徒然の書

思い付くままを徒然に

衣冠の盗~菜根譚の言葉~ 

書を読みて、聖賢を見ざれば、鉛槧の傭となる、官に居て人民を愛せざれば衣冠の盗となる。

学を講じて躬行を尚ばざれば、口頭の禅となる。業を立てて稲穂を思わざれば眼前の花となる。

本を読んだら聖賢の心に触れなければ、ただの文字の奴隷。

衣冠とは高い官位、今に言い換えればエリート官僚。

官位にあっても俸給をむさぼるだけで人民を愛さなければ、それではただの禄盗人に成り下がる、成り下がるというよりも禄盗人そのもの。

科挙に合格して高級官僚になる、中国の古い時代の知識人の夢であった。

古代中国以来、数多くの文化や制度を取り入れてきたが、この科挙だけは取り入れることはなかった。

なら平安などの時代は特殊な貴族が他者が入り込むのを嫌った偏狭な心、それ以後は武家政治による幕藩制度の所為であろう。

現代の我が国では明治時代になって帝国大学の出身者による高等文官試験合格者が政官界入りの切符を手にしていたのがこの科挙に類すると言えるのだろう。それが現代い於ける一流の国立大学から官僚の試験に合格してエリートコースに乗るのが夢であるのと同じ事である。

そのためにはあらゆるものを犠牲にしている。

受験地獄と言われる所以でもあるのだが、それ故に人間として歪な人格を形成するものも少なくない。

これが日本人の人生を大きく左右して居ることは間違いない。

日本人という生き物の性情を勘案すると、その反動がどこに向くのかを考えると実に恐ろしい。

だが官僚の構造はピラミッド、次ぎ次に落伍者を出しながら頂点に立つのはただの一人だけ。

落伍したものは、関係省庁の外郭団体や公益法人へと天下りしていく。

ここでしっかりと第二の人生を歩む者もいるだろうが、多くは有名無実のポストに胡坐をかき、仕事などは無関係とばかりに無駄な時間を過ごす輩がほとんどといっていい。

適当な時期に退職金をせしめ安楽な余生へと入るか、再び他のポストを得て天下りを繰り返す輩もいる。

まさに衣冠の盗そのものと言っていいい。

適当なポスが無い時は無理やり外郭団体などを作り上げておさまる者もいるだろう。

わが国が官僚天国と言われる所以でもある。

この天下りする外郭団体や公益法人がすべて国民の役に立っているかと言えば恐らく皆無。

わが国の官僚と言われエリートコースに乗った人間という生きものに、どれ程民の事を真剣に考慮する人間がいるだろうか。

これもおそらく皆無。

小さなころから、受験戦争を勝ち抜くためにあらゆるものを犠牲にする、世間知らずの歪な人間が出来上がる可能性は非常に多い。

この様にして育った人間の反動が恐ろしい。

職種によっては、任官してからも世間との交渉は極力制限されるものも有る。

己たちは、天下りという制度があるから如何に老後の制限をきつくしてもほとんどは影響はない。

そのたびに馬鹿を見るのは一般国民の老後の無制限な負担の付加、制限である。

ただいま現在においても、様々な理由をつけて負担を強制しているものも数多い。

最もらしき理由など糞と同じ何処にでもくっ付く。

日本という国は老人にとって、姥捨て山など遥かに超えた、恐ろしい国である。

日本の老人にとって人生百年などというのは、生き地獄を味わうことを意味するのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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