徒然の書

思い付くままを徒然に

雑感~非人情の世界~その壱


もう使い古されて、手垢がべったりついた草枕の最初の文を読むと、過ってはこれからどんなふうに展開していくのだろうと興味森々だったが・・・・・この小説、何とも奇妙な小説ではある。
漱石が何を言いたかったのか、何十年も読んでいても、未だに判らない。
だがここでこの草枕について書こうとは思はない。
とは言っても、読んでは、また読んでを繰り返す、この草枕にはなぜか惹かれるのである。
読んでは放り出し、を若い頃から繰り返しているが何故か未だに止まらない。
 
冒頭の文章からしても言える事なのだが作者の言うように苦しんだり、怒ったり騒いだり、泣いたりは人につきものだが、三十年もそんなことに付き合うともう飽き飽きとしてくる。
自分が欲するのはそんな世間を鼓舞する様なものではなく、俗念を放棄し、しばらくの間でも俗塵を離れた心持になれる詩がほしいのである。
だが西洋の詩は人事が根本になるから、詩歌の純粋なるものもこの境地を解脱しえない。
東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。
王維や陶淵明の名を引き合いにしている。
淵明の伝しか読んだことがないから他は判らぬが、若い頃から己の才におぼれて、働くことを嫌う怠惰な人間であったようである。
ただ若い頃から才気煥発で、天性の赴くままに行動して、楽しんでいたというから、作詩について才を発揮したのであろう。
酒を喰らって詩を作るだけの自堕落な人生であれば、漱石の言う非人情の実践を行っていた人物と言えるのかもしれない。
 
ここにちょいと出てくる、淵明とか王維の詩を観賞する方がよほどいい。
酒の詩人にもう一人李白があげられよう。
杜甫によって酒仙と称された李白は自他ともに認める酒豪、酒の歌を多く作った。
そんな李白にとって、陶淵明は酒の風雅を愛する者の先輩格で、李白は折に触れて陶淵明を念頭においた詩を作っている。
 
山中の気ままな生活を楽しむ。
山中与幽人対酌と題する李白の詩
 
両人対酌山花開      両人対酌すれば山花開く
一杯一杯復一杯      一杯一杯復た一杯
我酔欲眠卿且去      我酔ひて眠らんと欲す卿且く去れ
明朝有意抱琴来      明朝意有らば琴を抱いて来れ
 
 二人で対酌していると山の花がひらく、その花を愛でながら、一杯一杯復た一杯と杯が進む、私はすっかり酔って眠くなってしまった、あなたには如何かお引き取り下さい、明朝もしよければ琴を携え出直してくれたまへ。
 
この李白の詩で、対酌しているのは陶淵明
李白は三百年の時空を超えて、淵明と酒を酌み交わしている。
世俗の煩わしさと離れて、楽しげに・・・・
一杯、一杯、また一杯と・・・・・
 
この相手が淵明だとされているのは、次の淵明伝に淵明が全く同じように
我酔欲眠、卿可去の言葉を使っているからだという。
 
 
 
淵明不解音律、而蓄無絃琴一張、
毎酔適、輒撫弄以寄其意。
貴賤造之者、有酒輒設。
淵明若先酔、便語客、我酔欲眠、卿可去。
其真卒如此
 
淵明は音曲を解せず、而れ度も無絃琴一張を蓄え、
酔うて適するごとに、輒撫弄して以て、その意を寄す。
貴賤の之に造れるものには、酒有れば輒ち設く。
淵明若し先に酔えば、便ち客に語ぐ、
我酔うて眠らんと欲す、卿去るべし、
その真率なること此くの如し。
 
身分の上下に係わらず、誰でも自分のもとに来た人には、若し酒があると直ぐ一席設けた。
しかし、淵明がもし先に酔った場合には、あっさり客に告げた。
わしは酔って眠くなった、如何かお引き取り下さらんか、と
 
確かに、我酔欲眠、卿可去 と同じ言葉で客を追い返している。
李白はひとり淵明を相手に酒を味わっているのであろう。
 
 
山中問答
 
問余何意棲碧山        余に問ふ何の意ありてか碧山に棲むと
笑而不答心自閑        笑って答へず 心自づから閑なり
桃花流水杳然去        桃花流水杳然として去る
別有天地非人間        別に天地の人間に非ざる有り
 
 
人は私に、どういうつもりで碧山に住んでいるのかと問う、私は笑って答えない。心は穏やかなのだ。桃の花を浮かべながら流水はどこまでも流れていく。ここは俗人の世界ではない、別天地なのだ。
 
この有名な詩は、陶淵明桃源郷を意識して作ったものだろうという。
桃花流水杳然として去る、の一句には、李白の恬淡とした生きざまが凝縮されているようでもある。
 
非人情とは義理人情の世界から超越して、それにわずらわされないこと、また、そのさま、を言うらしい。
夏目漱石が「草枕」で説いた境地が淵明の様な酒を飲み詩を作るだけに情熱を傾ける事を非人情の実践と言えるのかどうか。
この山中門答のような境地が非人情と言うのか・・・・・
 
 
 
参考文献
草枕                                   夏目漱石                         岩波文庫
中国名詩選                         松枝茂夫編                        岩波文庫
陶淵明全集                         松枝茂夫訳注                     岩波文庫
                                          和田武司訳注



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