徒然の書

思い付くままを徒然に

彼岸の日に咲く花~リコリス彼岸花~

 

多くの人々は、この頃様々な機会に真っ赤に咲いた彼岸花を目にしていることであろう。

 

律儀に彼岸の日に現に合わせたように草むらに一つ真っ赤な花を咲かせていた。

陰暦と現太陽暦の月日の表示に沿いうはあるが、季節感は同じであったろう。

現彼岸のは九月二十二日でも、旧暦は八月六日。この日付けを見ると現代に置き換えて、暑い盛りに彼岸かなとは思うが、ただ暦の表示が異なるだけで、現季節とわりはないのだろう。

現在の九月に二十二日を江戸のころは八月六日と表示していただけの事である。

旧暦と言われる日付の設定と現暦とは半月から一月半ぐらいの日付けの表示に違いがある。

旧暦は一年三百五十七日しかなく、現暦とは十一日間の誤差がある。

そのために何年かに一度閏月を設けて調整していたようである。

時代小説などを読んでいると、日付が表jされて季節などが書かれた場面を読んでいると、そのまま現在の日付に置き換えてしまうので、ちょっとした違和感を感じることがあるが、よくよく考えてみると日付の表示が異なるだけで、季節には何の違いもないことを意識しておかなければならない。

現在の地球が健在である限り、季節感は日付の表示がどのように変わろうとも、人間様が感じる季節感には影響がない。ただ人間が破壊する地球環境の変化によって、徐々に季節感も変わって感じるようにはなるだろう。

ただ様々な行事の日が旧暦の日付をそのまま現代の暦の日付に合わせて同じ日に設定すると、季節感の違いを意識することになるのは当然の事であろう。

地球もこのまま破壊が進むと何百年後か、何千年後か、あるいは何万年後かには、更には何十万年後かには宇宙の星屑になってしまうのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

  

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