徒然の書

思い付くままを徒然に

雑感~非人情の世界~その弐

 
もう一つの王維の・・・・
 
王維の詩「竹里館」の題の一節
 
独坐幽篁裏             独り坐す幽篁の裏
弾琴復長嘯             琴を弾じて復た長嘯す
深林人不知             深林人知らず
明月来相照             明月来たって相照らす
 
独り竹やぶに静かに坐って、琴を弾きながら詩歌を詠う。
奥深いこの林の中のわが庵があるなど誰も知らないが、明月だけはちゃんと訪ね来て照らしてくれる。
この詩は世俗を離れて林野に隠棲し自然を友とし、独り幽境に遊ぶ閑道人の悠然自適の境涯を伺うことができる。
少々のタイムスリップでは追い付かない人々の悠然たる生き方を見た時、人はとても素晴らしい世界のように思うらしい。
 
そして次に評でも書こうかという連中がいうことは・・・・
今まで自分たち日本人は豊かであると思っていたが、むしろ日本人こそ貧しく惨めな生き方のように思える。
確かに、いっぱい物は持っている。
様々な事を楽しむ経済的ゆとりもできた。
だがそれ本当の豊かさなのだろうか。
真の心の充実を得ているのだろうか。
人は物に満たされても心までは満たされない。
・・・・と馬鹿の一つ覚えの様にいう。
こんな文を書く己はどんな生き方をしているのか、ぜひのぞいて道も野である。
 
漱石の時代ですら、その小説の中でさえ徴兵されて戦地へ狩り出される。
そして、死んでおいで、などと送り出される世の中で、非人情を実践出来るだろうか。
むしろ日本人こそ貧しく惨めな生き方のように思うといった輩の様に、日本人には心のゆとりがなくて、心は満たされていないなどと言うことは、誰にでも云う事だけは出来る。
日本人ってそんなに心にゆとりがないのだろうか・・・・・・
誰でも偉そうにその様に書いてみたくなる、特に文筆で食ってる輩は・・・・
 
現実の世ではあらゆる手段を使って、権力者は人々を拘束している。
国勢調査一つにしても、国民を縛り逃がさないための一つの手段である。
昔江戸の頃、重税に喘ぐ百姓の逃亡を防ぎ、逃散には厳罰をもって臨んでいる。
今から千五、六百年も前の淵明の時代でさえ、働くことを拒み酒を飲み、詩をつくる事に生きがいを感じていた、妻子にさえも赤貧の苦痛を味わわせた淵明が本当に心のゆとりを持っていたのだろうか。
王維や、李白は知らず、淵明の詩の中の境地と現実はあまりにも落差がありすぎる。
淵明はこの様な生活の中から悟り解脱していったというのだろうか。
今の我が国に於いて、漱石の言う非人情を実践するために、人里離れた山荘を借りて暫くの脱世間を図るとしても、それが出来るのはほんの僅かの人でしかなかろう。
世俗の喧騒から逃れる非人情の実践は夢の又夢、それ故にこそ千数百年をタイムスリップして彼らが味わった、山の中を桃花流水が杳然として流れていく情景を思い描き、心の穏やかさを得るために彼らがどの様に生きていたのか眺めようとするのではなかろうか。
彼らとて何を犠牲にして心の平穏を得ていたのだろうか・・・・
 
国民投票憲法改正し、軍備を拡張し、あわよくば徴兵制度を復活させようとしている現今のとぼけた政治屋のもとでは安穏な生活は望むべくもなかろう。
それ故にこそ、漱石の言う非人情をほんの僅かでも実践する必要があるのかも知れない。
 
漱石が挙げた王維を最後に加えてみると・・・
 
王維の詩「竹里館」の題の一節
 
独坐幽篁裏             独り坐す幽篁の裏
弾琴復長嘯             琴を弾じて復た長嘯す
深林人不知             深林人知らず
明月来相照             明月来たって相照らす
 
 ただ独りひっそりとした竹林に坐って、琴を爪弾きながら詩歌を長嘯する。
人は知らないだろうが奥深いこの林の中では、明月だけはちゃんと訪ね来て照らしてくれる。
 
世俗を離れて林野に隠棲し自然を友とし、独り幽境に遊ぶ閑道人の悠然自適の境涯を伺うことができる。
今の我が国でこの様な悠々自適の暮らし誰が出来るだろうか。
単に政治の貧困とばかりとは言えない、人の物の考え方にも随分と影響されるのだろう。
この様な詩を読んで、僅かばかりでも心の平穏が得られればそれに越した事はない。
 
扨、陶淵明と言えば、酒の詩人として李白と共に飲酒の詩を読むことがあるが、
淵明自身、勤勉な人間と言うにはほど遠いものであったらしい。
働くことを嫌い酒を喰らって、詩を作っていればご機嫌であったため妻子には赤貧の苦労を掛けていたようである。
 
若い頃から理想が高く、博学で、文章が上手かった。
才気が煥発する事、人にぬきんでて、天性の赴くままに行動して、楽しんでいたという。
下吏の職務に辛抱できず、すぐに辞職してしまう。
主簿として就任する様招かれても、断って、家に帰って耕作していた様だが、過労から倒れて寝込んでしまう。
この淵明と権力の関係は如何であったのだろうか・・・
私と世間とはそりが合わないと言って、仕官先を簡単にやめて、さあ~帰ろうなどと言って帰去来の辞を残している。
当時の権力は仕官を一方的に破棄することも許していたのだろうか。
 
この人間のように己の能力を過大評価する者に往々にして起こりがちな働くことを嫌い家族を赤貧の状態で苦しめるも平然としている者がいるのは確かである。
その己が望む、詩でも、文でも、画でも、それが生業となる以外、今の世では通用しない。
 

 
参考文献
草枕                                  夏目漱石                         岩波文庫
中国名詩選                        松枝茂夫編                        岩波文庫
陶淵明全集                        松枝茂夫訳注                     岩波文庫
                                          和田武司訳注