき人種層である。
何もアメリカに限ったことではないが、犯罪と言う社会現象を通して眺めると、人間と言う生き物は何とも悍ましい生き物だろうということが、改めて思い知らされる。
だが半面、優秀な者たちは我が国などではとても太刀打ちできないだろう、と思えるくらい優れた頭脳を持っていることも事実である。
とは言ってもただの頭でっかちであっては、畏れるに足らない、その優秀さは半減する。
 
閑話休題アメリカの社会は銃社会であり、あらゆる種類の殺戮の武器が出回っている。
麻薬が氾濫し、大人も子供も、麻薬に手を出す事も容易で、麻薬に関する犯罪も実に多く描かれている。
その様な社会事情の犯罪の発生はドラマで見る以上に発生しているのかも知れない。
その犯罪も、悪の意識など全く感じない様な人間として登場するのだから、その犯罪を解決するには並大抵の捜査であってはとても間に合わない。
そこで登場するのが犯罪を科学的に解明する犯罪科学捜査機関なのである。
 


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ひがんばな


昔は墓場とか田の畔とかでしか見られなかったこの真っ赤な彼岸花も今は道端の空き地でも見れるようになった。
このひがんばなの魅力は緩やかに湾曲した長いしべの美しさにある。
その毒性ゆえに成育場所も限定されていたが、その美しさに魅了されたのであろう。
人間の意識も段々変わってきている様だ。
特に日本民族はもっと重要な様々な面で、意識改革が最重要な課題ではなかろうか。


 
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