徒然の書

思い付くままを徒然に

重陽の節句に思う

重陽節句九月九日は旧暦の行事。

現代版にすると十月四日ごろになろうか。
とはいえ陰陽思想では重陽節句は陽の数の極みである九が重なる日であることから重陽と呼ぶようになったのであり、十月四日では意味をなさない。
この節句が行われる様になったのは、たまたま旧暦の時代であったというに過ぎない。
ただこの節句の頃には菊が美しい時期だあったことから、菊の節句とも呼ばれるようであるが、現代では菊の時期とは少しずれているようである。
したがって、菊の花を飾ったり、菊の花を浮かべた菊酒を飲むことはかなわない様であるが、かっては菊酒を飲んで、無病息災をそして不老長寿を祝ったものである。
だが時代が変わって菊酒で祝うことも出来なのだが、現代の日本では無病息災はいいとしても、不老長寿を祝うなどというのはちょっと的が外れている。
古代中国はいざ知らず、現代の日本の様に行政による老齢者いじめの激しい国での不老長寿は、苦しみを増すばかりの長寿であることは覚悟しなければならない。
行政による老いぼれ虐めを、指折り数えてみれは、両手を使ってもまだ足りなかろう。
老人にとっては恐ろしい国ではある。
敦盛にある様な人生五十年とは少し意味が違うが、人生を楽しんだ五十年を過ぎたら、そろそろとお暇を考えるのがいい。

吾などは長生きし過ぎたと、悔やむことが多い日々である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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